朝日は自分の反対者を悪者や陰謀家に仕立てる。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

【阿比留瑠比の極言御免】

反射的に安倍政権けなす「朝日」
偏見打破どころか、歪んだステレオタイプを拡散

 「今朝の朝日新聞の1面記事を見たかい。わざわざ菅義偉官房長官の名前を出してあおっていた。安全保障法制は危険だと印象付けるのが狙いだろう」

 政府高官は26日夜、周囲にこう指摘した。その記事は「集団的自衛権どこまで」「菅氏『新3要件下で敵基地攻撃も』」との見出しで、リード部分には「他国のミサイル発射を防ぐための敵基地攻撃も可能とする見解が示された」と書いている。

 見出しとリードだけ読むと、読者は安全保障関連法案によって、新たに敵基地攻撃が可能となったように誤解しかねない。だが実際は、すでに昭和31年に当時の鳩山一郎首相が衆院内閣委員会で次の有名な政府統一見解で示している。

 「座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とするところだとは、どうしても考えられない。他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能である」

 つまり、これはもともと個別的自衛権で認められていた範囲であり、新たな安保法制下でも可能なのは理の当然だろう。にもかかわらず朝日の記事は、「敵基地攻撃も他国領域での武力行使の『例外』として加えることで、新3要件に当てはまれば行使の範囲が際限なく広がる可能性が出てきた」と書くのである。

 24日付朝日朝刊の杉田敦法政大教授と長谷部恭男早稲田大教授の対談記事「安保法制安倍政権の『話法』から考える」も、その手法に同様の危うさを感じた。安倍晋三首相に関する以下のやりとりがそれだ。

 杉田氏「首相は党首討論で、ポツダム宣言を『読んでいない』とし、先の大戦の評価についての質問に答えなかった」

 長谷部氏「読んでもいないものから脱却しようとは、マジシャンそこのけです」

 安倍首相は「その部分をつまびらか(事こまか)に読んでいない」と答弁しただけで、全部「読んでいない」などと言っているのではない。安倍政権の「話法」をうんぬんする前に、自分たちの言葉遣いにもっと注意した方がいい。

また、ポツダム宣言については、民主党の岡田克也代表も22日の記者会見でこう述べている。

 「今まで何度か読んだことあるが、中身をあまり鮮明に覚えているわけではない。党首討論の後、また読んだが、非常にわかりにくい文章だという印象だ」

 安倍首相を繰り返し批判するのであれば、岡田氏のこの発言も批判的に取り上げないと筋が通らないはずだ。とにかく、安倍首相とその政権の言うことなすことステレオタイプに「問題がある」「危険だ」ととらえ、反射的にけなすという姿勢はいかがなものか。

 ステレオタイプという言葉を定着させた米国のジャーナリスト、リップマンは著書『世論』(1922年刊行)でこう戒めている。

 「われわれはたいていの場合、見てから定義しないで、定義してから見る」

 「ステレオタイプが無批判に受け入れられると、配慮されなければならない多くのことがふるい落とされてしまう」

「われわれは自分の反対者を悪者や陰謀家に仕立てる」

 本来、メディアには社会の固定観念や偏見を打破する役割が求められている。ところが現実は、メディアが率先してゆがんだステレオタイプを広めているようだ。
(政治部編集委員)

産経ニュース