まず冒頭に、現在(令和四年四月)進行中のロシア軍のウクライナに侵攻で始まった戦争が、
我らに与えている教訓について記しておきたい。
ウクライナはソビエト崩壊後には世界第三位の核兵器備蓄国であり
現在中共が動かしている空母も保有していた。
ところが、二十八年前のブダペスト覚書(メモランダム)によって、
ウクライナはロシアに対して核を放棄し軽軍備となる代わりに
ロシアを含む欧州安全保障協力国がウクライナの安全を保障することになった。
しかし、現在、
ロシアがウクライナに侵攻している。
仮に、ウクライナにまだ核があればロシアは侵攻しただろうか?ロシアの侵攻はない!
ウクライナの核が、ロシアの侵攻を抑止するからだ。
これが、我が国が噛みしめるべき切実な教訓だ。
しかるに、自らを顧みれば、
我が国は、ブダペストの覚書に基づくウクライナの軽武装化どころか、
そもそも武装を放棄して、
北から核を保有するロシアと北朝鮮と中共に囲まれながら
何処にも存在しない「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」すれば
平和が維持できると盲信して、ユーラシアの東の海上に寝転んでいる。
これ、異常であろう。
即ち、「日本国憲法」が異常で無効なのだ。
さて、我が国とドイツは、第二次世界大戦において、
共に一九四五年(昭和二十年)に連合国に降伏して被占領下におかれた。
そこで、共に敗戦国となって連合軍に占領された我が国とドイツ(西ドイツ)を対比した上で、
「核兵器」に関する現在の深刻な脅威の克服という課題に如何に対処するか、
その決断を述べる。
そこでまず、この課題を前にして、我が国とドイツを対比する訳は、
「戦後日本」という「特殊なビンのなか」だけの議論に入り込むのを避けねばならないからだ。
まことに我が国は、「戦後日本」から脱却した思考と胆力を以て決断しなければならない課題に直面しているのだ。
しかし、この「戦後日本というビンのなか」では、何十年議論しても空論に終わる。
いや、議論ができるならまだいい。
議論などできないで思考停止の「騒ぎ」だけが起こることを、私は経験で知っている。
平成十一年、防衛政務次官に就任した私には、
二年前に尖閣諸島の魚釣島に上陸視察しているので関心が集まった。
そして、ある週刊誌の対談で、
「集団的自衛権の行使は当然、核を持つかどうか国会で議論せないかん」と語った。
すると、翌日から、
私の居場所にマスコミが詰めかけて防衛庁庁舎内思考停止の大騒動となった。
閉口し困り果てた官房長官が、私に
「頼むから、総理に平穏に所信表明演説をさせてやってほしい」と言うので、
私は記者会見をして、防衛庁を去ると官房長官に明言した。
その後、防衛庁から
退任に際し、栄誉礼を受けるか否かの確認があり、
野党の一部から栄誉礼に反対の声が上がっていると伝えられた。
私は、軍隊に対して指揮命令権を保持する者が
夜逃げのようにこそこそ去れるかと明言し、
記者会見を済ませ、玄関前で、
銃を捧げて整列する隊員の栄誉礼をうけて防衛庁を去った。
まことに、亡国の「騒ぎ」と言わざるを得ない。
よって、この「騒ぎ」の「正体」と「対策」を、
これから書き始める本稿の最後に述べて、筆を擱(お)くことにする。
戦後長くドイツの首相を務めることになるアデナウアーは、
敗戦直後に、「ドイツは敗れたが、精神は屈していない」と明言した。
日本の戦後長く首相を務めた人物に、斯くの如き明言は無い。
ここから日独には、次の相違が生まれた。
即ち、戦後の西ドイツには、日本のような「憲法」はない。
ただ、ドイツ連邦共和国の「基本法(ボン基本法)」があるのみだ。
その理由は、ドイツ人が連合国に対して、ハーグ陸戦条約に基づいて被占領中に「ドイツの憲法」を制定することはできないと強く主張したからである。
さらに、ドイツ人は、ボン基本法に
「占領中に制定された法律は、占領解除後は無効とする。」という一項を入れた。
この一項は、アデナウアーのあっぱれな明言通り、
独立を回復した後に、精神は屈していないドイツ国民が、
自由な意思によって国家の基本的事項を決定するという強烈な意思表示である。
続きは、
我が家の絶対ルール
▼本日限定!ブログスタンプ


