縄文時代から豊かな風土と生物多様性を有している日本 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 


二十歳代の私に、

生きてゆくうえで深い影響を与えてくれた師は、

一眼は常に足下の現実を見つめ、

他の一眼は遙か民族の過去と行く末を

見据えていなければならない、

と言われた。


その師の教え通り、私は現在において、

明治二十九年(一八九六年)にロシア帝国と清国との間で秘密裏に締結された日本に対する攻守同盟である

「露清密約」を想起し、

百二十五年後の今、

再びプーチンのロシアと習近平の中共との間に

中露による対日攻守同盟ができあがり、

機能し始めていることを確認する。

令和三年十月には、

中露両海軍が船団を組んで津軽海峡から大隅海峡を経て東シナ海に抜けた。その艦隊の中には中共の最新鋭ミサイルフリゲート艦があった。

そして、十一月中旬には

中露の艦隊が対馬海峡を抜け、

その後、中露の爆撃機が同海峡を飛行した。

即ち、中露は我が国の死命を制しようとしている。

海洋国家の生命線は周囲の海であるからだ。

よって、我が国周辺の海空域は、

明治二十七、八年の日清戦争そして

同三十七、八年の日露戦争前夜の、

国家の存亡がかかった緊張状態に近づいている。


この国家存亡の危機を克服する為に何を決断すべきなのか。

それは、使い古された言葉で言えば、

「戦後体制からの脱却」である。

何故、この極めて適切な言葉が、「使い古された」のか。

その理由は、

この言葉を唱えて国民の支持を得て政権を担った者が、

まさにその「実践」を放棄して忘却し、

現職総理として靖國神社に参拝することもできずに

「政権の最長期化だけに成功」したからだ。

その結果、人心は倦み、

我々は、危機を克服できる国家体制の構築がないまま

「現在の危機」に直面しつつある。


総理大臣が靖國神社に参拝できないことは、

我が国家存立の危機であると言い切っておく。

我が国において「祭祀」の重要性を再認識しなければならない。

何故なら、我が国は、

まさに「祭政一致の国」であるからだ。

我々は、令和の御代に践祚された新帝が、

大嘗祭に臨まれるのを目の辺りに拝見したではないか。

大嘗祭は、宮中の最重要な行事であり

天照大御神と新帝が一体となられる神事である。

従って、大嘗祭の後の天皇は、

天照大御神と一体の存在、

即ち、現人神である。

これまさに、祭政一致だ。

然るに、「戦後体制内の者」は、

この事実を見ずに、

紙に書かれている憲法二十条を読んで、

我が国は、憲法の規定によって政教分離の国だという。

アホか、よく事実を見よ。

その「憲法」は、有効なのか。

この「憲法と題する文書」は、

昭和二十年九月二日から同二十七年四月二十七日まで

我が国を占領統治した連合国総司令部(GHQ)が、

「日本を永久に弱小国に止め置く」

という占領統治目的を、

占領解除後も継続させる為に書いたものであり、

「我が国の憲法」ではない。

当然、我が国の歴史と伝統とは全く無関係である。

従って、

「戦後体制からの脱却」を唱えた者が、

「憲法改正」を唱えるとは笑止千万ではないか。

「戦後体制」とは「日本国憲法体制」そのものであり、

その「改正規定による改正」とは

日本国憲法体制、即ち、戦後体制を維持することに他ならない。

結局、無効なものは「改正」できないのだ。


そこで、私の言葉で言わしてもらう。

昭和二十七年までの七年間、我が国を占領していた

日本に対する敵意と敗者への優越感だけがあって

日本の歴史に関する知識のない毛唐が書いた

「日本国憲法という文書」に、

これ以上こだわってはならない。


今こそ、我ら日本人は、「日本」を知る為に、

日本の源流である遙か太古の縄文時代を見つめ直し、

そこが「万世一系の天皇を戴く日本」の

肇國の母体であること、

即ち、

縄文時代と現在日本が、

何ら断絶することなく連続していることを確認したい。


昭和三十年代(一九五五~六五年)に

中学生だった私たちの世代の

「日本の歴史」教科書では、

弥生時代に朝鮮半島から我が国に稲作と文化が伝えられてから、

日本の歴史が始まったかのように教えていた。

つまり、それ以前の縄文時代は、

縄文人という未開の土人が住む時代であったという書き方だった。

しかし、丁度その頃から始まった我が国の高度経済成長は、

日本列島を宅地開発や工場建設や道路建設で掘り起こし始めた。

その結果、

三万年前の姶良カルデラの大爆発で遺跡がないとされていた

鹿児島を含む我が日本列島全域から、

縄文時代と旧石器時代の

おびただしい数の遺跡が見つかってきたのだ。

三万年前の姶良カルデラの大爆発と

二万六千年前の桜島の爆発による誕生は、

周囲に三十㍍の厚さの岩塊を堆積させながら

現在の鹿児島湾の地形を生みだした。

そして、霧島市国分の上野原遺跡の

姶良カルデラ大爆発の二万年後の地層から

