私は、
海苔ですかね


普段は玄米食です




五月八日の産経新聞朝刊掲載の産経新聞文化部 桑原聡 筆
「モンテーニュとの対話 『随想録』を読みながら」
に記された提言は、
我が国が実践しなければならない秘策として記憶しなければならない。
この日の稿は、
「カネがなければ刷りなさい」
という見出しの小論で
「打出の小槌が日本を救う?」
という小見出しを設けて書き始められている。
京大文学部仏文科出身の
素晴らしい才媛が高校同級生の姉さんで、
その方が、パリ留学から帰ってきて、
その間、
ボーッと京都の山麓をうろついていただけの小生に、
モンテーニュの研究をしていると言うまで、
モンテーニュ(一五三三年生まれ)と
モンテスキュー(一六八九年生まれ)の
区別がついていなかった無学の小生だが、
それ故、なおのこと、
ああモンテーニュか、と懐かしく、
産経新聞に掲載される
「モンテーニュとの対話」を毎回読んでいる。
そして、
この度掲載の「カネがなければ刷りなさい」こそ、
諸兄姉に紹介しなければならないと思った次第だ。
先ず今回掲げられたモンテーニュの言葉は、
「随想録」第一巻23章
「(その国の制度法規に従う者は)自らの申し訳のために、
単純であり従順であり先例を重んじるのだと主張する。
つまり、従ってさえいれば悪に堕ちようはずはなく、
せいぜい不幸くらいですむからである。」
そのモンテーニュの言葉を掲げた上で、桑原さんは、
「平時ならそれでかまわないかもしれない。
だが、いまは平時などではない。
先例にならい、『ない袖は振れない』で済む問題ではない。」
「政府よ、財務省の言い分はいったん無視して、
財務省、日銀、金融マフィアなどの
ヒモが付いていない英知を結集して、
丹羽さんの提言を検討してみてはどうだろう。」
と、本稿を結んでいる。
そこで、諸兄姉に知って頂きたいのは、
桑原さんが、モンテーニュの言葉を引き合いに出して、
政府に実践を迫る次に記す
「丹羽さんの提言」である。
丹羽春樹さんは、
昭和五年に芦屋に生まれた経済学博士で、
ハーバード大学ロシア研究センター所員、
関西学院大、筑波大、京都産業大の教授を歴任し、私が会った頃は、大阪学院大教授。
その後、
日本経済再生政策提言フォーラム会長として
一貫してブレることなく「丹羽さんの提言」を掲げ
時の政権や国会議員に提言を続けられ四年前に亡くなった。
その提言とは、
我が国の巨大なデフレギャップを前提にして、
我が国が国家である限り有している
政府の貨幣発行特権を行使して、
赤子から百歳を越えたお年寄りまで
一億二千万の全国民に
一人当たり四十万円のボーナスを支給して
デフレから脱却すべし、
というものである。
例えば、我が国の二〇〇八年のGDPの
実際値は五百四十七兆円であるが、
その時、完全雇用で企業がフル操業しておれば産み出される
潜在GDPの中間値は九百七十九兆円であった。
従って、
「潜在値979兆円-実際値547兆円=432兆円」
という莫大な額が、
デフレによって産み出されなかったデフレギャップだ。
そこに、
「12000万人✕40万円=48兆円」
を投入すれば、
それが消費に廻り
乗数効果によって2・4~2・5倍の冨を産み出す。
よって、48兆円の投入は、
一年半から二年のうちに
GDPを少なくとも百兆円は押し上げる。
これが、丹羽先生の提言だ。
丹羽春樹先生は、よく東京の国会に来られ、
時の政府や議員にこの提言をされた。
時に、丹羽先生が住む芦屋と小生が住む堺の中間点の
大阪駅のホテルグランビアの喫茶室で丹羽先生と待ち合わせ、
小生は丹羽先生の個人講義を受けた。
これこそ、
長年にわたってデフレに苦しむ我が国の
「救国の秘策」
であった。
振り返れば、
昭和二十年代前半の我々の世代の
大卒の民間企業初任給は3~5万円ではなかったか。
それが、年末調整で一ヶ月分くらいのカネが貰えるなど、
年々月給が増え続け、
銀行員の友人は、
二十二歳の初任給が四万円で始まって、
三十歳手前で、年収一千万に達しかけ、
四十歳で年収二千万に迫ったという。
これが、コマーシャルで流行った
「黄色と黒とは勇気の印、二十四時間戦えますか!
ビジネスマン!ビジネスマン!
