年末から溜まってた録画もようやく減ってきた。
いつ予約したんだろう?き、記憶が・・・
私にとって、この手の映画を見るのは結構ツライ。
ナミダもろいってのもあるのだが、愛する人を亡くすのは
とてつもなく悲しいものだ。
私だけではなく、愛する人を亡くした経験のある人は
この手の映画はあまり見れないものだろう。
誰もが還ってきて欲しい!と願うはずだ。
でも、人の死はいつかは受け入れなくてはならない。
出来るだけ早く・・・
そうしないと心が残ってしまい、成仏できないんだそうだ。
のこされた人にとって、愛する人を忘れる事は100%無理だろう。
もちろん個人差もあるが、時間が経てばやがてそれは思い出に変わる。
ってより変えなきゃならない。
そうしないといつまでたっても前へ進めない。
それを乗り越えたとき、人はまたひとつ成長するのだ。
私の場合、かなり過程が複雑だったのだが、死を受け入れたとき
なにかフッ切れたものがあった。
ある意味、開放感とでも言うのだろうか。
それまでどちらかと言うと人を心から愛せない。好きな人が出来ても
いつも不安が付きまとった・・・
今はどうかと言うと
私はいつ死んでもいい。と思っている。
人間、いつ死ぬかわからないのだ。
このブログを書き終わった時かも知れない。
まだ50年先かも知れない。
昔の自分はどちらかと言うとサメていた。人からは「冷たそう」と言われた。
しかし、自分で言うのも変だが、人の死も、自分の死も受け入れた事によって
やさしくなれた自分がいる。男、女、年齢に関係なく誰に対しても。
だが、これが非常にムズカシイ。
気を使うのは疲れるので、考えてしてるわけではないのだが、
私や私に接する人が、出来ればほんわかして欲しい。
だから自然にやさしくなれる。
はずなのだが、相手によってはそれはそうと取ってくれない場合もある。
自分の中では自然体であっても、違う方に取られることもある。
言葉のニュアンスも難しい。
そんなつもりで言ったんじゃなくても
いつのまにか傷つけている場合もある。
そんな時はなんか寂しさを感じ、大いに反省する。
過去にたくさんの人を傷つけたきた自分が、今は人を傷つけることがいやなのだ。
相手を傷つけることだけはもうしたくない。
人の痛みは自分の痛みなのだ。
もし、明日から会えないかも知れないと思うと
誰もがやさしくできるだろう。
もし、明日から会えないかも知れないと思うと・・・