しらす | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

昨日に続き、

我が日本という國の肇(はじまり)から現在に至る

「我が國の根本規範」

即ち、「不文の憲法」・「法的確信」について記す。


我が国は、

「天照大御神の天壌無窮の神勅」と

「大国主命(おおくにぬしのみこと)の國譲り」

によって生まれた。

この「國譲り」の「國」とは、

「豊葦原の瑞穂の國」つまり「日本」であり

「譲る」とは、

大国主神の「うしはく國」を

天照大御神の子孫の「しらす國」にすることである。

つまり、大国主神の「うしはく豊葦原の瑞穂の國」を

天照大御神の子孫の「しらす豊葦原の瑞穂の國」にすることによって

日本が生まれた。

従って、「國の統治のあり方」を表現した

「うしはく」と「しらす」という古語の意味を解明することが、

「我が國の肇」を知ることになる。


古事記によると、

高天原におられる天照大御神は、

御子を豊葦原の瑞穂の國に行かせるのに先立ち、

建御雷神(たけみかずちのかみ)を使いとして先行させた。

建御雷神は、苦労して出雲の海岸に上陸して、

そこの領主である大国主神に面会して次の通り言った。


あなたの「うしはいて」おらるる葦原の中つ國は、

我が御子の「しらす」べき國である

と天照大御神が申されているが、

あなたのお考えは、如何であるか、承りたい。


生涯を古事記研究に費やした

本居宣長(一八〇一年没、七十二歳)は、

この「うしはく」と「しらす」の違いを解明して、

次の通り説明する。

以下、元侍従次長木下道雄著「新編 宮中見聞録」より。


「うしはく」とは・・・、

或地方の土地と人民を、我が物として即ち我が私有物として、

領有支配すること。

「しらす」とは・・・、

人が外物と接する場合、即ち、見るも、聞くも、嗅ぐも、飲むも、喰らうも、知るも、

みな、自分以外にある他の物を、我が身に受け入れて、

他の物と我とが一つになること、

即ち、自他の区別がなくなって、

一つに溶けこんでしまうこと。


そして、大国主神は、建御雷神に、

自分の支配している土地と人民が、

天照大御神の御子と自他の区別がなくなって一体となった幸せな國にしましょう、

と返答したのだ。

是が、次の「天照大御神の天壌無窮の神勅」の通り、

「天皇のしらす国日本」の誕生である。


豊葦原の千五百秋の瑞穂國は、

是吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)也。

宜しく爾(いまし)皇孫(すめみま)就きて治(しら)せ。

行矣(さきくませ)。

寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、

當に天壌の與(むた)窮(きわま)りなかるべきものそ


以来、アジア・ヨーロッパはもちろん

地球上の強権を以て人民を支配するあらゆる王国が

目まぐるしく興亡を繰り返す中で、

我が國日本は、現在の百二十六代の天皇に至るまで、

「天皇のしらす国」であり続けてきた。

このこと、

駐日大使を経験したフランス人の詩人ポール・クローデルは、

次のように言った。


日本の天皇は、魂のごとく現存している。

根源の時と歴史の有為転変とを貫いて、

国民に恒久不滅を印づける存在なのだ、と。


また、

白豪主義者の天皇処刑論者で

東京裁判の裁判長を勤めたウェブは

裁判終了後に母国オーストラリアに帰り、

日本の天皇とは何か?

と質問されたとき、次のように言った。


日本の天皇とは神だ。

あれほどの試練のなかで、

国民の信頼を失わない存在は、

神としか言いようがない。


安政六年十一月二十一日に斬首された吉田松陰は、

その四十日前の十月十一日、

獄中から友人に次の手紙を書き送った。


天照の神勅に日嗣之隆興天壌無窮と有之候ところ、

神勅相違なければ日本は未だ亡びず。

日本は未だ亡びざれは

正気重ねて発生の時は必ずあるなり。

只今の時勢に頓着するは

神勅を疑ふの罪軽からざるなり。

 皇神の誓ひおきたる國なれば正しき道のいかで絶ゆべき

 道守る人も時には埋もれどもみちしたえねばあらはれもせめ


以上の通り、

我が國の根本規範・不文の憲法の中核である

「天照大御神の天壌無窮の神勅」は

国粋思想でも、排外思想でもなく、

また、

国民主権も民主主義もマルクス主義も近代化論も手が届かない

日本人の血に根ざした強靱な確信である。


西村眞悟FBより

日本日本日本

日本日本日本


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