戦艦三笠 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

 

記念艦三笠は艦首を皇居の方角に向けて陸に固定されている =神奈川県横須賀市

 戦後70年の今年は、同時に日露戦争からの戦後110年でもある。旧海軍記念日の5月27日、神奈川県横須賀市の記念艦「三笠」で「日本海海戦記念式典」が開かれ、米海軍の軍人や海上自衛官らも参列して歴史的な大勝利を回顧した。昨年度は44年ぶりに来艦者数が20万人を超える大盛況。ロシアと戦い、米英の尽力で復活した三笠は、平成の老若男女の前で威容を誇っている。
(溝上健良)

世界史における金字塔

 記念艦(戦艦)三笠は日露戦争時の連合艦隊旗艦。艦橋には明治38(1905)年5月の日本海海戦で砲弾が飛び交う中、東郷平八郎司令長官が立ち続けた跡が示されている。NHKで放映されたドラマ「坂の上の雲」では、艦内でもロケが行われている。

 満艦飾が施された三笠の講堂で挙行された記念式典には、海上幕僚長や自衛艦隊司令官、米海軍第7艦隊司令官、地元の横須賀市長をはじめ約500人が列席。国歌斉唱と日露両国将兵への黙祷(もくとう)に続いて、国旗と軍艦旗(海上自衛隊旗)をバックにして壇上に立った三笠保存会の増田信行会長が祝辞を述べた。

 増田会長は日露戦争に至る過程を描いた小説『坂の上の雲』冒頭の一節を引きながら「19世紀になると列強が支配した植民地は実に世界の8割強であり、この弱肉強食の時代に日本という『まことに小さな国が、明治という開花期を迎えた』ことになります」と、当時の時代状況を振り返った。

 
 
記念艦三笠の講堂で開かれた日本海海戦記念式典であいさつする三笠保存会の増田信行会長 =5月27日、神奈川県横須賀市

 その中で、特にロシアの動向について「幕末にはすでに清国から沿海州を獲得して南下の機会をうかがっており、朝鮮半島にも露骨な触手を伸ばしてきました」「このままではロシアに朝鮮半島を支配され、日本も清国と同じ命運をたどる…と危機感を抱いた日本は、わが国の主権を守るため、海洋国家・英国と同盟を結び、大国ロシアと戦う決断をしたのであります。まさに(日露戦争は)自存自衛の防衛戦争でありました」と解説した。先の大戦後、教育現場の一部では「日露戦争は日本の侵略戦争だった」と教えられており、かの「村山談話」も日清・日露戦争が侵略戦争であったかのように読める内容となっている。しかし、そうではないのだ。

 当時の日本には財力もなく、自前で戦艦を造る力もなかったため、莫大(ばくだい)な借金をした上で三笠をはじめ英国製の戦艦を購入してロシアの南下に備えたのだった。『坂の上の雲』を通読すれば、明治政府の高官がいかにロシアとの戦争を恐れ、避けたいと考えていたのかが読み取れる。ロシアとの戦闘も紙一重での勝利ばかりで、これを侵略戦争というには相当な無理があるのではないか。

 国を挙げて軍備増強を図ったものの開戦時、ロシアの海軍力は日本に倍するものがあった。しかし陸軍との協力で旅順(現在の中国・大連市の地区)にいたロシアの艦隊を撃破し、はるばるヨーロッパからやってきたバルチック艦隊を対馬海峡で迎え撃ち、完勝したのだった。まさに「まことに小さな国」が超大国・ロシアを破ったのであり、それだけに増田会長は「大東亜戦争に敗れたとはいえ、この日露戦争、日本海海戦での勝利は日本民族の誇りであり、世界史における金字塔であることに何ら変わりはありません」と力を込めた。この歴史的事実を忘れてはいけないのだといえる。

