不当判決。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 
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在日に「本名使え」で慰謝料支払い命令!静岡地裁・履歴書に偽名記入を認めた「日立就職差別事件」

社員に「本名を使いなさい」と言った社長に対して、慰謝料を支払うよう命令した静岡地裁

http://www.asahi.com/articles/ASH4S5W0SH4SUTPB01B.html
在日男性に本名強要、慰謝料支払い命令 静岡地裁
2015年4月24日20時38分、朝日新聞

 静岡県の40代の在日韓国人の男性が、勤務先の社長に日本での通名ではなく本名を使うよう強要され、精神的苦痛を受けたとして、社長に慰謝料330万円を求めた訴訟の判決が24日、静岡地裁であった。大久保正道裁判長は、社長に55万円を支払うよう命じた。社長側は控訴する方針。

 判決によると、男性は日本で生まれ育った。通名を使用していたが、2012年11月と13年1月に勤務先で社長から「朝鮮名で名乗ったらどうだ」などと言われた。判決で大久保裁判長は、通名を使うことは男性のアイデンティティーの中核を成していると指摘。社長の発言について「著しく不快感を与えるもので、自己決定権及びプライバシー権を実質的に侵害する」と男性側の主張を認めた。

 判決後、男性は「金額の問題ではなく、自分の主張が認められて満足している。自分は日本人だと思っているし、これからも通名を名乗っていきたい」と話した。



>静岡県の40代の在日韓国人の男性が、勤務先の社長に日本での通名ではなく本名を使うよう強要され、精神的苦痛を受けたとして、社長に慰謝料330万円を求めた訴訟の判決が24日、静岡地裁であった。


本名を使うのは当たり前のことだ!

会社の社長が社員に対して「偽名ではなく本名を使いなさい」と言うことは当然すぎることだ!

それなのに、偽名を使いたい在日が「精神的苦痛を受けたニダ」として慰謝料を請求して提訴した!

平成25年(2013年)7月29日付け当ブログ記事では、その驚くべき提訴について取り上げた。

http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5145.html
「本名使え」で苦痛!在日韓国人が社長を提訴・【反日極左と不逞外国人から川崎を護るデモ】

(一部抜粋)

社長が「偽名ではなく、本名を使用するように」と言うのは、当然と言えば当然だろう。

本名を使用するように言われて「屈辱と精神的苦痛を味わった」と裁判所に訴えるなんて狂っている。

本名の使用でそれほど屈辱と精神的苦痛を感じるなら、親を訴えるか、朝鮮半島に帰るか、会社を辞めるべきだ。

「本名を隠して偽名を使わせなかったから、屈辱と精神的苦痛を味わった」と提訴するなんて、傍若無人もいい加減にしろ!

日本人は居住する区や市町村に通名を登録できない。

しかし、在日朝鮮人や在日韓国人は通名を登録することが可能であり、住民票に記載され、法的効力を持ち、登記などの公的手続に使用することが認められ、 契約書など民間の法的文書にも使用できる。

こんな「在日特権」=「日本人差別」がいまだに罷り通っている日本は異常だ。


日本は本当に法治国家と言えるのか?!

通名の変更には制限が無いため、東京23区内では1人が最高で32回の通名変更を行った事例があり、犯罪で逮捕されても、NHKなどがその都度「通名」(偽名)で報道してくれるから、在日は凄く気が楽だ!




この一審判決が、まさかこんな結果になるとは驚いた!

社長側は、「在日韓国人らは誇りを持って本名を名乗るのが本来の在り方と考え問いかけただけだ」と反論していた。

それなのに、この在日は、「これからも通名を名乗っていきたいニダ」と話している。

本当に狂っている。




会社における偽名(通名)使用については、【日立就職差別事件】という、やはり驚くべき結果となった裁判があった。

当該裁判が、その後において、在日の偽名(通名)使用について悪影響を与えている可能性が高い。

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朴鐘碩【日立就職差別事件】

【日立就職差別事件】

在日朝鮮人の朴鐘碩(パクチョンソク)は、昭和45年(1970年)3月に高校を卒業し、職を転々とした後、同年8月末ごろ、日立製作所戸塚工場がソフトウェア工場従業員を募集していたのでこれに応募した。

応募の際、朴鐘碩は、履歴書の氏名欄には本名ではなく常々名乗っていた「新井鐘司」という通名(偽名)を記載し、本籍欄についても、正直に「韓国」とは書かずに、父母の住所の市までを記入し、後は「以下略」と書いて誤魔化した。

