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【朝鮮進駐軍】 

【朝鮮進駐軍】「在日一世」による朝鮮人犯罪及びテロ行為について
保守速報
カテゴリ:管理人おすすめ 在日韓国・朝鮮人

 
  

遺伝子異常【 朝 鮮 民 族 在 日 】の黒歴史 

「在日一世」による朝鮮人犯罪及びテロ行為について

戦後当時の日本では戦場に男手が駆り出され極度の男手不足に陥っており、
また都市部においても疎開や空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いていた。
また警察組織においても、武器の使用が認められないなど戦後特有の制限があり。  
戦後朝鮮人犯罪が増加の一途をとどった背景には、このような犯罪に対する抑止力の空白化が背景にあったとされている。 
いまでは考えられないことではあるが、当時はヤクザ(現在の指定暴力団)が朝鮮人から、
日本人の生活を守る役割を一部果たしていた。 
この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、【 通名 】を使用しだすのは
朝鮮の姓に対して嫌悪感や犯罪者といったイメージを日本人が抱くようになってからである。 

◎服装・武器及び組織について

戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。
銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍の武器で武装し組織化を行った。  
朝鮮進駐軍では旧日本空軍のパイロットの軍服を好んで着用したが、
これは日本兵に対するあてつけとも、日本人(皇民)に対するあてつけとも言わた。
組織ではいくつかの本部設けたが、実際は各地域ごとに部隊名をつけその部隊が、
個別に日本人を狙った犯罪行為を繰り返しすことが多かった。  
朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)はのちの在日本朝鮮人連盟。
更にこれが在日本大韓民国民団(略称「民団」)と
在日本朝鮮人総聯合会に分かれ、これが現在の民団と朝鮮総連となる。

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「在日一世」による犯罪

自称 朝鮮進駐軍による犯罪は全国に及んだ。
特に川崎・大阪・神戸・都心等当時朝鮮人が比較的多かった地域で多発した。  
特に東京では、原宿等を中心に三八式歩兵銃や拳銃・日本刀等で武装した
朝鮮人によって占拠されており、のちに警察やGHQにより鎮圧された。  
市民を狙ったものとして白昼に堂々と集団で婦女子に暴行を加えるなど、
多数の犯罪行為を行った。拳銃や刃物で武装しており一般市民は無力であり
繰り返し行われることも多かったため被害が拡大した。

またGHQの調べでは少なくとも4000人の日本人市民が殺害されており、
多い説では1万人以上であったとも言われている。

1945年12月翌1月におきた生田警察署襲撃事件では武装した朝鮮人50人が襲撃し
警察署を占拠。翌46年には長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が
同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせうち1名は死亡にいたらしめた。

46年には国会議事堂前でも集まった2000人の朝鮮人と応援出動した
武装警官358名・進駐軍憲兵20名とが銃撃戦に発展。  
首謀者は軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。
1948年4月には阪神教育事件では数千人の朝鮮人によって庁舎が占拠された。 
これに対して3000名の警官隊を動員して、朝鮮人を庁舎から強制排除し
1800名の朝鮮人が検挙された。戦後はこのような事件が「日本各地」で続発した。 

「朝鮮進駐軍」と名乗る在日一世の朝鮮人暴徒たちは、通りすがりの市民に
言いがかりをつけ集団暴行をはたらく。無銭飲食は当たり前、白昼に目に付いた
婦女子を路上で集団強姦するなどを、日常茶飯事に繰り返した。  
在日朝鮮人は「朝鮮進駐軍」部隊と名乗り、武装して、町をのし歩いた。
彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩した。  
腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を振り回しては、
手当たり次第に日本人を殺傷、暴行し、略奪の限りを尽くした。  
通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬといっては難くせをつけ、無銭飲食をし、
白昼の路上で婦女子にいたずらをした。  
善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。 
こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。
袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、
肩で風を切って街をのし歩いた。  
警官が駆けつけても手も足もでない。
終戦後の警官が、一切の銃器の所持が許されていなかったのをよいことにして、  
「おれたちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人がなにをいうか」 
と、丸腰警官を殴り、ド突き回し、警備用の木刀や飾りのサーベルをヘシ曲げた。  
戦後当時の「朝鮮進駐軍」とは今日の朝鮮総連本部である。  
今の朝鮮総連となる「在日朝鮮人連盟中央総本部」である。 
 
