トンボは我を童心に戻す。
10年ほど前、サイパン島を訪れ、
海岸沿いの荒涼とした丘の草で覆われた細い道を走っていた。
そこは、多くの日本兵が斃れ土に埋まった激戦地で、
現地の人も、気味が悪いのか、あまり行かない所だった。
子どもの頃、夕方近くになれば、
大人に村の土葬の墓場には近づくなと言われたが、
同じように、サイパンの人も、
多くの日本兵が斃れた地域には近づかないようにしているのか。
すると、乗っていたかなり古い車のエンジンが止まった。
エンストだ。
仕方がないので、車を降りて四人で車を押して帰ることにした。
かなりの汗が噴き出る重労働だ。
英霊が、僕たちに、
君らは、観光地に来たのではないぞ、
俺たちは、灼熱のこの道を
重機を曳いて、担って、何度も通ったのだ、
と言っているようだった。
そう思いながら廻りを見ると、
無数の赤トンボが飛んでいて、
指を立てれば、その指にとまりそうだった。
帰国して数日たった夕方、
堺の仁徳天皇御陵の畔を歩いていたら、
サイパンで見た赤トンボと、
同じ赤トンボが周りを飛んでいるのに気づいた。
嗚呼!分かった。
サイパンの赤トンボは、
英霊の望郷の思いだったのだ。
英霊が子どもの頃に見た赤トンボが
サイパンで飛んでいて、
英霊の瞼に最後に浮かんだ懐かしい日本から来た僕らを
囲んでいたのだ。
今朝、令和三年八月二十一日の早朝、
玄関を出て空を見上げると、
軒に繋がる電線に「ヤンマ」がじっととまっている。
真下に行って見上げても動かない。
あの大きな複眼の目には、
僕の影が映っているはずだ。
子供の頃、「ヤンマ」を捕まえたら、大手柄だった。
しかし、
黄色の尻尾に黒の筋が入った巨大で精悍な「鬼ヤンマ」だけは
いくら狙っても、
遂に捕まえることができなかった。
しかし、六十歳を過ぎたある日、
「鬼ヤンマ」を捕まえた夢を見た。
子供の頃の願いが、半世紀後の夢でかなったのだ。
奇妙な気がして、その夢忘れ難い。
今朝、
「ヤンマ」を眺めて童心に帰り、
「鬼ヤンマの夢」と
英霊の童心が飛ぶ「サイパンの赤トンボ」を思い出した。
世界の女性兵士👩🏼🏭👩🏼🏭👩🏼🏭
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