身上書についても、履歴書と同様に、「新井鐘司」と通名(偽名)を記入し、本籍欄にも「韓国」ではなく履歴書と一致するように記入した。

身上調書の末尾には「この調書に私が記載しました事項はすべて真実であり、偽り、誤り、重要な事項の記入漏れがありません。もし、偽り、誤り、重要な事項の記入漏れがありました場合は採用取消解雇の処置を受けても異議を申し立てません」旨が明記されており、朴鐘碩も同記載を承知で必要事項を記載し署名捺印していた。

朴鐘碩は、採用試験に合格し、9月4日に採用通知書が届き、同月21日が初出社日となった。

採用通知書には、戸籍謄本等の必要書類の提出の必要があることが記載されていた。

困った朴鐘碩は、同月15日、ソフトウェア工場に電話をし、『自分の名は履歴書に書いた「新井鐘司」ではなく「朴鐘碩」である。戸籍謄本は朝鮮人のため取れないので提出できない』旨を述べた。

それから2日後の9月17日、日立製作所ソフトウェア工場は、朴鐘碩に対して、就業規則に基づき内定取り消しを行った。

逆切れした朴鐘碩は、同年12月、横浜地裁に日立製作所を提訴した! 

裁判で朴鐘碩は、本件解雇は公序良俗に反しかつ国籍ないし社会的身分を理由として差別的取り扱いをしたものであり無効であると主張した。

一方の会社側は、「朴鐘碩が本名と本籍のみならず、職歴も偽っており反省の弁もなかった。これにより採用の要件を充足せず内定を取り消したのである」と主張した。

3年半にも及ぶ横浜地裁の裁判の判決では、日立製作所側の民族差別に基づく不当解雇が全面的に認められ、履歴書や身上書に偽名を書いて応募した朴鐘碩が大勝利!

日立製作所側は、なぜか控訴しなかった。

この判決は、あまりにも理不尽極まりないため、日立製作所が控訴して逆転していれば、その後の在日韓国人や在日朝鮮人の偽名(通名)使用のあり方は大きく変わっていたはずだ。

この裁判は、在日の偽名使用という「在日特権」に大きなお墨付きを与えてしまった。

アッサリと一審の横浜地裁のマジキチ判決(石藤太郎裁判長)を受け入れ、控訴をしなかった日立製作所の姿勢は、大いに問題だ。


その後、朴鐘碩は22歳で日立製作所に入社した。 

この裁判は、仙谷由人が弁護士として初めて担当した裁判だった。
仙谷由人

日立製作所に入社した朴鐘碩は、定年退職まで居座った。

朴鐘碩は、退職後も、日本と日立の足を引っ張る活動を続けている。

在日社員・朴鐘碩さんがアピール:原発メーカー日立の小国リトアニアからの撤退を!
在日社員・朴鐘碩さんがアピール:原発メーカー日立の小国リトアニアからの撤退を!
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なお、世論調査によると反原発派の過半数が日本が嫌いであり、【日本が好きと回答した反原発派は 1%】だった。

http://jpnews.blog.jp/archives/1012931735.html
反原発派の半数以上、「日本が嫌い」  世論調査 
2014年11月04日 

【11月4日 JPN】反原発派の半数以上が、日本を嫌いと考えているとの世論調査が4日、判明した。
JPNが行った世論調査によれば、反原発派の52%が日本を嫌いと回答した。また、その3分の1以上は、民主党を支持していると回答した。一方、日本が好きと回答した反原発派は 1%だった。
世論調査はJPNが10月に実施。調査対象は反原発活動に参加した18歳以上の100人で、大阪・名古屋・東京の3都市で行われた。
原発停止による電力不足への対策で最も多かったのは「無回答」で84%だった。次いで「経済活動の縮小」で10%だった。

(参考)

▼日本に蜜入国して、履歴書や身上書には日本人風の偽名(通名)を記入して、虚偽記載がばれて採用を取り消されると、裁判所に提訴し、なぜか大勝利する在日朝鮮人・在日韓国人の実態▼

