諸兄姉、
長い間、コンピューターが機能せず、
ご無沙汰しておりました。
決して無言の行をしていたのではありません。
幸い、昨日夜、機能を回復しましたので、
以下の通り申し上げます。 西村眞悟
・・・ ・・・ ・・・
戦後日本即ち現在の日本は、
国家存亡に関わる教訓を忘却している。
例を挙げる。
(例その一)、
大東亜戦争に於いて、我が国の敗戦はどの時点でどの状況で決定的になったのか?
アメリカの我が国に対する戦略爆撃報告書には何と書いてあるか?
日本本土に対する戦略爆撃はしなくともよかったと書いてあるのだ。
即ち、我が国に向かうシーレーンが切断されたときに、
我が国の敗戦が決定的となった。
このことを我が国よりも知っているのは中共である。
従って、中共は「台湾侵攻」を盛んに世界にアピールしながら、
現実には先ず尖閣を奪取する。
そして、直ちに、尖閣にミサイル基地と潜水艦基地を造る。
そうすれば、尖閣の西の台湾と東の沖縄本島が同時に中共の掌中に入る。
沖縄本島が中共の掌中に入るということは、
我が国へのシーレーンが封鎖されて
全日本が中共の自治区になるということだ。
岸田首相、東アジアの為に、尖閣防衛を何よりも優先させよ!
(例その二)、
岸田内閣は防衛力強化を打ち出したが、
大東亜戦争敗北の原因に、
軍の体制に欠落があったことに気付いていないようだ。
それは、現在の自衛隊の統合幕僚長を、
陸海空三自衛隊で順番に出すシステムを
戦時には変換するという問題意識が皆無であることに現れている。
結論から言うならば、平時は今のままでもよいが、
戦時になれば陸上自衛隊の幕僚長を、統合幕僚長にすることを忘れてはいけない。
このこと、日本と同じ海洋国家である英国でも同じだ。
英国も戦時には陸軍から総参謀長が出る。
振り返れば、明治二十六年五月十九日の日清戦争直前に
「戦時大本営条例」が制定された。
これは、戦時になれば、陸軍参謀総長が
大本営の幕僚長即ちトップになって戦争に立ち向かうという国家体制の確立である。
日清戦争は之で乗り切った。
しかし、十年後の日露戦争の直前の明治三十六年十二月二十八日、
海軍の重鎮である山本権兵衛が、
戦時でも海軍軍令部長が海軍の幕僚長にならねばならない
即ち、戦時でも、陸軍幕僚長と海軍幕僚長は対等であるべきと主張し、
もし之が認められないならば、
海軍は陸軍の輸送船を撃沈するとまで言って脅迫し、
戦時になっても大本営には陸軍の幕僚長と海軍の幕僚長がいる体制へ
戦時大本営条例を改正したのだ。
之によって、我が国の陸海軍は、
それぞれ、「陸軍の戦争」と「海軍の戦争」を、別々にする体制になった。
但し、日露戦争の時は、
維新の元勲どもが権威を持っており陸海軍別々の戦争にはならず、
陸海軍は連携してロシアと戦うことが出来た。
しかし、体制の破綻は、大東亜戦争で起こった。
即ち、我が国が昭和十六年十一月十五日の大本営政府連絡会議で決定した
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」
とは別に、
海軍は勝手に真珠湾奇襲攻撃を決定し、実施しようとしていたのだ。
大本営政府連絡会議とは、
ここに天皇陛下が加われば「御前会議」となる国家の権威ある高級会議であり、
ここで決定されたことは次の通り。
① 速カニ極東ニ於ケル米英蘭ノ根拠地ヲ覆シテ自存自衛ヲ確立スルトトモニ
② 更ニ積極的措置ニ依リ蒋政権ノ屈服ヲ促進シ独伊ト連携シテ先ツ英ノ屈服ヲ図リ
③ 米ノ継戦意思ヲ喪失セシムルニ努ム
この決定に於ける
①は南方資源地帯即ちパレンバン石油施設獲得であり、
さらにマレー、シンガポール、ジャワ島、ビルマ、フィリピン攻略である。
②とは西方作戦、即ちインド洋制圧による
蒋介石支援ルート即ち援蒋ルートの切断と
インドから英国への補給途絶による英国の屈服である。
そして、
③とは、十ヶ月前に戦争に参戦しないことを公約して三期目の大統領に就任した
F・D・ルーズベルト大統領を参戦不能に陥れることだ。
また、
この③では、太平洋を渡ってくるアメリカ海軍を迎撃することになっている。
よって、戦力は基地からの距離の二乗に反比例して減退する法則によれば、
我が帝国海軍はアメリカ海軍に負けることはない。
この「腹案」は、
我が国が勝利するか否かではなく、敗北しないことを狙った作戦であり高く評価できる。
しかも、この「腹案」には、
先ず第一に、真珠湾を奇襲攻撃する意図など微塵も無い。
しかし、海軍は、海軍だけで戦争をするが如く、
同年九月から真珠湾に似た鹿児島湾で真珠湾奇襲攻撃の猛訓練を実施し、
この「腹案」が決定された時には、
真珠湾奇襲攻撃の主力である、赤城、加賀、蒼龍、飛龍の四隻の空母は、
密かに出撃基地となった北の千島列島択捉島ヒトカップ湾に終結していたのだ。
このこと、東条内閣も陸軍も知らない。
敗因は、ここから生まれた。
つまり、戦時の国家体制は、国家の存続か破滅かを決定する。
これが大東亜戦争を陸海軍別々の統帥で戦って得た教訓である。
しかし、現在の我が国政治は、この重大な教訓を没却し、問題意識を欠落させている。
(その例三)、
百六年前にサンクトペテルスブルクで勃発した
