歴史に学ぶということは、
このような民族の行動パターンに学ぶということか、
文氏側近、6日聴聞会=野党議員が疑惑追及へ-韓国
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と、
平成28年2月10日の産経新聞「正論」で
筑波大学大学院教授の古田博司氏が指摘されているので、
私も、韓国朝鮮に関し、
自分の親しい人から教えられたことや、
私自身が感じたことを書いておく。
9月1日は、関東大震災の日であるが、
その時、東京一帯で、六千名の朝鮮人が殺害されたと主張する団体の朝鮮人慰霊糾弾集会が東京墨田区の横綱公園で開かれたと聞いた。
その横綱公園では、
地震で亡くなった地元住民の慰霊祭が行われていたのだが、
その地元の慰霊祭は、
朝鮮人慰霊糾弾集会の攻撃的な参加者達の為に圧迫され、
警察に保護された状態で行われたという。
架空の従軍慰安婦強制連行、
その次は、
架空の徴用工奴隷労働
そして、
本年9月1日は、架空の関東大震災朝鮮人六千人虐殺だ。
これ、
この民族の見事な行動パターン通りの展開ではないか。
(1)
台湾の司馬遼太郎さんが「老タイペイ」と呼んだ
故蔡焜燦先生は、
終戦時、陸軍航空整備学校奈良教育隊の生徒だった。
そして、敗戦を知らされたときのことを
著書「台湾人と日本精神」で次のように書かかれている。
「敗戦の事実が我々台湾出身生徒にも正式に伝達されたとき、
悔しさと無念の気持ちでいっぱいになり、
とめどなく込み上げる涙で頬を濡らしたことはいまでも鮮明に覚えている。
無性に悔しかった。それは他の台湾出身生徒も同じ心境だった。
他方、朝鮮出身の生徒達は、
その日から食料倉庫、被服倉庫を集団で強奪するなど、
したい放題のありさまで、我々は複雑な心境でただそれを眺めていた。
日本人を殴って『戦勝国になったんだ』と威張り散らす者もいれば、
『独立だ!』と気勢を上げる輩もいる。
敗戦の報は、それまで一つだった“国民”を、三つの国民に分けてしまったのである。
・・・引き上げ列車の中で、
私を含め敗戦で意気消沈する日本人をいびり続け、
肩をいからせていた朝鮮人達が、
『中華民国台湾青年隊』の腕章をつけた我々に
おべっかを使って擦り寄ってきたのである。
・・・弱い者には威張り散らし、強いも者には媚びへつらう、
そんな彼らの極端な習性を目の当たりにした思いがした。」
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(2)
近くに住んでいた方で、
大阪千日前で立派な映画館を経営していた方がいた。
その方は、戦前、
難波の高島屋北の戎橋商店街に入ってすぐの所にあった小学校を卒業した方で
お家は、もともとその一帯に広い地所をもっていた。
その方が少年の私に言った。
大阪の空襲で千日前一帯が焼け野原になったとき、
毎日夜は焼け跡に泊まり込んで土地を守った。
そうしないと、すぐに朝鮮人が泊まり込むからや。
焼け跡に泊まり込む男がいない家の土地は、
すぐ小屋を建てて住み込んだ朝鮮人に占拠されて奪われた。
朝鮮人は、
この土地は俺の土地だと暴れまわって奪ってしまうんや。
(3)
敗戦後の神戸の街は、
警察の力では治安が維持できない状態だった。
我が物顔に暴れていたのは
蔡焜燦さんも言っていた
敗戦国民ではなく戦勝国民でもない輩だった。
彼らから神戸の治安を守ったのは
田岡さんの山口組の連中だったと聞いている。
阪神淡路大震災の時、
三宮のそごう百貨店神戸支店の建物が二つに折れて潰れた。
その時、東京から
そごう百貨店の宝石売り場の宝石を狙って
東名・名神を車で飛ばして来た奴がいた。
それは日本人ではないと聞いている。
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(4)
東日本大震災の時、
大島等々の被災地に長期滞在していた友人の写真家がいる。
彼が度々遭遇したのは、
津波で更地になった土地に勝手に住み着いていた者達と
自分が住んでいた土地を見に帰ってきた住民との争いだった。
勝手に住み着いていた者は、
片言の日本語で
「ここは昔から自分が住んでいた」
と怒鳴っていたという。
(5)
次は、私が会った素朴な方々。
大阪の鶴橋駅のガード下の小屋で、
五名で満員になる小さな「焼き肉屋」をしている母娘がいる。
前に行ったとき、満員だったので、
「ええ店ないか」と聞くと、
娘が走って行って、仲間の「ええ店」に連れて行ってくれた。
次は、彼女の店でゆっくりと食べた時の対話。
私、
韓国の釜山出身らしいが、時々、釜山に帰るのか
おばちゃん、
前に帰ったことあるけど、おられへんねん。
ことば分かれへんやん、日本が一番ええねん。
おばちゃんは、
祖国の韓国よりも日本に住むのが「ええねん」という。
これは正直な気持ちであろう。
やはり、韓国より、日本はいい国なんだと思う。
以上が、韓国・朝鮮に関して、
私が親しく会った方々から聞いたことなどである。
一人一人が、どういう性格か、どういう生き方をしているか、ではなく、「民族の行動パターン」を把握する上で参考になると思う。
そこで、
関東大震災の時の朝鮮人の行状であるが、
朝鮮人による略奪や暴行そして土地や家の不法占拠は
確実にあったとみるのが当然である。
朝鮮人が井戸に毒を入れたという流言があったと聞いているが真偽は分からない。
とはいえ、
自分の家に戻ったら勝手に朝鮮人が住んでいて
「俺の家だ」と居座った話は伝わっている。
震災直後の東京の街の治安は、
戦後の神戸のように乱れていた。
従って、自警団が組織され、
辻に日本刀を握って立っている自警団の男の写真も残っている。
だから暴徒や略奪者が裁判という手続きによらず
現場で殺害されたのは事実であろう。
国籍を問わず暴徒二百数十人が殺されたという記録があると聞いている。
しかし、
朝鮮人六千名が殺された、というのはウソである。
9月1日の横綱公園での慰霊糾弾集会の前提は、
ウソである。
他国で、ウソを持ち出して騒ぐより、
まず自国の、
光州事件で何人が殺されたのか、
李承晩時代の済州島で何万人が殺されたのか、
を確認し、
さらに日本統治時代における
日本の施策による朝鮮の発展と近代化の成果を
確認したらどうか。
令和元年九月五日(木)
西村眞悟FBより。