「なぜ朝鮮半島出身者が今でも多く日本に居るのか?」といえば、それは朝鮮人が日本に密航(密入国)して来て違法に日本に住み着いているからだ。

朝鮮人は、自らの意思で日本に密航し、自らの意思で日本に残り、「帰れ」と言われても帰らない連中だ。

もちろん「強制連行」なんて一切無かった。

外務省の資料は昭和34年7月11日付で、徴用で日本に来て日本に留まっている245人について「みな自分の自由意思によって日本に留った者または日本生まれだ。日本政府が本人の意志に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き一名もいないと結論付けている。


上記外務省の昭和34年(1959年)7月11日付資料は、朝日新聞1959年7月13日付の記事となり、ネット上では良く見かけ、拙ブログでも過去に何度か掲載している。

大半、自由意思で居住

大半、自由意思で居住
外務省、在日朝鮮人で発表
戦時徴用は245人

1959年7月13日 朝日新聞

在日朝鮮人の北朝鮮帰還をめぐって韓国側などで「在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせるためにつれてきたもので、 いまでは不要になったため送還するのだ」との趣旨の中傷を行っているのに対し、外務省はこのほど「在日朝鮮人の引揚に関するいきさつ」について発表した。
これによれば在日朝鮮人の総数は約61万人だが、このうち戦時中に徴用労務者として日本に来た者は245人にすぎないとされている。主な内容は次の通り。

一、戦前(昭和14年に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、終戦直前(昭和20年)には約200万人となった。増加した100万人のうち、70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。
 残りの30万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じてきたもので、戦時中の国民徴用令による徴用労務者はごく少数である。
 また、国民徴用令は日本内地では昭和14年7月に実施されたが、朝鮮への適用はさしひかえ、昭和19年9月に実施されており、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、翌年3月の下関-釜山間の運航が止るまでのわずか7ヶ月間だった。

一、終戦後、昭和20年8月から翌年3月まで、希望者が政府の配給、個別引揚げで合計140万人が帰還したほか、 北朝鮮へは昭和21年3月、連合国の指令に基づく北朝鮮引揚計画で350人が帰還するなど、終戦時までに在日していたもののうち75%が帰還している。戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本内地になじみが薄いため終戦後、残留した者はごく少数である。
 現在、登録されている在日朝鮮人は総計約61万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきた者は245人にすぎず、現在、日本に居住している者は犯罪者を除き、自由意思によって在留した者である。
(昭和34年7月13日 朝日新聞)



このネット上でお馴染みの朝日新聞1959年7月13日付記事が、2010年3月1日放送のテレビ朝日「たけしのTVタックル」(是か非か外国人参政権・日韓併合と強制連行の真偽&在日差別の現実、国境マル秘危機)で取り上げられた!
TVタックル大半、自由意思で居住
大半は本人の自由意志で在留
2010年3月1日放送テレビ朝日「たけしのTVタックル」

TVタックル外国人参政権、朝鮮人は戦後も大量密入国

密航




〓〓 まとめ 〓〓

●日韓併合以降、200万人以上の朝鮮人が自由意思で日本へ渡航した 
 ※「日帝の差別や虐待のせいで朝鮮に住めなくなった」というのであれば、日本に来るのはおかしい 

●戦時徴用は、日本人(内地人)や台湾人には1939年から終戦までの6年間適用したのに対し、朝鮮人には1944年9月から1945年3月までのたった7ヶ月間しか適用しなかった。

●戦時徴用で日本に渡航したのは約22万人 
 ※そもそも徴用は国民の義務であり、当時は「強制連行」や「強制徴用」とは言わず、「強制連行」「強制徴用」などと言い始めたのは戦後何十年も経ってからだ。

●戦後、GHQの命令で朝鮮人の帰還事業が日本政府の支出で行なわれた。
 ※つまり、朝鮮に帰りたい人はアゴアシ付きで帰国出来た。

●その結果、日本に残った朝鮮人は210万人中60万人だった。

●その日本に残った60万人のうち、戦時徴用で来日した数は245人のみだった。
 ※彼らは自分の意志で日本に残った。
 ※また、GHQの命令による帰還事業が終わった後も、彼らの自由意思による帰国を日本政府は禁止していない。
 ※更に、1959年~1984年には北朝鮮への「帰国事業」も行われ、朝鮮総連が在日朝鮮人に対して「地上の楽園」への帰国を盛んに奨めたが、それでも大半の在日朝鮮人は頑なに日本に残った。


     1945年当時日本に居た朝鮮人  1959年当時日本に残っていた朝鮮人 
全体    210万人            61万人 
徴用     22万人          たった245人


「偽名使用を認めなんて不当判決だ!」