我が国の
「不文の憲法=根本規範」
に関するメモを続ける。
我が国の「不文の憲法=根本規範」の
中枢にあるのは、
次の
「天照大御神の天壌無窮の神勅」だ。
豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂國は、
是吾が子孫の王(きみ)たるべき地(くに)なり。
宜しく、爾、皇孫(すめみま)、
就(ゆ)きて治せ(しらせ)。
行矣(さきくませ)。
寶祚(あまつひつぎ)の隆(さかえ)まさむこと、
當に天壌(あめつち)の與(むた)
窮り(きわまり)なかるべきものぞ。
この神勅で最重要の言葉は、
「治せ(しらせ)」である。
古代大和ことばの「国を治める」という意味をもつ言葉には、
「しらす」と「うしはく」という二つがある。
このこと、
生涯を古事記研究に費やした本居宣長が
次の通りあきらかにした(元侍従次長 木下道雄著「宮中見聞録」)。
○「うしはく」とは、
ある地方の土地と人民を、自分の私有物として領有支配すること。
○「しらす」とは、
人が外物と接する場合、自分以外にある他のものを、
みな、我が身にうけいれて我と他が一つになること。
自他の区別がなくなって、一つに溶け込んでしまうこと。
この神勅において
天照大御神は、
皇孫に、就きて「しらせ」と言われたのだ。
つまり、瑞穂の国の人々と
自他の区別がなくなって一つに溶け込め、
そうすれば、
我が国は、
天壌無窮、永遠に続くのだ、
と言われた。
是が、八紘為宇、
一つの屋根の下の一つの家族の国、
天皇を戴く我が国の國體・國のかたち、
日本の永続の始まりである。
○安政六年十月二十七日に斬首される吉田松陰は、
斬首の十六日前の十一日、
獄中から友人に次の手紙を送った。
天照の神勅に日嗣之隆興天壌無窮と有之候ところ、
神勅相違なければ日本は未だ亡びず、
日本は未だ亡びざれば正気重ねて発生の時は必ずあるなり。
只今の時勢に頓着するは
神勅を疑うの罪軽からざるなり。
そして、
「留魂録」冒頭に
身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも
留置まし 大和魂
と書き残し、
吉田松陰は、首を討たれていった。
○楠正成は、
仮にも 君を怨み奉る心おこらば、
天照大御神の御名を唱うべし
と言い、
天照大御神の御名を唱えながら湊川に赴き、
精魂を込めて戦い抜き、
七生報国を信じて、微笑みながら自決していった。
この日本は、
神武天皇以来、百二十六代の天皇を戴いて現在に至る。
このことは、同時に、
天照大御神は、
百二十六代の天皇を通して
現在まで生き通しておられるということだ。
天皇が皇位継承によって御即位後に初めて迎える新嘗祭が
大嘗祭だ。
この大嘗祭は侍従長も見ることができない
天照大御神と天皇が一体となる宮中最深の秘儀である。
天皇が、夜一人、
新しく建てられた質素な悠紀殿と主基殿に入られると、
そこに、
天照大御神が降りてこられ、
天照大御神と天皇は、
共に悠紀田と主基田から収穫されたお米を食べられ、
同じ床で夜明けまで眠られる。
そして、新帝は、
天照大御神と一体の現人神となられる。
ここにおいて、
天照大御神は
歴代天皇を通じて現在まで生き通されるのだ。
改めて言うが、
大嘗祭を厳修された天皇は
天照大御神と一体の現人神になられている。
このこと、我が国では自然なことなのだ!!
我が国では、
木にも草にも岩にも山の峰にも神々が宿り、
仏教も日本に入れば、
山川草木悉皆成仏となるのだから。
そもそも、
徳川家康は日光で神として拝まれているが、
江戸時代に、
彼に神号を与えて神としたのは天皇なのだ。
その我が国の天皇が、神でなくてどうする!!