ジャパニーズ、ビジネスマン~!」
の高度経済成長期だ。
しかし、バブル崩壊から平成に入って現在までの三十年間は、
今の五十歳代から下の世代は、
昭和二十年代生まれのような右肩上がりは経験せず
デフレのなかだけで生きてきている。
そして、非正規社員が増大してきて、
目立たないが気が付けば、社会に貧困層が増えている。
つまり社会の活力が衰退しているようだ。
贅沢はろくな人間をつくらないから敵だが、
貧困層を放置して増大させるのは
「政府の犯罪」だ。
小生は、
無責任で空虚な構造改革を叫んで
郵政を民営化して無茶苦茶にし、
巨大企業の倒産を構造改革の成果だと嘯いていた
小泉純一郎内閣の時、
予算委員会で大蔵大臣に
デフレギャップの存在を確認した上で、
国家の貨幣発行特権を行使して
デフレからの脱却を目指すべきだと質問した。
その時の大臣塩川正十郎さんは、
(巨大なデフレギャップがあるのでインフレにはならないと強調しておいたのに)
戦時中の占領地に於ける軍票発行がインフレを招いた経験を例に挙げ、通貨発行特権の行使に極めて消極的であった。
もちろん、
大臣を取り囲み、大臣の答弁を書く大蔵官僚が
頑として通貨発行権行使を認めないことを前提にした消極的答弁であった。
五月八日、産経の「モンテーニュとの対話」に掲げられた
前記のモンテーニュの言葉を読んで思いだしたのは、
あの時の予算委員会での大蔵官僚の姿だった。
この記事を書いた桑原さんも、
きっと大蔵官僚(財務官僚)を思い描いて、
前記のしめくくりの一文を書いているに違いない。
そして、
この度の武漢ウイルス禍における国民一人当たり十万円配布に関し、チマチマしてるなあ、と思う。
また、国債でまかなうな。
貨幣発行特権を行使してやれと思う。
それも、
一人宛十万円ではなく、
百万円を配布したらどうか。
ついでに、この際、
貨幣発行権を行使して少子化克服のために、
三人目の子から六人目まで産むごとに、
生んだお母さんに、その都度、
一千万円を贈呈したらどうか。
六人生んだお母さんは合計四千万円を貰うことになる。
但し、これは日本人のお母さんに限定だ。
何故なら、アメリカが困っているように、
某外国から、
その利益にありつくために
妊婦がどっと来日することになるからだ。
その某国は、あつかましい国だ。
「モンテーニュとの対話 『随想録』を読みながら」
に記された提言は、
我が国が実践しなければならない秘策として記憶しなければならない。
この日の稿は、
「カネがなければ刷りなさい」
という見出しの小論で
「打出の小槌が日本を救う?」
という小見出しを設けて書き始められている。
京大文学部仏文科出身の
素晴らしい才媛が高校同級生の姉さんで、
その方が、パリ留学から帰ってきて、
その間、
ボーッと京都の山麓をうろついていただけの小生に、
モンテーニュの研究をしていると言うまで、
モンテーニュ(一五三三年生まれ)と
モンテスキュー(一六八九年生まれ)の
区別がついていなかった無学の小生だが、
それ故、なおのこと、
ああモンテーニュか、と懐かしく、
産経新聞に掲載される
「モンテーニュとの対話」を毎回読んでいる。
そして、
この度掲載の「カネがなければ刷りなさい」こそ、
諸兄姉に紹介しなければならないと思った次第だ。
先ず今回掲げられたモンテーニュの言葉は、
「随想録」第一巻23章
「(その国の制度法規に従う者は)自らの申し訳のために、
単純であり従順であり先例を重んじるのだと主張する。
つまり、従ってさえいれば悪に堕ちようはずはなく、
せいぜい不幸くらいですむからである。」
そのモンテーニュの言葉を掲げた上で、桑原さんは、
「平時ならそれでかまわないかもしれない。
だが、いまは平時などではない。
先例にならい、『ない袖は振れない』で済む問題ではない。」
「政府よ、財務省の言い分はいったん無視して、
財務省、日銀、金融マフィアなどの
ヒモが付いていない英知を結集して、
丹羽さんの提言を検討してみてはどうだろう。」
と、本稿を結んでいる。
そこで、諸兄姉に知って頂きたいのは、
桑原さんが、モンテーニュの言葉を引き合いに出して、
政府に実践を迫る次に記す
「丹羽さんの提言」である。
丹羽春樹さんは、
昭和五年に芦屋に生まれた経済学博士で、
ハーバード大学ロシア研究センター所員、
