北海道の児童救出に、次は拉致被害者救出だと思う。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

平成28年6月3日(金)

 
 本日午前七時五〇分、
 北海道の七飯町で五月二十八日午後五時ころから行方不明になっていた
 七歳の田野岡大和君が、自衛隊の駒ヶ岳演習場内の小屋で発見され保護された。
 このニュースに接したとき、
 数日間にわたって心に重たくのしかかっていた心配が
 ぱっとなくなり、
 晴れわたったようなうれしさが込み上げた。
 まことによかった。
 日中でも十度を超えない北海道の気候を伝える気象報道を見る度に心が痛み、
 本土の月の輪熊より遙かに大きなヒグマが出没する
 北海道の森林を一人さまよう七歳の子のことを思うと気が気でなかった。

 それにしても気丈な子だ。
 大和君は、置き去りにされた五月二十八日の夜に森の中を歩き駒ヶ岳を越えて演習場の小屋に入り、
 水を飲みながら、六月三日に発見されるまでじっとしていたという。

 本日朝、田野岡大和君、無事救出によって、日本中がほっとして喜んだように感じた。
 午前八時から大和君の捜索のために森に入る準備をして集結していた
 数百人の自衛隊や警察や消防隊員達は、
 大和君救出の知らせを受けてわっと喜びどよめいたという。

 人が助かるということは、これほど嬉しいことなのだ。
 人を助けるということは、これほど大切なことなのだ。

 そこで、やはり書いておきたい。
 五月二十八日から六月三日まで、
 幼い息子の無事と救出を祈る思いで待ち望んでいた大和君の両親と、
 全く同じ思いで、
 数十年間にわたって!
 わが子の救出を待っている多くの両親がいる。
 北朝鮮に拉致されたわが子を待つ親御さん達だ。
 
 五月三十日、東京で、
 昭和五十二年十一月に北朝鮮に拉致された
 当時十三歳だった横田めぐみさんのご両親に会った。
 平成九年に初めてお会いしてから十九年の歳月が流れた。
 その間、めぐみさんを救出できず、
 まことに申し訳ない思いが年々増幅してくる。
 そして、何の顔(かんばせ)あって、
 めぐみさんのご両親に相見えることができようかと思うのである。
 今日は、大阪で、
 神戸の拉致被害者有本恵子さんのお父さんに会う。
 未だ恵子さんを助けられず、
 まことに申し訳ない。

 そう、まさに、大和君救出が、重大な緊急課題であったように、
 数百人の拉致被害者救出は、重大な緊急課題である。
 従って、この課題に無関心な政治は、存在意義を失う。

 よって、言いたい。
 この夏の参議院選挙の課題は、拉致被害者救出ではないのか。
 しかも、この参議院選挙は、
 北朝鮮が日朝ストックホルム合意の廃棄を宣言してから初めて迎える国政選挙ではないか。

 皇后陛下は、平成十四年十月二十日に、
 拉致事件に関して次のお言葉を発せられた。
「わたしたち皆が、自分たち共同社会の出来事として、
 この人々の不在をもっと強く意識し続けることが出来なかったのか
 との思いを消すことができません。」

 そして、現在も、このお言葉通り、
 政治は、「この人々の不在を意識していない」

 共産党と連携して安保法制の廃止を目指すとか、
 消費税率引き上げ延期の是非を問うとか、
 アベノミクス失敗の責任を問うとか・・・。
 こういうことしか頭に浮かばない連中に期待しても無駄だし無意味だ。

 これに対して、国民こそは、
 「この人々の不在を強く意識し続けている」
 そして、拉致被害者救出は、
 ご両親の年齢から見て、土壇場を迎えている。

 従って、日本のこころと私は、この夏、
 拉致被害者救出の国民運動としての選挙を展開してゆく。

 

 

西村眞悟の時事通信より。