 他国ではどうなのだろう。「英国では日本海海戦のちょうど100年前のトラファルガー沖海戦の勝利を、いまだ国民挙げて祝い、語り継ぎ、英国民の矜持の中核の一つをなしています」。それゆえ「わが国もこの日本海海戦110周年の記念の年に、この勝利を国民こぞって、誇りを持って祝うとともに、明治の先達が示した国を守る気概と勇気に学ぼうではありませんか」と、増田会長は呼びかけた。まさに『坂の上の雲』の精神よ再び、といったところだろう。

ニミッツ提督の尽力

 増田会長、井上力横須賀地方総監に続いてあいさつに立った米第7艦隊のトーマス司令官は「個人的には私は旗艦・ブルーリッジよりも東郷元帥が乗っていた三笠のほうが好きです」と会場の笑いを誘い、記念艦三笠の復活に尽力した米海軍のニミッツ提督の業績に触れた。

 先の大戦の敗戦後、日ソ中立条約を破棄して終戦直前に参戦したソ連は、記念艦三笠の解体を強硬に主張した。米英のとりなしで解体の危機は免れたものの、艦橋や砲塔などが撤去され、三笠はダンスホールや水族館として利用されることになる。やがてそれも廃れ、一時は“幽霊船”のような状態だったという。

 そこで立ち上がったのが日本人に加え米英の有志だった。特に東郷平八郎元帥を尊敬していたというニミッツ元帥をはじめとする米海軍の尽力もあって、昭和36年に三笠は記念艦として復活したのだった。

 トーマス司令官は「2009年夏に寄港した空母ニミッツの乗員は、ニミッツ元帥と東郷元帥との関係にスポットライトを当てるべく、三笠で開催された諸行事に参加し、この高名な戦艦に塗装を施したほか、三笠艦上でのレセプションにも参加しました」と、米海軍と三笠の交流を紹介。「家族や友人と一緒に三笠の艦内を見学すると、自由を守るために東郷元帥が発した『各員一層奮励努力せよ』との命令に思いをはせることになる。現在の不確実な世界に生きる私たちに、彼の言葉は真実味があり心に響く」と訴えかけた。続いて登壇した地元・横須賀市の吉田雄人市長は「私も記念艦三笠の(三笠保存会の)終身会員にならせていただきました。ポケットマネーで、でございます」とあいさつして拍手喝采を浴び、三笠のますますの発展のために会員登録を呼びかけていた。

 多くの人の尽力があって、三笠は艦首を皇居の方角に向けて横須賀の地に鎮座し、来艦者を待っている。最近は人気ゲーム「艦隊これくしょん(艦これ)」の影響で、海外からも“聖地巡礼”に三笠を訪れるファンが多く、来艦者数を押し上げている。今春、JRの上野東京ラインが開通したこともあり、三笠保存会は広報活動を強化している。担当者は「北陸新幹線開通の影響もあり、北関東や北陸方面からの来艦者が今年度は増えている」と話す。

 きょうも三笠のマストには「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」との決意を示すZ旗がはためき、三笠公園の東郷平八郎連合艦隊司令長官の銅像は遠く対馬海峡を目指してやってくるバルチック艦隊ににらみをきかせている。

 

「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」-。記念艦三笠のマストには今もZ旗がひるがえる

 

記念艦三笠の前で、遠く対馬海峡をにらむ東郷平八郎・連合艦隊司令長官の銅像。像のわきには「皇国興廃在此一戦」の文字が、三笠のマストにはZ旗がみえる

 

この主砲は戦後に復元されたもの。それでも迫力十分 =神奈川県横須賀市の記念艦(戦艦)三笠

 

記念艦(戦艦)三笠の艦尾には長官専用の回廊がある =神奈川県横須賀市

 

「慢心してはダメ…」。記念艦三笠で開かれている「艦隊コレクション」展では、特に航空母艦「赤城」の人気が高い =神奈川県横須賀市

 

約360隻の艦船模型が並ぶ「艦隊コレクション」は艦これファンが押し寄せる人気ぶりで、展示が1年延長になった =神奈川県横須賀市の記念艦三笠

 

「英国で生まれた帰国子女の三笠デース!」。日本海海戦記念式典が開かれた記念館三笠 =5月27日、神奈川県横須賀市

産経ニュース