石破茂について
我が国を取り巻く内外の情勢が
最も厳しくなる歴史的な現段階において、
最も総理大臣にしてはならない者が
総理大臣になった。
それ故、
令和六年十月七日の産経新聞朝刊において
櫻井よしこ氏が、「美しき勁き国へ」のコラムに記した
「石破氏は宰相の器か」
と題する一文が、
石破氏の本質を明確に指摘していることを知るべきだ。
これは、我が日本の覚醒を促すものであるから、
諸兄姉には、是非、この櫻井よしこ氏の一文を読まれたい。
次ぎに、櫻井論文と重複ところがあるが、
私の体験した石破に関して述べておきたい。
先ず、平成二十年(2008年)二月十九日午前四時の
南房総市沖太平洋における
海上自衛隊のイージス艦「あたご」(7700トン)と
漁船「清徳丸」(7・3トン)の衝突事故に関し、
事故原因がまだ究明されていない二月二十一日に、
石破防衛大臣は、漁船の船長宅を訪れて謝罪した。
この石破の態度は、
イージス艦を悪者だと報道する
マスコミにおもねったものであり、
即ち、防衛大臣として、
部下を裏切る「利敵行為」であった。
雪国のドライバーなら、雪の積もった路面、氷結した路面では、
車は急に止まらないことを知っている。
さらに、海の上では、船は急には止まらない。
イージス艦のような大型船は、絶対、止まらない。
従って、法令上では、
保持船を右に見る船(避航船)は回避行動を取るべし、
とか、定められているが、
この西村は、小型船舶一級操縦士であり、
自信を持って明確に言う。
「命が惜しければ、小型船は、絶対、大型船に近づくな」と。
従って、事故から五年後の平成二十五年六月、
イージス艦「あたご」の当直士官二人は
無罪判決を得て確定している。
軍事組織においては、
その長即ち「軍司令官」には、戦場が二つあるのだ。
即ち、
「部下が自分の命令で血を流して戦う戦場」と
「マスコミと世論の戦場」だ。
もし、軍司令官が
「マスコミと世論の戦場」で敗北すれば、
「血が流れる戦場」で
戦友の死を乗り越えて勇戦奮闘し
勝利して帰還してくる部下は、
国民から罵声と石を以て迎えられることになる。
石破は、イージス艦「あたご」と漁船の衝突事故において、
部下が、国民の罵声と石を以て迎えられることを率先して行い、
「最低・最悪の軍司令官」であることを、自ら示したのである。
この者が、この度、
我が国の「最高司令官」となったのだ。
ロシアも支那も北朝鮮も、
そして犬も、笑っている。
次ぎに、石破君との私的な場面で印象深いことを
二点記しておく。
ある日、彼と
「核抑止力」を如何に確保し保持するかについて語った。
私は単純明快に言った。
「我が国も核を持つことだ」
彼、
「それはダメです」
以下、議論(珍論)
「では、どうするんじゃ」
「逃げる力をもつのです」
「核シェルターとかか?」
「そうだ、上手く逃げれば、核は落とされない」
「ハイをハイ叩きで殺そうとしても上手く逃げる。
その時、ハイは俺に抑止力を行使しているのか!?
(お前はアホか?)」
ある日、屋形船に乗って
隅田川から東京湾をうろつくことになり、石破君も乗ってきた。
一時間以上飲食を共にした後に船着き場に戻ることになった。
その時、全員で
「海ゆかば」を歌って会を閉めることになった。
歌おうと全員立ち上がった時、石破が言った。
「僕、海ゆかばは歌いません」
今でも、惜しいことをしたと思う。
何故、あの時、
石破を海に突き落とさなかったのだろうか!?
あなたが一番好きな木は?
▼本日限定!ブログスタンプ