関西学院大、筑波大、京都産業大の教授を歴任し、私が会った頃は、大阪学院大教授。
その後、
日本経済再生政策提言フォーラム会長として
一貫してブレることなく「丹羽さんの提言」を掲げ
時の政権や国会議員に提言を続けられ四年前に亡くなった。
その提言とは、
我が国の巨大なデフレギャップを前提にして、
我が国が国家である限り有している
政府の貨幣発行特権を行使して、
赤子から百歳を越えたお年寄りまで
一億二千万の全国民に
一人当たり四十万円のボーナスを支給して
デフレから脱却すべし、
というものである。
例えば、我が国の二〇〇八年のGDPの
実際値は五百四十七兆円であるが、
その時、完全雇用で企業がフル操業しておれば産み出される
潜在GDPの中間値は九百七十九兆円であった。
従って、
「潜在値979兆円-実際値547兆円=432兆円」
という莫大な額が、
デフレによって産み出されなかったデフレギャップだ。
そこに、
「12000万人✕40万円=48兆円」
を投入すれば、
それが消費に廻り
乗数効果によって2・4~2・5倍の冨を産み出す。
よって、48兆円の投入は、
一年半から二年のうちに
GDPを少なくとも百兆円は押し上げる。
これが、丹羽先生の提言だ。
丹羽春樹先生は、よく東京の国会に来られ、
時の政府や議員にこの提言をされた。
時に、丹羽先生が住む芦屋と小生が住む堺の中間点の
大阪駅のホテルグランビアの喫茶室で丹羽先生と待ち合わせ、
小生は丹羽先生の個人講義を受けた。
これこそ、
長年にわたってデフレに苦しむ我が国の
「救国の秘策」
であった。
振り返れば、
昭和二十年代前半の我々の世代の
大卒の民間企業初任給は3~5万円ではなかったか。
それが、年末調整で一ヶ月分くらいのカネが貰えるなど、
年々月給が増え続け、
銀行員の友人は、
二十二歳の初任給が四万円で始まって、
三十歳手前で、年収一千万に達しかけ、
四十歳で年収二千万に迫ったという。
これが、コマーシャルで流行った
「黄色と黒とは勇気の印、二十四時間戦えますか!
ビジネスマン!ビジネスマン!
ジャパニーズ、ビジネスマン~!」
の高度経済成長期だ。
しかし、バブル崩壊から平成に入って現在までの三十年間は、
今の五十歳代から下の世代は、
昭和二十年代生まれのような右肩上がりは経験せず
デフレのなかだけで生きてきている。
そして、非正規社員が増大してきて、
目立たないが気が付けば、社会に貧困層が増えている。
つまり社会の活力が衰退しているようだ。
贅沢はろくな人間をつくらないから敵だが、
貧困層を放置して増大させるのは
「政府の犯罪」だ。
小生は、
無責任で空虚な構造改革を叫んで
郵政を民営化して無茶苦茶にし、
巨大企業の倒産を構造改革の成果だと嘯いていた
小泉純一郎内閣の時、
予算委員会で大蔵大臣に
デフレギャップの存在を確認した上で、
国家の貨幣発行特権を行使して
デフレからの脱却を目指すべきだと質問した。
その時の大臣塩川正十郎さんは、
(巨大なデフレギャップがあるのでインフレにはならないと強調しておいたのに)
戦時中の占領地に於ける軍票発行がインフレを招いた経験を例に挙げ、通貨発行特権の行使に極めて消極的であった。
もちろん、
大臣を取り囲み、大臣の答弁を書く大蔵官僚が
頑として通貨発行権行使を認めないことを前提にした消極的答弁であった。
五月八日、産経の「モンテーニュとの対話」に掲げられた
前記のモンテーニュの言葉を読んで思いだしたのは、
あの時の予算委員会での大蔵官僚の姿だった。
この記事を書いた桑原さんも、
きっと大蔵官僚(財務官僚)を思い描いて、
前記のしめくくりの一文を書いているに違いない。
そして、
この度の武漢ウイルス禍における国民一人当たり十万円配布に関し、チマチマしてるなあ、と思う。
また、国債でまかなうな。
貨幣発行特権を行使してやれと思う。
それも、
一人宛十万円ではなく、
百万円を配布したらどうか。
ついでに、この際、
貨幣発行権を行使して少子化克服のために、
三人目の子から六人目まで産むごとに、
生んだお母さんに、その都度、
一千万円を贈呈したらどうか。
六人生んだお母さんは合計四千万円を貰うことになる。
但し、これは日本人のお母さんに限定だ。
何故なら、アメリカが困っているように、
某外国から、
その利益にありつくために
妊婦がどっと来日することになるからだ。
その某国は、あつかましい国だ。