「オリンピアードの開会を宣言する」という詔(みことのり) | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

世界は普遍的で根源的な多神教世界の復活に向かう、

オリンピックが告げる

万民保全の道(五箇条の御誓文末文)、

即ち、大御心、

萬世の為に太平を開く!


七月二十三日の夜に開催された東京オリンピックに関し、

マスコミの論調には、

「要の一点」(かなめのいってん)

に付いての認識が欠落している。

よって、再び、このことのついて記しておく。

つまり、

日本におけるオリンピックの開催は、

他の国々におけるのとは異なり、

単なる「スポーツの祭典」ではなくなっているのだ。

何故なら

「大日本は神国也」

(「おおやまとは神の國なり」、神皇正統記冒頭)

であるからだ。


従って、認識の欠落した「要の一点」とは、

昭和三十九年(1964年)十月十日に開催された

東京オリンピックも

令和三年(2021年)七月二十三日に開催された

東京オリンピックも、

ともに、

天皇陛下の

「オリンピアードの開会を宣言する」

という勅語(みことのり)

によって開始されている一貫した「神事」であるということだ。


この一点において、

古代ギリシャで行われていたオリンピアードと、

現在日本で行われているオリンピアードは、

神々の祭典!

神事として

見事に一致しているのである。

従って、

ギリシャのオリンピアで点火された聖火が

はるばる、

東京のオリンピック会場まで運ばれ点火されたことは、

日本においては神秘の領域にある。

これが、

我々日本人が自覚すべきことだ。


そして、斯くの如く指摘する者を

「神憑り」と言う勿れ、

「神憑り」でない日本人など、あろうか?!


ここにおいて、

現在の東京オリンピックは、

単なるスポーツの祭典にとどまることではなく、

人類文明復元の象徴的な祭典ということになる。

遙か古代ギリシャの神々の祭典であったオリンピアードが、

現在、東京で、

天照大御神の子孫であり、

大嘗祭により天照大御神と一体となった

天皇によって開催されている。

これは、まさに、

人類文明の復元と甦りではないか。


過去を、より遠くまで振り返ることが出来れば、

未来をより遠くまで見渡せるであろう。

The further backwards 

you look,

The further forward 

you can see.

                    Winston Churchill


七月二十三日にも記したが、

古代ギリシャのオリンピアードは、

ゼウスやポセイドンやアポロンという

ギリシャの「神々の祭典」であった。

それ故、

神々を否定する一神教のキリスト教によって

西暦393年に廃絶された。

それを、

1896年、クーベルタンが、

神聖を否定したただのスポーツ大会としての

「近代オリンピック」として復活させた。

しかし、二十世紀に入り、

キリスト教に征服されなかった唯一の文明国である日本が、

オリンピックを、

天皇が勅語で開会を宣言して、

1964年に開催し、

2021年の現在、開催している。


チャーチルが言うとおり、

過去をより遠くまで振り返れば・・・、


・・・二千余年前、今のイスラエルの地に、

ユダヤ人に対して、ユダヤ教の

「怒り罰する神」と「選民思想」と「律法」

を否定して、

「愛の神」を説いてユダヤ人に殺された

イエス・キリストという短い生涯を生きたユダヤ人がいた。

そのキリストの死後、

キリストを弾圧していたパウロというユダヤ人が

イエス・キリストの教えに

ユダヤ教の「選民思想」を復活させた「キリスト教」を、

ユダヤ人以外に布教し始めた。

そして、遂に、西暦392年、

その「パウロのキリスト教」が「ローマ帝国の国教」となるや、

翌年、ローマ帝国は、

ギリシャの神々の祭典であるオリンピアードを廃止して

多神教の古代ギリシャ・ローマ文明を終焉させ、

ローマ帝国の版図(ヨーロッパ)にいるゲルマンやケルトという諸民族の多神教の記憶を抹殺して

彼ら諸民族をキリスト教化した。

そして、ヨーロッパは、

キリスト教の教えに背く異教徒や異端を火炙りにする

暗黒の中世を経て、

近世に入って大航海時代を迎え、

アジアやアフリカの諸民族を征服して領域を拡大させることを

選民思想に基づく「神の摂理」として続け、

十九世紀から二十世紀に地球を覆った。

アジア・アフリカにおけるその支配の実態は、

植民地と人種差別と奴隷である。

アメリカの「西部開拓」という

インディアンの排除と土地の剥奪は、

Manifest Destiny(神の明白な意図)による。

二十世紀に至っても、

このManifest Destinyに取り付かれた

アメリカの狂人は対日石油全面禁輸によって、

日本を戦争に誘導したF・D・ルーズベルト大統領である。

彼は、前任のフーバー大統領から

日本との「戦争を欲する狂人」と言われる。

このなかで日本は、

明治維新によって近代化を遂げつつ、

二十世紀に入り、

東に勢力を伸ばそうとするロシア帝国と戦い勝利して独立自尊を守り(1905年)、

1941年12月から

米英と大東亜戦争を闘って敗北したものの、

二十世紀後半に、

アジア・アフリカにおける人種差別と植民地の解放という

日本の戦争目的は達成されたのだ。


以上の通り、

過去を遠くまで振り返れば、

より遠くまで見渡せる未来に、

如何なる展望が開けているのか。

それは、

多神教の記憶を滅ぼして、

五百年以上世界を覆った選民思想に取り付かれた

一神教の独善と確執の世界史が終焉を迎え、

「八紘為宇」(神武創業之志)

という世界が拓けるということだ。

昭和天皇が

昭和二十年八月十四日に発せられた「終戦の詔書」にある


「然れども朕は、時運の趨く所、

堪え難きを堪え忍び難きを忍び、

以て萬世の為に太平を開かむと欲す」


とはこのことだったのだ。

大御心がやっと分かった。


大東亜戦争後に、日本で開催された二度のオリンピックは、

この人類史の転換を静かに告げている!

即ち、昭和天皇が告げられた

「萬世の為に太平を開く」

小さいが偉大な一歩だと思い決するべきである。


本日の産経新聞朝刊の第一面に載せられた作家の江上剛さんの

東京五輪の開会式についての

「開催してくれてありがとう」

というまことに血の通った論考には、

惜しいことに、

「前回の東京五輪(1964年)は、

まさに『陽上る国』での開催だった。

しかし今回は、

長引くデフレや少子高齢化など

多くの課題を抱える

『陽沈む国』での開催である。」

と書かれている。

これは高度経済成長期と

デフレ下の現在の比較、

つまり、ただ経済の次元だけに囚われた論である。

まことに惜しいことである。


このような興行的観点から

日本におけるオリンピックを眺めるのではなく、

一神教の唯一神の精神世界と文明の終焉と、

普遍的で根源的な神々の世界の甦りという

世界の太平を開く観点から、

日本におけるオリンピック開催の

人類史的意義を

日本人として深く自覚したい。


西村眞悟FBより

日本日本日本


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