祝 主権回復! | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 


四月二十八日は、我が国が、
敗戦による被占領状態から脱却して主権を回復した
サンフランシスコ講和条約発効の日だ。

我が国は、
大東亜戦争において連合国に降伏し、
昭和二十年九月二日の「降伏文書調印」から
昭和二十七年四月二十七日の「サンフランシスコ講和条約発効」
の前日まで、
連合国軍の占領下におかれた。
我が国は、
合意した降伏文書に記された次の文言通り、
国家主権を失った。
「天皇及び日本国政府の、国家統治の権限は、
本降伏条項を実施する為適当と認める措置を執る
連合国最高司令官の制限の下に置かるるものとする。」
この降伏文書の日本側署名者は、
大日本帝国天皇陛下及び日本国政府の命に依り且其の名に於いて 重光葵
日本帝国大本営の命に依り且其の名に於いて 梅津美治郎
連合国側署名の筆頭は
連合国最高司令官 ダグラス・マッカーサー
合衆国代表 C・W ニミッツ
そして、
我が国と連合国との間で昭和二十六年九月八日に署名された
サンフランシスコ講和条約
第1条(a)日本国と各連合国間との戦争状態は、第23条の定めるところにより、この条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。
同(b)連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。
によって、
我が国は、昭和二十七年四月二十八日に主権を回復する。

安倍晋三さんが、政権に復帰した平成二十四年から、
「戦後体制からの脱却」や「日本を取り戻す」と
よく言われるようになったが、
以上の事実を明確に踏まえなければ、
では、具体的に何をすれば日本を取り戻すことになるのか?
と問われて、答えられない。
従って、
平成二十五年四月二十八日、
安倍内閣が、日本国政府主催で、
天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、
憲政記念館で「主権回復を祝う会」を開催したことは、
非常に価値のあることであり、
これが、安倍内閣最大の功績になり得ると思ったものだ。
私は、この憲政記念館の会に出席し、
御退席になる両陛下をお見送りし、
その後、
平成九年から、故井尻千男さんや小堀桂一郎さんらが
毎年四月二十八日に開いている
民間有志の主権回復の日を祝う会に出席し、
次の通り挨拶した。

主権回復を祝うということは、
回復の前には
我が国には主権が奪われてなかったことを確認することだ。
従って、安倍内閣が言う
「日本を取り戻す」とは、
我が国に主権が無い時に、奪われたものを取り戻し、
押しつけられたものを廃棄することに他ならない。
よって、我らは、
日本を取り戻す為に、
奪われた「帝国陸海軍」、即ち、我が国軍、
そして「大日本帝国憲法」を取り戻さねばならない。
同時に押しつけられた
「日本国憲法」を廃棄しなければならない。

私は、日本が
「誇り高き日本」として永続する為には、
之しかないと確信している。

従って、安倍内閣が
「日本を取り戻す」ことに連なる「主権回復を祝う会」を
毎年四月二十八日に開催し続けることを期待した。
しかし、この会は、平成二十五年だけで、
その後、忘れたかの如く、七年が打ち過ぎた。
「日本を取り戻す」を掲げて政権に復帰した
安倍晋三君、これでは、
始め脱兎の如く、後、匹夫の如し、
ではないか。

しかし、日本国政府が「主管回復を祝う会」を主催して、
昭和二十年九月二日から昭和二十七年四月二十七日迄の間、
「我が国は主権を奪われていたこと」
を公的に確認したことは事実である。
之、安倍晋三総理の、大きな功績であろう!
よって、
「日本国憲法」無効宣言、即ち廃棄は、
我らの掌中に入っている。
従って、迫る危機が眼前に見えたとき、
日本国民は
即座に楠木正成の同志である明治の日本人に戻るだろう。
「日本を取り戻す」とはこういうことだ。
その時、
「日本国憲法」など蜃気楼のようになくなっていて
日本国民は、明治天皇の御製の通りになる。
敷島のやまとこころのををしさはことあるときそあらはれにける