楽しみだったドラマ「仁JIN]がついに終わってしまいました。
シーズン10ぐらいまで続いてほしかった。
さて、前回の放送は超大作をムリヤリ1クールに収めるために、ものすごく
グダグダの最終回でした。
おそらくプロデューサーは最初から続編なり映画なり考えており
上からの指示で1クールにされてしまったのかと勝手に思っていたり。
そうでなければ、最初から謎をいくつもちりばめておきながら
何も謎解きがなかったなんてドラマを作る上において
あまりにもお粗末すぎだったと思います。
今回はほとんどの謎が解き明かされ、前作から観ていた方は
さぞかしスッキリしたことでしょう。過去にも戻れず、咲さんとは
結ばれることなく。といった結末以外は。
こういったタイムスリップという題材を使った映画やドラマというのは
最後をどういった形で終わらせるか。それは難しいことでしょう。
つじつまを合わせるために、過去や未来を変えるのか。それとも何も
影響がなかったように済ませてしまうのか。
当然、過去や未来を変えてしまうのが、物語としては面白い。
ドラマの中で出てきた医学の歴史書。
史実ではペニシリンが出来てからまだ70年程度なのだが
日本ではそれよりも100年ほど早く土着的に作られてきた。
とあった。
また、漢方と西洋医学は融合したとある。
映像の中にも「東洋内科」という現代では聞いたことがない
科ができている。
保険のおかげで治療費は「0」だった。
さぞかし、月額の保険料は高くなったことだろう。
話はちょっと戻るが、医学の歴史書には「仁友堂」とその中で
一緒に働いていた、咲さんや佐分利先生。山田先生といった
「南方仁」という名前以外は出てくる。
なぜ、「南方仁」の名前が出てこないのかといったら、人々の記憶から
消えていたからなのであるが、ここで強く疑問が出てくる。
仮に「南方仁」が現代に戻った途端に、人々の記憶から存在そのものが
消え去ったのは良しといよう。
映画「MIB」のように誰かがニューラライザーをピカッと
したかもしれない。
しかし、南方仁が、単なる町民なら記録は残っていないとしても
町民ではない。医師である。
ペニシリンの製造法はもとより、治療や手術の方法なり手紙なり
必ず「紙」媒体の記録が残るはずなのだ。
なのに、なぜ記録が残っていないのか。
バック・トゥ・ザ・フューチャーのパクリだが、写真が変わったり、
消失したように文献も消えたり、「南方仁」という名前の部分だけが
消えたのか。
もし、文献が消えたとしたら仁友堂や医学館は大慌てだったであろう。
記録も残っていなければ歴史書にも載らないはずだ。
にも関わらず、何故か、かすかに「橘 咲」の記憶の中に
そんな先生がいた気がする程度の記憶が残っており「○○先生へ」という
手紙が残っていた。
それも、橘家があったであろう場所に「橘醫院」という咲が開院した
病院が出てきた。ちょっと強引ではあるが、そこに野風そっくりの
人物がおり、橘家の子孫だという。
まあ、「橘 咲」は生涯独身だったとあるから
想像するに、養子として引き取った、野風とフランス人のルロンの子供。
「安寿」の子孫なのではないだろうか。フランスの血が薄くなり
野風そっくりになったのか。
史実ではないドラマに散々ツッコミを入れるのもなんだが
「橘咲」が遺した手紙の文中。
「揚げ出し豆腐が大好物で涙もろい」
名前も顔も思い出せないのに、なぜ食い物である
「揚げ出し豆腐」は記憶に残っていたのだろうか・・・
ところで、○○先生へとはしてあるものの
手紙が出てくるあたり、これもバック・トゥ・ザ・フューチャー
に似てるな・・・