ロシアのボルシェビキ革命は、
戦略家のレーニンの主導で行われた。
このロシア革命においてレーニンは、
赤軍(ボルシェビキ)が白軍(反ボルシェビキ)との内戦に勝利することは勿論だが、
もう一つの重要な戦略を密かに実施していた。
それは、レーニン主導による
ロシアの文化破壊政策、
ロシアの伝統的価値観の破壊政策であった。
そして、後に、この文化や伝統的価値観の破壊は、
世界各国の共産化を目指すコミンテルンの常套手段となった。
その我が国に於ける痕跡は、
「日本国憲法と題する文書」を起案したGHQが押しつけた
「憲法十三条、すべて国民は個人として尊等される」
である。
この憲法十三条は、日本国民を、
「歴史とも伝統とも文化とも習慣とも家族とも切り離された個人」とするもの。即ち「砂粒のような個人」を
人間の存在形態の理想とするものである。
しかし、このような「個人」からなる国家は存続できない。
人間とは、
「家族と歴史と伝統と文化と習慣のなかに生まれて生きる生命」である。
「砂粒のような個人」では生きることができないのだ。
しかるに、我が国では昨今、
首相秘書官が、
「男同士の夫婦」「女同士の夫婦」が
隣に住んでいるのは気持ち悪い
と云ったことが問題となり、
連日首相が釈明し、この秘書官は解任された。
そして、首相と秘書官を攻撃する野党が使った言葉は、
「多様性社会」また「多文化共生社会」であり、
彼らはこの
「多様性社会」と「多文化共生社会」を礼賛して
その到来を待望し、
「男と男」や「女と女」の夫婦を尊重しているのだ。
しかし、明確に断言しておく。
この「多様性社会」や「多文化共生社会」という用語は、
レーニンが狙った伝統的価値観の破壊政策のコピーなのだ。
即ち、今、我が国を含め、西側世界には
伝統的価値観を破壊する
レーニンの亡霊が彷徨っている。
繰り返すが、
人は、家族と歴史と伝統と文化と習慣のなかに生まれて生きる生命である。
その歴史と伝統と習慣から見て
「男同士の夫婦」や「女同士の夫婦」は、子供も出来ず、
第一、気持ち悪いではないか。
それを、何か!
「少子化の異次元対策」などと云っている首相なら、
何故、子供の誕生と歴史と伝統と文化を大切にした秘書官を
野党の阿呆に騒ぐ切掛けを与えたからと叱責はしても
「本音は違うぞ、よく言ってくれた」と賞賛せんのだ。
反対に「多様性社会」や「多文化共生社会」という
レーニンの文化破壊・伝統的価値観の破壊戦略に引きずられて
更迭するとは何事か!
なお、人間以外の生物で「メスとメスのつがい」や「オスとオスのつがい」はいない。
何故なら、それをすれば、すぐに絶滅するからだ。
(その例四)、
原子爆弾の爆心地の広島でサミットをする首相は、
当然、原子爆弾を如何にして抑止するか、その決断を語らねばならない。
それとも、サミットで
「安らかに眠って下さい、過ちは繰り返しませんから」と祈るのか?
ドイツの首相もやってくるのだから、
かつて西ドイツのヘルムート・シュミット首相が、
一九七七年(昭和五十二年)十月、
ソビエトが実戦配備したNATO特にドイツを狙う中距離核弾頭ミサイルSS20に
如何に対処し、如何にしてソビエトにそれを撤去させたか、
その決断と実践をサミットで語り合うべきだ。
語り合うだけで、中共の習近平の顔色が青に変わるぞ。
一九七七年、ソビエトがヨーロッパのすべての主要都市に届く
中距離核弾頭ミサイルSS20を実戦配備した。
それを知った西ドイツのシュミット首相は、
十月、ロンドンで、後に「NATOの二重の決断」と呼ばれる演説をする。
即ち、軍事的バランスの回復は、
核ミサイルを抑止するためにも撤去させる為にも死活的に重要であると。
そして、その演説通り、西ドイツはアメリカから
モスクワに届く中距離核弾頭ミサイルパーシングⅡを導入して実戦配備する。
そして、米ソの軍縮交渉の末、ソ連は遂にSS20を撤去したのだ。
しかし、この時、日本政府と首相は、
このSS20撤去の経緯に関心を示した形跡はない。
SS20は、極東、つまり、日本に対しても照準を当てて
実戦配備されていたにも拘わらずである。
よって、後年、
エリティンロシア大統領が、日本を訪問したとき、
エリティンは、日本ついて開口一番、
「私は、貴国に対する核ミサイルの照準を、貴国から外して訪問した」
と言ったのに対し、
日本側は、
彼が何を言っているのか全く分からずキョトンとしていた。
その場にいた日本政府高官なら、せめて、
「何!ロシアは、今まで、日本に核弾頭の照準を当てていたのか?!」
と応じるべきであったのだ。
なお、NATOへのパーシングⅡ導入の時、
欧州特にドイツで起こった大規模な反核運動は
ソビエト崩壊後にクレムリン秘密文書が発見されて、
モスクワが仕組んだ運動だと判明した。
中共も、日本で同じ反核平和運動を開始できる体制を
既に構築していること、勿論である!
そこで、岸田首相よ、
爆心地の広島でサミットを主催するのなら、
かつて西ドイツのシュミット首相がロンドンで宣言したように、
爆心地広島で!
我が国は、中共と北朝鮮の首都を含む主要都市を射程内にいれた
中距離核弾頭ミサイルを導入すると宣言しろ。
以上、「月刊日本」誌への原稿に加筆したもの