十月四日、
平家物語で一番の涙を誘う哀話
「敦盛最後」の地である須磨寺で
シベリア満蒙戦没者慰霊祭に出席した余韻が残るからだろうか、
日本武士道と不可分の情感は
「もののあはれ」だ,
としみじみ思う。
そして、
山岡鉄舟が語るように
天照大御神の天壌無窮の神勅による万世一系の天皇を戴く
我が國體が、
武士道の淵源である。
万葉集に次の二つの歌を遺している
東国から対馬にむかった一人の防人は、
天皇の兵士になった自覚を歌い、
同時に、
夜だけではなく昼も百合のように可愛い妻が恋しいと歌い
もっとも素朴に、率直に、
我が武士道の本質を今に伝えている。
・霰(あられ)降り鹿島の神を祈りつつ
皇御軍士(すめらみくさ)に我は来にしを
・筑波嶺(つくばね)の小百合の花の夜床(ゆとこ)にも
愛(かな)しけ妹ぞ昼も愛しけ
この防人は、
天智二年(六六三年)の朝鮮半島中部西岸で
唐と新羅の連合軍と戦った白村江の戦い前後に動員された人だと思う。
対馬は太古から朝鮮半島と大陸に渡る基地で
今も石垣が残る金田城は、彼ら防人たちが造ったものだ。
さて、その対馬には、二〇〇五年の
日露戦争の最終決戦である日露の日本海海戦百周年以来、
毎年海戦日の五月二十七日に訪れ、
北対馬の海戦海域を見渡す丘の上で
日露戦没将兵の慰霊祭を行い『海ゆかば』を歌ってきた。
(但し、本年はシナウイルスのために中止。)
この時、
北の海戦海域を眺める丘とともに必ず訪れていたのが
対馬西南岸の小茂田濱だ。
この小茂田濱に、一二七四年十月五日、
九百艘の軍船に
二万五千の兵と軍馬を乗せた蒙古軍が襲来してきた。
それを迎撃したのが
対馬守護代の宗助國(六十八歳)と一族郎党八十余騎だった。
彼らは、蒙古の大軍と数時間にわたって勇戦奮闘し、
最後は刀折れ矢尽き素手に石を持って戦い、
最後は、
敵に決死の微笑みを浮かべて突撃し、
玉砕した。
敵の大将忻都(ヒンドゥー)は、
弘安の役でも大将を務めた者だが、
自分は、色々な国の敵と戦ってきたが、
このような恐ろしい敵と戦ったのは初めてだ、
と言った。
宗助國の二人の郎党が、
対馬を脱出して、蒙古の襲来と宗助國ら八十余騎の玉砕を、
太宰府に伝え、
太宰府からそれが鎌倉に伝わったとき、
宗助國の確信通り、
公家も武士達も日蓮も庶民も奮い立ち、
日本は一丸となった。
即ち、我が国の全武士が宗助國になる覚悟をしたのだ。
この文永の役も、続く弘安の役も、
鎌倉幕府軍は、
神風によってではなく、実力で蒙古に勝利したのだ、
と軍学者で元陸上自衛隊中佐の家村和幸氏が断言する。
そして、
この宗助國玉砕の六十二年後の一三三六年、
死ぬために敢えて七百騎の少人数になり、
数万の圧倒的に優勢な敵と戦い
微笑んで死んでいったのが楠木正成だ。
楠木正成が戦死した神戸の湊川に
湊川神社がある。
宗助國が戦死した対馬の小茂田濱に
小茂田濱神社がある。
さて、
上対馬の武末裕雄(やすお)さんは、
宗助國の時代に生きていたような対馬の原住民で、
日露戦争における日本海海戦百周年記念行事を企画して実現し、
以後、毎年五月二十七日に、
海戦海域を見晴るかす丘の上で
日露両軍戦没将兵慰霊式典を実施している。
よって、私には、
兄貴のような方である。
その武末さんは、
その海戦海域を見渡す丘に、
おそらく日本で一番でかいブロンズ製のレリーフを建てた。
そのレリーフは、
負傷したバルチック艦隊のロゼストウェンスキー司令長官を
佐世保の海軍病院に見舞う
東郷平八郎連合艦隊司令長官と幕僚の図だ。
私は、毎年の五月二十七日には、
上対馬の丘でこのレリーフを眺めていた。
ところが、
本年はシナウイルスのために
対馬に行けなかった空白を衝くかのように、
武末さんから、
元寇・文永の役七百五十年をひかえて、
八月に、小茂田濱神社境内に、
台座の高さ三・七㍍、
像の高さ四㍍、
重さ二トンの、
弓を構えて奮闘する宗助國の騎馬像を
娘の聖子さんとともに建てた旨の知らせが来た。
そして、
像の写真を見ると、
この騎馬像も国内最大級である。
対馬に、
たった一人で、いや、娘さんと二人で、
日本の歴史を再興し甦らせる、という
とてつもないことをやってのける豪族武末さんがいる。
この像を観ていて、
この像は、
楠木正成騎馬像のある
皇居外苑にも置くべきだと思った。
皇居の外苑には、楠木正成騎馬像があり、
東の竹橋近くに宇佐八幡の神託を持ち帰り皇室をまもった
和気清麿の立像があり、
北には大山巌元帥の騎馬像があり、
北の丸公園には、近衛歩兵第一連隊本部跡に、
「我ら、身は魂魄になれども皇城を護らん」
と刻まれたプレートがある。
総て、我が日本の國體をまもった方々の像であり言葉だ。
ここに、宗助國騎馬像が加わって
皇居外苑に置かれたら、
宗助國を思い、
宗助國のように、
笑って死んだ楠木正成が喜ぶぞ!
と思った。