 
「在日一世」による戦後当時の日本人に対して犯した凶悪事件 

●終戦後 「朝鮮進駐軍」武装部隊が首相官邸襲撃●
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「朝鮮進駐軍」部隊2000人による「首相官邸襲撃事件」が1946年起きた。

約2000人 の在日朝鮮人「朝鮮進駐軍」部隊が完全武装して首相官邸に突入。
日本の警官隊は当時武器の所持は禁じられていため、米軍憲兵隊に応援を頼んだ。
そこで米軍憲兵隊と「朝鮮進駐軍」との間で大銃撃戦闘へと発展した。  
戦後の在日朝鮮人は、なんの国際法上の地位もないにも関わらず、
勝手に自分たちを「戦勝国民である朝鮮進駐軍」であると詐称し、
三万人もの武装集団となって全国主要都市に出現し暴れまくった。  
在日朝鮮人集団は、武装解除された日本軍の武器と軍服を盗用して武装し、
勝手に「朝鮮進駐軍」と名乗り、無差別に多くの日本人市民を殺害した。  

【GHQの 記録に残っているだけでも四千人以上の殺害記録が残されている。 】

戦後の治安が整っていない空白を良いことに、「朝鮮進駐軍」と名乗った在日朝鮮人は、
土地の不法略奪、金品略奪、強姦、銀行襲撃、殺略、警察襲撃など暴れ放題の限りを尽くした。  
「朝鮮進駐軍」と名乗る暴徒たちは、個々に部隊名を名乗り、各地で縄張りを作り暴れた。
これら「朝鮮進駐軍」 元締め組織が「朝鮮総連」、ヤクザなどになっていった。  
国有地も、都心駅前一等地周辺も、軒並み不法占拠した。
そしてそのまま、パチ ンコ屋、飲み屋、風俗店等々が出現し、
そのまま彼らの土地として登記され現在に至っている。  
農家、農協倉庫を襲い、貨車を襲撃、商店街、
国の食料倉庫も襲い、食料や商品を根こそぎ 奪って行き、
それらは全て戦後の闇市で売りさばき、暴利で財を成したのは彼らであった。  
財を成したのは彼らは分派し、
政治組織として社会主義、共産主義組織へと発展し、政界にも進んだ。 

第八軍司令官ロバート・アイケルバーガー中将は、
正規の大部隊を治安確保のため朝鮮人に対して街中に簡易陣地を引くなどして配備した。 
GHQダグラス・マッカーサー最高司令官は
「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と発表するなど
朝鮮人に対する取り締まりにおわれた。  
昭和26年に浅草で朝鮮進駐軍と思われる朝鮮人が起こした集団暴力事件では、
米兵一名が死亡、二名が負傷した。

◎自称朝鮮進駐軍 「在日一世」

在日朝鮮人は日本人を4000人以上虐殺し日本から土地を略奪し
日本人婦女子を強姦しまくった。一般に朝鮮進駐軍と言ったときは、
おおむね1945年昭和20年以後に現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人・韓国人)、
もしくは現在日本に帰化または半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織を指す。  
戦後、日本がポツダム宣言を受け入れると日本各地で、
婦女暴行、窃盗、暴行、殺人、略奪、警察署の襲撃、公的機関への襲撃、
土地建物の不法占拠、鉄道や飲食店での不法行為等様ざまな朝鮮人による犯罪が多発した。 
GHQの資料にあるだけでも最低4000人の日本人市民が
朝鮮進駐軍の犠牲となり殺害され7000人以上の女性がレイプされた。 
戦後、在日自身が犯した犯罪を、謝罪も賠償もしないで権利をよこせとか
犯罪を犯してばかりの朝鮮人を知った日本人が擁護する奴なんかいねーからw 

