西郷南洲と田中正造と日本人の血
五月二十九日に、西郷隆盛の最後を実写した。
その中に、
自分は西郷さんと時々一緒にいるような気がすると書き、
最後は、
西郷さんの首を両手で抱えて首実検をして
西郷さんの首を晒して全将兵に見せた山県有朋が
「何と対面していたのか」に関して、
江藤淳が書いた次の一文を紹介した。
「実は山県は、自裁せず戦死した西郷南洲という強烈な思想と対決していた。」
「日本人はかつて『西郷南洲』以上に強烈な思想を一度も持ったことがなかった。」
この「西郷南洲」の最後を、NHKは大河ドラマで、
大の字に仰向きに寝て満足したように微笑んで死んでいった
と国民に見せたのだ。
これでは、
かつてサッカーの人気のある格好いい名選手が、
引退試合が終わったとき、大観衆の見守る中、
一人、グラウンドに大の字になって寝転び
空を見ていたのと同じではないか。
国民からの受信料で番組をつくっているNHKの
無責任と軽薄と不勉強を指摘する。
とはいえ、これはNHKの軽薄と不勉強だけを指摘するよりも、
現代日本の「左がかった西欧的教養主義偏重」
のなせることと言うべきかも知れない。
そして、
僕が教えを受けた
森信三先生(明治29年~平成4年)のことを思い出した。
森信三先生は、
日本全国におられる「隠れた真人」と
地下水脈で繋がっている方だった。
その「隠れた真人」の一人に
長野精一という方(明治42年生まれ)がおられた。
僕は仁徳天皇陵の西側に住んでいるが、
長野さんは東側に住んでおられたのでよく訪問した。
この長野さんが森先生に、
田中正造の日記に深い感銘を受けるようになった、
と葉書を送られたところ、
森先生から次のような返信が葉書で送られてきた。
森先生は、
田中正造の偉大さを最初に説き続けた方だった。
「あなたが田中正造の日記に対して
深奥なる感銘を持たれるようになられたということは、
私にとっても近来にない深い悦びです。
と申しますのは、
失礼ながら、これまでのあなたの、
どちらかといえば西欧的な教養主義的教養のかなり厚い層の底が
ブチ抜けて、土着の日本人としての「血」に
ブッツカられた証拠といってよいからです。
これまで私が幾たびも嘆いていた
幸徳秋水のみが絶対視せられて、
それに対して民族の一大巨人ともいうべき田中正造が
ほとんど無視されてきた深因は、
私から見れば、
結局わが国の学界およびジャーナリズムで
指導的な役割を演じている人々が、
結局西欧的な教養人であって、
その底に潜んでいる土着の日本人としての「血」が
自覚的に点火されていないからだと信じるが故です。」
西郷南洲は、明治六年一月、
郷里の薩摩に帰る前に山岡鉄舟宅を飄然と訪れた。
門から入ってくるその姿を見た鉄舟の息子直記は、
あたかも怪物に似て粗大な風体のものが門からやってくる、
と思ったという。
西郷は、右手に太い木杖を持ち、左手に徳利をもって、
みぞれの降る寒いなかを素足で雪を踏み分けて玄関までやってきた。
室内に入って徳利から酒を飲み始めた西郷と鉄舟の様子を
鉄舟の妻は次のように回顧している。
二人のさまは遠慮なく申せば、
ばかのようでもあれば、
また無邪気で幼年の子どものようにもあるし、
これらの人物が維新の際、
非常の働きをしたとは、一見嘘のように疑われ、
しきりにシナとか朝鮮とかロシアとか種々物語られ・・・、と。
山岡鉄舟と歓談の後、西郷は郷里の薩摩に帰り、
山野の開拓生活に入った。
西郷は言う。
推倒一世之智勇 開拓萬古之心胸
一世の智勇を推倒し 萬古の心胸を開拓す
この西郷の心境を一番分かるのは、
陸上自衛隊で最も過酷な非公開訓練を行う特殊作戦群を創設し、
その初代群長になり、
現在は、
三重県熊野の飛鳥、即ち、神武天皇の上陸地点の近くの山野に
農業と教育と武道で「萬古の心胸を開拓」して
原始の日本人としての血に根ざした共同体
「むすびの里」
を創設している
荒谷 卓さんではなかろうか。
森信三先生は、
満州国の新京に創設された建国大学の教授であったが、
昭和十四年七月、
一時帰国して愛知県の哲学界で二日間講義をされた。
そのテキストは「南洲翁遺訓」。
その「遺訓」の中で、西郷さんが、
終日、犬を駆り兎を追い、山野を跋渉して猟り暮らしたあと、
一田家に投宿して風呂に入り心神爽快に見えたとき
悠然として
「君子の心は常に斯くの如くにこそ有らんと思ふなり」
と言ったことに対する森先生の講話が
筆記されて残っているので次に記しておきたい。
「この節は、
今まで読んできましたものとは全く別種の趣があるのであります。私はこの一節あることによって「遺訓」全体が真に生きてくると思うのであります。
これを言われた翁自身のお偉さはもとよりでありますが、
又これを書き取った門弟の方も流石と思うのであります。
こういう種類の言葉は、
ぼんやりした弟子だとつい聞き逃すものであります。
こういう幽かなる趣をもった言葉をとらえるには、
どうしても、
そこに一段と心眼の冴えが必要となるのであります。
同時にこの一節あることによって、
これまでの総ての教訓の背景というものがわかるのであります。
すなわちこの一節によって「遺訓」全体に、
深い立体性が与えられるのであります。
これは、
個人の場合に於いてもそういうものだと思うのであります。
すなわちちっとも抜け目のない人間というものは、
必ずしも最上の人とは言えないのであります。
抜け目のないというところを、
更に一段内超えたゆとりというものがないと、
眞に立派な人とは言えないのであります。
そういう意味におきまして私は、
この一節のあることを最も貴く思うのであります。
そして、よくもまあ、
かかる一句を書き留めて置いてくれたものだと
かたじけなく思うのであります。
世界の女性兵士👩⚖️
👩⚖️👩⚖️👩⚖️
久しぶりに行きつけのリサイクルショップを覗いて来ました。
フィギュア関連はやはり鬼滅の刃が多く販売されていました。ほぼ全てのキャラクターが出ている様ですね。
今回は艦これフィギュアを購入しました。
私のコレクションでは初の外国軍のフィギュアになります。
ドイツ🇩🇪とは第二次世界大戦でイタリア🇮🇹と共に日本は三国同盟でしたね。
税込み¥550でした。
以上です。
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