日章旗と旭日旗と開戦記念日 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 
旭日旗と日章旗は、
何万年もの間に日本民族の血に根ざした旗になった、
とつくづく思う。
カスピ海西岸のアゼルバイジャン共和国にある岩には、
一万年以上前に刻まれた線刻画がある。
そのなかに、二十数名が乗った東に向かう芦の船の姿がある。
その船の尖端には八条の旭日旗が描かれている。
これは日本人の先祖の姿かとふと思う。
日本人の先祖は、数万年にわたって太陽が昇る東の方角、
即ち旭日の方角に向かって
ユーラシアを移動し続け、遂にその東端に達し、
海の中の豊葦原の瑞穂の國「日本」に来た。
そして「日本」で日輪は
初めて海から昇ってくるようになった。
「日本」の東には陸がない。
「日本」は「日出ずる國」になった。
このように、
日本民族は何万年にわたって日輪・旭日に導かれてきた。
三島由紀夫が自決前に書いた「奔馬」の最後は、
まさに刀を腹に突き立てた瞬間、
日輪は瞼の裏に赫奕と昇った
でおわる。
以上、岸和田の岸村さんの
最上階の居室に翻る旭日旗と日章旗を見て書きたくなった。

日本

祖国への愛は、
人間愛の体系のなかで最も重要な愛だ

本日は、十二月八日、大東亜戦争の開戦記念日。
そこで、夕方、犬を連れて
仁徳天皇御陵から南の仙公園の戦没者慰霊塔に歩いた。
すると、慰霊塔の側に、新しい碑があるのに気付いた。
建てられたのは、裏に令和元年八月十五日と刻まれている。
そして、表には何と刻まれていたか。
「私たちは二度と戦争をしません」
とあった!?

カックンときたよ。

大東亜戦争の戦没者は、
悪いことに関わって亡くなったのだと言っているのと同じではないか。
こういう碑が仁徳天皇御陵の南側の大仙公園にある。
情けない!
それで、どうしてもこのアホな言葉が頭に残ったまま
十二月八日を終えるのは嫌だから、
この日に相応しい言葉を記して本日就寝したい。

(1) 古代ローマの政治家キケロの言葉。

あらゆる人間愛のなかで、
最も重要で最も大切な喜びを与えてくれるのは、
祖国に対する愛である。
父母への愛の大切さは言うまでもないくらい当然であり、
息子や娘達、親族、兄弟そして友人たちへの愛も
親愛の情を恵んでくれることで、
人間にとって大切な愛であることは誰でも知っている。
だが、これらの総ての愛ですらも、
祖国への愛に含み込まれるのだ。
祖国が必要とするならば、
そして、
そのために君に立って欲しいと求めるならば、
祖国に一命を捧げることに迷うローマ市民は
一人もいないであろう。

(2) 古代ローマの軍事学者ウェゲティウス

平和を望むなら、戦いに備えよ
Si vis pa-cem pa-ra bel-lum.
シ  ブィス  パ ケム   パ ラ  ベルム

上記、(1)のキケロの言葉は、
我が教育勅語の、
「爾臣民 父母に孝に 兄弟に友に 夫婦相和し 朋友相信じ」
から始まり、
「一旦緩急あれは義勇公に奉じ 
以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」
で終わる人間愛の体系と同じである。
キケロの言葉と教育勅語は、
国と時空を越えて
人間愛の体系は普遍的であることを示している。
即ち、必ず、その愛の体系の中に、
祖国の為に立つことが
重要な人間愛であると位置づけられている。
次の(2)のウェゲティウスの言葉は、
今は亡き友、博識と愛国の画家中尾新也に教えてもらった。
この言葉こそ、現在の日本の為に
遙か古代ローマから発せられ!
我が亡き友、
中尾新也が遺したことばだ!


日本日本日本


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