「在日一世」による戦後、当時の日本人に対して犯した主な事件一覧


朝鮮進駐軍及びその後の在日本朝鮮人連盟が関わる事件の一覧である。 

大阿仁村事件(1945年10月22日)  
生田警察署襲撃事件(1945年12月24日、1946年1月9日)  
直江津駅リンチ殺人事件(1945年12月29日) 
富坂警察署襲撃事件(1946年1月3日) 
長崎警察署襲撃事件(1946年5月13日)  
富山駅前派出所襲撃事件(1946年8月5日)  
坂町事件(1946年9月22日)
新潟日報社襲撃事件(1946年9月26日~29日) 
首相官邸デモ事件(1946年12月20日) 
尾花沢派出所襲撃事件(1947年10月20日) 
阪神教育事件(1948年4月23日~25日) 
評定河原事件(1948年10月11日~12日)
宇部事件(1948年12月9日)
益田事件(1949年1月25日)
枝川事件(1949年4月6~13日)
高田ドブロク事件(1949年4月7日~11日)
本郷村事件(1949年6月2日~11日)
下関事件(1949年8月20日)
台東会館事件(1950年3月20日)
連島町事件(1950年8月15日) 
第二神戸事件(1950年11月20~27日)
四日市事件(1951年1月23日
王子事件(1951年3月7日)
神奈川事件(1951年6月13日)
下里村役場事件(1951年10月22日)
福岡事件(1951年11月21日)
東成警察署催涙ガス投擲事件(1951年12月1日)
半田一宮事件(1951年12月3日~11日)
軍需品製造工場襲撃事件(1951年12月16日)
日野事件(1951年12月18日)
木造地区警察署襲撃事件(1952年2月21日~23日)
姫路事件(1952年2月28日)
八坂神社事件(1952年3月1日)
宇治事件(1952年3月13日)
多奈川町事件(1952年3月26日~30日)
田川事件(1952年4月19日)
岡山事件(1952年4月24日~5月30日)
血のメーデー事件(1952年5月1日
上郡事件(1952年5月8日
大村収容所脱走企図事件(1952年5月12日~25日、11月9日~12日)
広島地裁事件(1952年5月13日)
高田派出所襲撃事件(1952年5月26日)
奈良警察官宅襲撃事件(1952年5月31日)
万来町事件(1952年5月31日~6月5日)
島津三条工場事件(1952年6月10日)
醒ヶ井村事件(1952年6月13日
葺合*長田事件(1952年6月24日)
吹田*枚方事件(1952年6月24日~25日)
新宿駅事件(1952年6月25日
大須事件(1952年7月7日)
舞鶴事件(1952年7月8日)
五所川原税務署襲撃事件(1952年11月19日~26日)
法務研修所編『大須騒擾事件について』1954年
横幕胤行、富久公、船越信勝『吹田・枚方事件について』1954年

篠崎平治『在日朝鮮人運動』1955年
大阪市行政局編『大阪市警察誌』1956年
新潟県警察史編さん委員会編『新潟県警察史』1959年
 名古屋市総務局調査課編『名古屋市警察史』1960年
瓜生俊教編『富山県警察史 下巻』1960年
山形県警察史編さん委員会編『山形県警察史 下巻』1971年
宮城県警察史編さん委員会編『宮城県警察史 第2巻』1972年
大阪府警察史編集委員会編『大阪府警察史 第3巻』1973年
警視庁富坂警察署編『富坂警察署100年史―新庁舎落成記念―』1975年
兵庫県警察史編さん委員会編『兵庫県警察史 昭和編』1975年
愛知県警察史編集委員会編『愛知県警察史 第3巻』1975年
 青森県警察史編纂委員会編『青森県警察史 下巻』1977年
坪井豊吉『在日同胞の動き』1977年
警視庁史編さん委員会編『警視庁史〔第4〕』1978年
思想の科学研究会編『共同研究 日本占領研究事典』1978年
仙台市警察史編纂委員会編『仙台市警察史―仙台市における自治体警察の記録―』1978年
長崎県警察史編集委員会編『長崎県警察史 下巻』1979年   李瑜煥『日本の中の三十八度線―民団・朝総連の歴史と現実―』1980年
福岡県警察史編さん委員会編『福岡県警察史 昭和前編』1980年
山口県警察史編さん委員会編『山口県警察史 下巻』1980年
 警察文化協会編『戦後事件史』1982年
日本国有鉄道公安本部編『鉄道公安の軌跡』1987年
講談社編『昭和・二万日の全記録 第9巻』1989年
 朴慶植『解放後 在日朝鮮人運動史』1989年
 百瀬孝『事典・昭和戦前期の日本 制度と実態』1990年
金慶海、堀内稔編『在日朝鮮人・生活擁護の闘い』1991年
 荒敬『日本占領研究序説』1994年
百瀬孝『事典・昭和戦後期の日本 占領と改革』1995年
 竹前栄治、中村隆英監修『GHQ日本占領史 第16巻 外国人の取り扱い』1996年
 『秋田魁新報』1945年
 『神奈川新聞』1951年
 『西日本新聞』1951年
 『中部日本新聞』1951年、1952年
 『大阪新聞』1952年
 『京都新聞』1952年
 『神戸新聞』1952年
 『山陽新聞』1952年
 『中国新聞』1952年



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