やはり、
靖國神社と大村益次郎像に付いて記しておこうと思う。
靖國神社の一の鳥居と二の鳥居の中間の正中線上に、
幕末維新期の長州藩の英傑である
大村益次郎の像がある。
この像は、明治二十六年に制作され
長州閥の総帥山県有朋の強い指示によって今あるところに建てられた。
何故なら、大村益次郎は、
幕末、上野に立て籠もった幕臣旗本からなる彰義隊を
アームストロング砲で一挙に粉砕したからだ。
だから、その勲功を讃えて靖國神社のど真ん中に建てられた。
像の目は上野を睨んでいるという。
よって、靖國神社は、長州閥の神社の如きではないか。
また、
上野に立て籠もった幕臣旗本達は、
靖國神社からみれば日本に仇なす者達であったのか。
そうではない。
彼ら旗本達は武家の本家である徳川が滅びるときに
日本の武士らしく主家に殉じて戦場で死のうとした侍達であった。
即ち、彼らもまた
徳川の旗本というその立場において近代日本の誕生と建設の原動力となった侍だった。
その彼らを一挙に殲滅した指揮官の像を
いつまでも靖國神社のど真ん中に置くのは
「武士の情け」を知らない所業である。
東大紛争において
安田講堂にゲバ棒を持って立て籠もった学生を
バズーカ砲で一挙に殲滅した者を英雄視するのと同じだ。
「吉田松陰留魂録」(講談社学術文庫)の全釈注をした
長州の下関に生まれた古川薫氏が、
同書で
「生き残り政府の高官にのしあがっていく長州人の
弱者に対する惻隠(そくいん)の情の薄さを嘆くばかりである。」
と記しておられるが、
私は、靖國神社の大村益次郎像を見る度に、
この古川氏の嘆きを思い出す。
靖國神社のあの場所(正中線上ではない)に建てられるべきは、
江戸城無血開城にこぎ着けた
二人の幕臣と薩摩藩士の三人の人物の像である。
即ち、勝海舟、山岡鉄舟そして西郷南洲の三人だ。
この三人によって、
「百万髑髏となる」(勝海舟)
血みどろの江戸市中市街戦が回避された。
さらに、
この三人以上に、
江戸市街戦回避に力を尽くされた方は、
幕末で最も尊い高貴な女性である孝明天皇の妹で十五歳の時に将軍家茂に嫁いだ
皇女和宮様であることを忘れてはならない。
勝海舟、山岡鉄舟、西郷隆盛は、
二十歳にもなられていない皇女和宮様の御存在の上に立って
江戸無血開城を合意できたのだ。
西村眞悟FBより
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兵士と猫🐈🐈⬛
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