そもそも、
この日本がもつ精神世界は、
「神話とも歴史とも密接な絆を結んでいる」
「人類の普遍的な精神世界」
であることを知らねばならない。
ここには西洋の如く、
「神話と歴史の間にぽっかりと深淵が開いる」
ことなどあり得ないのだ。
この人類の普遍的な精神世界が、
日本以外の世界から根絶やしにされる始まりは、
西暦三九二年、ローマ帝国皇帝のテオドシウスが、
選民思想を持つパウロのキリスト教を
ローマ帝国の国教にしたことから始まった。
このキリスト教がローマ帝国の国教になるや、
直ちにローマ帝国内の
ギリシャ・ローマ神話に由来する建造物と図書館の
閉鎖と破壊が始まり、
翌三九三年には、
神々の祭典であるオリンピヤードが廃止され
ギリシャ・ローマ文明は終焉した。
そして、
多いときには三十万に上る神々が棲んでいたローマは亡びた。
以後、数百年後には、
ケルトやゲルマンや他の少数民族の
神々への信仰を根絶やしにした
ヨーロッパが出現して、
さらに五百年にわたる
アフリカ、アジアそして南北アメリカの
諸民族制覇に乗り出した。
しかし、極東の日本は、
十三世紀にモンゴルの侵攻をくい止めると共に、
十六世紀にキリスト教化されることをくい止めた。
次は、
この「皇統の危機」に際して、
それを克服した
「神國の自覚」の系譜だ。
○神護景雲三年(七六九年)宇佐八幡神託事件
我が国開闢以来、君臣の分定まれり、
臣を以て君と為すこと未だあらざるなり。
天津日嗣は必ず皇緒を立てよ。
無道の人は宜しく掃除すべし。
○神皇正統記 北畠親房著 一三四三年
大日本者神國也 天祖始めて基を開き、日神永く統を傳へ給ふ
我が国のみ此事有り 異朝には其の類無し
此の故に神國と云ふ也
○切支丹伴天連追放令 豊臣秀吉 天正十五年(一五八七年)
日本ハ神國タル處 きりしたん國ヨリ邪法ヲ授候儀、
太以不可然候事
豊臣秀吉は、天正十五年、
北九州のキリシタン大名の領地を視察し、
キリスト教宣教師によって領内の神社・仏閣が破壊され、
宣教師と共に来日している奴隷商人と武器商人が、
領内の五十名の乙女を、
領主に一樽の火薬を渡して買い取り
縄で縛り欧州の奴隷市場に運び去って売っている事を知った。
そして、
「日本は神國也」という自覚に基づき、
直ちに「まことに以てけしからん」(太以不可然候事)と
切支丹伴天連を追放した。
この秀吉の決断は、
日本の國體を守る措置であり、
後に勃発する島原の乱(一六三八年)に至る危険性を見抜いた
慧眼である。
なお、この時期、
日本から欧州の奴隷市場に売られた日本人少女の数は
五十万人といわれる。
同時期、アフリカから
南北アメリカに運ばれ奴隷として売られた人々の数は、
十六世紀九十万人、
十七世紀三百万人、
十八世紀七百万人である。
このように、欧州のキリスト教圏の勢力が
戦国期の日本に辿り着いて最初にしたことが、
日本の神社仏閣の破壊と
少女を奴隷として売却することであったことを思うとき、
一神教なるものの異様な独善的な惨さを感じる。
同時に、この時、日本を守り抜けたのは
前記の秀吉の慧眼と
日本の欧州に勝る軍事力であったことを
確認しなければならない。
しかし、
それから三百年後の一九四五年九月二日、
我が国は、欧米連合国に降伏し軍事占領された。
その時、
アメリカを中心とした連合国が我が国にしたことは、
三百年前の日本の神社仏閣の破壊と同様の
言論を検閲し禁止して日本の個性を破壊することであった。
彼らの作成した占領下の日本の言論検閲のリストを見ると、
・神国日本の宣伝
・軍国主義の宣伝
・ナショナリズムの宣伝
・大東亜共栄圏の宣伝
・その他の宣伝
となっている。
しかし、それから約八十年を経た現在、
彼らは、欧米の文明こそが終焉に近づいていることを
肌で感じているが如くである。
そして、彼らは、
一神教の現れる以前の神々の世界に
自らの故郷を感じ始めているのではないかと思われる。
それを感じる二人の文を、
次に掲げて本稿を終えることにする。
我らは
神州の不滅を確信しようではないか。
最初のフランスの初代ド・ゴール研究所所長の
オリビエ・ジェルマントマ(一九四三年~)は、
二〇一三年、伊勢神宮の式年遷宮を目の当たりに視て、
フィガロ紙に「伊勢の聖夜」と題する次の一文を寄稿した。
闇と沈黙のなか、女神アマテラスを聖櫃に奉じ、
これに生絹を掛けて神官の群れが粛々と運んでいく。
生きとし生けるものの起源そのもののシンボルが、
いま、眼前を通りすぎてゆく
この景観に、
われらの小我の殻など、微塵に吹っ飛んでしまう。
一月以来、すでに伊勢参拝者は一千万人に達したという。
さらに増加の一途をたどるとか。
東日本大震災により、
抑えがたき自然の猛威にさらされて、
どこから己を取り戻すか、
日本人が自覚していることの何よりの証拠である。
森羅万象の諸力を崇敬するという伝統維持であり、
そこに、日本的ジェニー(天才)はあるのだ。
次は、関東大震災の時の
駐日フランス大使ポール・クローデル(一八六八~一九五五)。
・日本においては、
超自然は、自然と何ら異なるものではない。
・日本の天皇は、魂のごとく現存している。
根源の時と、歴史の有為転変とを貫いて、
国民に恒久不滅を印づける存在なのだ。
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