九千五百年前からの大規模定住集落が発掘されたのだ。

これは日本列島最古級の定住集落だ。

つまり、

弥生時代の一万年以上前から、

我らの先祖は、安定した定住生活を維持し、

高度の生活文化と精神世界を有していたことが解った。


東京武蔵野大地を中心とした関東ローム層の地域で、

三万二千~三万年前の多数の磨製石器(石斧)が発見された。

これは世界最古の磨製石器で、

世界の旧石器文化史上類例がないものだ。

また、青森県太平山元遺跡からは

一万六千五百年前の世界最古の

煮炊きの痕跡がある土器が見つかっている。

さらに福井県鳥浜貝塚からは、

一万二千六百年前の世界最古の赤色漆塗櫛が発見された。

この漆はDNA分析で日本固有種であることが確認された。

このように、日本列島は

太古の世界の中で、

最先端の技術を生み出す人々の住まう豊かな大地だった。


令和三年十月、わずか一泊の旅ではあったが、

晩秋の本州最北端の青森の

三内丸山遺跡と是川縄文遺跡を訪れた。

本州最北端の大地は、

落葉広葉樹林の森が波のように連なっていた。

この本州最北端と北海道の十七の縄文遺跡群は、

一万五千年前から二千四百年前のもので、

この度、「北海道・北東北縄文遺跡」として世界遺産となった。

その理由は、次ぎの通りだ。

一万年以上もの長期間、

継続した狩猟、漁労、採集を基盤とした、

世界的にも希な定住社会を維持し、

足形付土版、遮光器土偶、環状列石などの考古学遺構で明らかな、精緻な精神文化を伝える類い希な物証がある。

農耕社会に見られるように、土地を大きく変革することなく、

永続的な狩猟、漁労、採集の生活の在り方を維持している。


この遺跡群のなかの北海道洞爺湖の入江貝塚からは、

筋萎縮症にかかりながら人々の介護を受けて

二十歳くらいまで生きた人の変形した骨が出土している。

兄が小児麻痺であった私にとって、

遙か縄文時代の人々の、

体が不自由な隣人を介護する思いと情が心に沁みる。

また、青森の大石平遺跡からは、

一歳くらいの幼児の手や足を粘土に押しつけて

手形や足形を取り、

それを焼いた手形、足形付土版が見つかった。

子を思う親の思いは今も縄文時代も全く変わらない。

そして、

この一万年を超えて維持された縄文の定住社会の跡からは

人間の闘争(戦乱)の痕跡がないのだ。

これは、「とてつもないこと」ではなかろうか。

現在の京都は「千年の都」と言われる。

その中に、何回の闘争(戦乱)の跡を残しているか。

ざっと振り返っただけでも、

保元・平治の乱(一一五八・九年)、

承久の乱(一二二一年)、

応仁の乱(一四六七年)、

蛤御門の変(一八六四年)

そして戊辰戦争(一八六八年)と殺戮の騒乱が続く。

しかし、この京都建都(七九四年)の一万年以上前に、

北海道・北東北縄文遺跡群は、

一万年以上もの長期間、

世界的に平和で平和で安定した定住社会を維持していたのだ。


山内丸山と是川の遺跡から見つかった遺物のなかで、

最も印象に残ったものは、漆を塗った多様な生活用具である。

特に女性用の道具、

例えば漆を塗った糸で編んだ縄文のポーチ、

漆塗りの櫛、髪飾り、耳飾り、腕輪。

これらを観てから、

三内丸山の巨大な木組みの塔が建つ広場に佇むと、

櫛をあてた綺麗な黒髪を漆のかんざしで整えて、

ポーチを手にした縄文の乙女達が

語らい歩む姿が見えるようだった。

着飾って、この広場で語らっていた人々は、

今、我々の血の中にいる。


山内丸山遺跡の発掘調査を行った考古学者の岡村道雄氏は、

著書「縄文の列島文化」で、

我が国の縄文文化について、次のように記されている、

「あまたある世界の先史文化の中でも、

豊かな風土と生物多様性を背景にした

安定した定住を維持した文化であった。

・・・学問的な時代区分である縄文時代は終わっても、

縄文的生活文化は、

地域や都市と村、海や山などでの違いがあって、

変質の程度もさまざまではあるが、

昭和三十年代からの高度経済成長、列島改造などまでは

色濃く保たれていたことを強調したい。」


現実に、考古学者として全国各地の縄文・旧石器遺跡を発掘調査されてきた岡村道雄氏が、

縄文的生活文化は、

昭和三十年代まで色濃く保たれていた、

と断言されている。

これは即ち、

太古からの豊かな風土と生物多様性を背景にした

一万年以上もの長期間の安定した定住によって育まれてきた

縄文時代と現在日本の連続性の確認に他ならない。

世界遺産となった「北海道と北東北」だけではなく、

日本列島全域が

「豊かな風土と生物多様性」を有しており

縄文的生活文化を育んでいたのだ。

そして、同時に、

現在に至る

「万世一系の天皇を戴く日本」

という国の始まりと

「八紘為宇」の建国の理念の自覚も、

この縄文時代にあると確信する。


本稿は、「月刊日本」誌への連載原稿に加筆したもの。


西村眞悟FBより

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