皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ  -7ページ目

ロシアのプーチン大統領が、六月三日、

モスクワ訪問中の安倍晋三元首相の未亡人を、

自分のクレムリン貴賓室に招いて花束を贈り、

涙ぐんだ彼女を、

モスクワの劇場まで大統領専用車に乗せて見送った。

我々が観たこの映像は、

プーチン大統領側だけが撮影したもので、

我が国のマスコミは、この撮影を許されてはいない。


振り返れば、クレムリンで涙ぐんだ彼女の夫である

安倍晋三首相を、

ロシアのプーチン大統領は、「シンゾー」と呼び、

安倍首相は、プーチン大統領を「ウラジーミル」と呼んでいた。

即ち、「シンゾー」と「ウラジーミル」の両人は、

「日露友好をやっていた」のだ。

しかし、この時、ウラジーミルは、

ユーラシアの遙か西方のウクライナのクリミア半島を

武力で制圧して

黒海に面した軍港セバストーポリを奪取していた。

そして、シンゾーの未亡人に花束を渡した現在も、

ウラジーミルは、ウクライナとの戦争を続けている。


そこで言っておく。

ほんとうにロシアのプーチン大統領と

我が国の安倍総理が友人関係ならば、

安倍総理は、


おい、ウラジーミル、

ええ加減に歯舞・色丹・国後・択捉を日本に還せ!

さらに、

全樺太と、全千島と、カムチャッカは日本のものだ!


ということぐらいは、

プーチンに公言していなければならない。


一八五三年七月に、

四隻の軍艦の舷側から大砲を突き出して浦賀に入ってきた

アメリカのペリー提督の我が国への要求が、

「通商開始」であったのに対し、

一カ月半遅れた八月に

長崎に来航したロシアのプチャーチン提督の

我が国への要求は

「第一に国境の画定」

その次ぎに「通商開始」であった。


このロシアに対し、

幕府の代表である川路聖謨は、

樺太、千島、カムチャッカまで我が日本の領土である。

樺太と択捉には我が国は昔から番所を置いているのだ

と堂々と主張している。

これに対して、ロシア側は、

ウクライナのコサックが

樺太に武器を持って侵入してきて

乱暴狼藉の末に食料を奪って引き上げた、

と言うだけだった。

泥棒が入った場所が

泥棒の家になるはずがない!


従って、

もし日露両国の首相と大統領が親友なら、

安倍さんは、

川路聖謨と同じことを

プーチンに堂々と伝えなければならなかった。

しかし、その形跡はない。

従って、「シンゾー・ウラジーミル」という関係の強調は、

日本のシンゾーに、

ロシアのプーチンが

ウクライナ侵攻に関してコメントを控えさせる為の

方便にすぎない。

即ち、分かりやすく言えば、

プーチンは、安倍総理を裏切っていた。

そして、プーチンは、この度、

安倍総理の未亡人を使って

この方便の効果を甦えらせようとしたのだ。

つまり、プーチンは、

安倍夫人を利用したのだ。


とは言え、安倍晋三総理夫婦だけが、

プーチンの宥和政策に引っ掛かったのではない。

プーチンは、

ソビエト国家秘密警察・秘密情報部(KGB)のエリート幹部出身なのだ。

そこで、

十一年間、ソビエトの収容所(ラーゲリー)に抑留されていた

ロシア研究者の内村剛介氏が書いている

ソビエトの共産主義エリートコースに乗る者の特質

つまり、

プーチン特質を次ぎに記しておく(「ロシア無頼」高木書房)。


無理難題にたじろがず、

手段をえらばない者が

共産主義的エリートコースに乗る。

それは何時でも何処でも変わらない・・・

古くて変わらない新しさ、というものは、

そもそも無理難題なのであって、

この難題をベンショーホー的にうまく解く者、

つまりでっちあげる者だけが

オルガナイザーということになる。

そしてこのオルガナイザーは

何もののまえでもたじろがないから、

当然親友を裏切ることを屁とも思わない。

オルガナイザーは

裏切り者でなければならない。


しかし、

現在のKGBのエリートであるプーチンの裏切りなど、

スターリンの裏切りと比べれば、幼児の火遊びの類いである。

我が国が、八十年前に、

第二次世界大戦の敗者として亡国の淵に追い詰められたのは、

ソビエトのスターリンの謀略に

我が国が引っ掛かったからだ。

そして、このスターリンの謀略を成功に導いたものこそ、

我が国政治の中枢に入り込んでいたソ連のスパイである

ゾルゲと尾崎秀実の活動であったことを知らねばならない。

同時に、

現在の「戦後の我が国」こそ、

戦前以上の「スパイ天国」であることに愕然とする。

しかし、絶望してはならない。

今からでも遅くはない!


スターリンは、一九三九年(昭和十四年)五月、

外蒙古侵略を

「世界赤化の第一歩」と位置づけ、

ゲオロギー・ジューコフ将軍を指揮官とする自慢の

ソ連機械化部隊二十三万人を、

ソ満国境のノモンハンの草原に送り込んできた。

これを迎撃した日本軍は、

創設されて間もない

熊本の

第二十三師団二万人(師団長 小松原道太郎中将)である。

以下、

小田洋太郎、田端 元著「ノモンハン事件事変の真相と戦果」(有朋書房)と、

福井雄三著「世界最強だった日本陸軍」(PHP)による。


ノモンハンの草原での日ソ戦は、

五月十一日に開始され九月十六日まで続く。

そして、次の通りソ連軍機械化部隊は壊滅した。

破壊された戦車、ソ連軍八百台、日本軍二十九台

撃墜された戦闘機、ソ連軍一六七三機、日本軍一七九機

ゲオロギー・ジューコフ将軍は、

ナチスドイツとの戦闘で元帥になるが、

第二次世界大戦終結後、西側の記者に、

第二次世界大戦の戦闘の中で、

最も厳しい戦闘は何処かと問われて、

直ちに躊躇うことなく

「ノモンハンにおける日本軍との戦闘だ」

と答えた。


そして、スターリンは、

日本軍の強さに驚愕し、

六年後、

「ドイツ降伏から三箇月以内対日参戦」

をヤルタで密約したが、

その期限のギリギリまで対日参戦を遅らせ、

これが北海道侵攻断念に至る。

北海道は、六年前に、

遙かノモンハンの草原に

累々と横たわった熊本の兵士達が護ったのだ。

このノモンハンにおける

第二十三師団の

北海道を救った勇戦奮闘は讃えられるべきである。


しかし、この兵士の勇戦奮闘に対して

我が国の戦争指導者の

「失策」、「判断ミス」は万死に値する。

我が国政府内には、

「北進論」と「南進論」が対立していた。

そして、ゾルゲと尾崎のスパイ活動によって、

近衛内閣はソ連との戦闘を終結させ

「南進」に決定してしまうのだ。

これによって、スターリンは、

ドイツと日本によって

ユーラシアの東西から攻め込まれ挟み撃ちになる悪夢

から解放された。


イギリスの首相チャーチルは言った。


仮に日本が

北進してソ連に攻め込んでいたら、

日本が第二次世界大戦の勝者となる

唯一にして最大の好機だった!と。


西村眞悟時事通信FBより

日本日本日本

日本日本日本


また行きたいと思う海は?

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

マリアナ諸島🏝️