昨日(7月2日)、
支那ウイルスのお陰で観る機会が得られなかった映画
「三島由紀夫VS東大全共闘50年目の真実」
を観た。
そして、制作者の意図とは別に、
「真実」かが分かった。
その「真実」とは、
三島由紀夫!やはり、これほど凄い男だったのか!
全共闘、五十年前に思った通り、やっぱりコイツらアホじゃ!
この映画の意義は、まさにこれに尽きる。
とはいえ、
興業としてこの映画を作ったものの意図について、
付け加えておく。
この映画を作った制作者、
これも全共闘と同じアホとしか言いようがない。
何故なら、この制作者は、
三島由紀夫と全共闘との討論が、
知的な対決であり、
日本の精神史のなかに聳え立つ記念碑であるような幻想を
視聴者に与えようとしているからだ。
即ち、制作者は、五十年後に至っても、惰性のように、
「無秩序と無責任と誤魔化しと敵意と暴力に過ぎないもの」
つまり、「解放区」
が知的であり新しい時代を拓くかの如き幻想を世人に抱かせようとしている。
さらに言っておく。
このような現状に敵意をもつ無秩序と暴力に対する幻想が、
二十世紀のボルシェビキとコミンテルンによる大惨害を産み出したのだ。
しかし、この無責任なものに対する幻想が、
我が国に於いて、如何に根強いか。
それは、我が国の国会の現状を見れば分かるではないか。
五十年前のあのアホにゴマをすって
構内でインターナショナルを歌っていた輩が、
つい最近、国民と言うより市民と言いたい、とか、
反原発とか、反コンクリートとか、ぬかしながら、
ハトとかカンとかいう内閣総理大臣になり、
そのシンパの雁首の数は、今も国会で一定数を維持している。
この幻想を再生産させないために、
本映画の制作者の意図を糾弾し、
全共闘なるものの本質を、
一言で言えばアホであり、
無秩序と無責任と暴力に過ぎない、
と再度はっきり言っておく。
その上で、
この映像のお陰で、改めて目を見張って知った
三島由紀夫の魂にしみるような偉さを指摘したい。
ああいう集会では、
いつもヘゲモニーを握って訳の分からんことをしゃべりまくる奴がいる。
その絵に描いたような訳の分からんことをしゃべる学生に、
三島由紀夫は、
腹を立てずに、その話をじっくり聞き取っていて決して論破しようとしなかった。
これは常人ができることではない。
そのうえで、言った。
「君たちが、一言、天皇陛下、
と言えば、
僕は君たちとともにいける」
この一言が、
この集会における総てであり、
日本人が日本人である限り、
五十年後の今も、これからも総てである。
三島由紀夫は、
この「総てである一言」を
映像に留める意図をもって集会に臨んだのだ。
この三島の一言を、
現場で聞けた学生は幸せである。
そして、一年半後に、
学生たちに語った通り、
三島由紀夫は、市ヶ谷台で森田必勝とともに自決した。
後藤新平は、
スケールの大きい明治、大正、昭和の政治家だったが、
少年の頃、主人のお供をして霞ヶ関あたりを歩いていて、
前方から大きな男が歩いてくるのに出会った。
主人が驚いてうずくまると、
大きな男は、「お暑うがすなあ」と言って歩きさっていった。
後藤が主人にどなたですか、と聞くと、
主人は「あれが西郷南洲」と言った。
ハッと思って振り返ったら、
その巨人は、粗い薩摩絣を着て、もう小一町も先を歩いていた。
その後、
後藤は晩年になってよく言ったという。
「英雄とか偉人とかいうものは、
ちょうど名画家の傑作のようなもので、
たった一瞬ハッと見ただけでも、
それが終生忘れられないものだ。
俺もあのときの
『お暑うがすなあ』と、
あの粗い薩摩絣とが、
今も頭にこびりついているところを見ると
西郷さんという人も、
偉い人であったに違いない。」
昨日の久しぶりの三島由紀夫の
一千人を越える学生が見守る中で全共闘と話をする姿を見て、
この後藤新平の述懐を思い出した。
それにしても、
あの三島由紀夫を目の辺りに見れた学生は幸せだ。
俺は、見れなかった。
しかし、
それだからこそ、昨日の映像が心にしみたのかもしれない。
俺の京都での学生生活のなかで、
一番の衝撃は
三島由紀夫の自決と
十三名の自衛隊少年工科学校生徒の殉職だ。
西村眞悟FBより。
有本嘉代子さんのご逝去に続く横田滋さんのご逝去を悼む。
拉致被害者・横田めぐみさんの父・横田滋さんが
6月5日逝去されました。享年87歳。
人生の約半分を費やし、まさに先頭に立たれ
めぐみさんはじめ全拉致被害者の奪還を期し
懸命の活動を続けてこられたにもかかわらず、
めぐみさんとの再会を果たせなかった
滋さんのご心中を察しますとき、
私たちは全く一言も
発する言葉を見出すことは出来ません。
ただただ、
ご冥福を衷心よりお祈り申し上げますとともに、
天国へと駆け上らんとする嘉代子さん、滋さんの魂魄が、
恵子さんと、めぐみさんのもとへと駆け寄り
お二人のご無事を確かめられたものと念じます。
改めて、その拉致問題ですが、
北朝鮮が本格的に日本人を拉致し始めたのが
昭和50年代初頭から。
しかし、その時点で、
国は既に拉致に気づいていたにも関わらず、
何も手を打たなかったのです。
以来今日まで、はっきり申して、
政府も、与党も野党も、国民全般も、
総体としては『何故か』腰が引けているのです。
拉致被害者ご家族から
最も信頼の厚かった国会議員の一人である安倍総理を、
自身の事を棚に上げて誰も責めることは出来ません。
いわば、国家ぐるみで、
拉致問題を無かったものにしようとしていたのです。
いや、今も厳然とその流れが続いているのでしょう。
というよりも、
現在の日本の国家としての基本的な体制そのものに、
何か致命的な欠陥があるということでしょう。
そのような、
拉致問題を無きものにしようとする
とんでもない事態に対し、
まさに命がけで顔と名前を公表し
拉致被害者家族会を結成。
嘉代子さんも滋さんもご夫妻二人三脚で
家族会の象徴として
拉致救出のために戦い抜かれました。
誠に非力な存在で恥ずかしい限りではございますが、
私どもには、
嘉代子さん、滋さんの御遺志を引き継いで行く選択肢以外、
とる道はございません。
どうか安らかにお眠りください。合掌
日本ブルーリボンの会 HPより。
水餃子です