【歴史戦第9部 南京攻略戦 兵士たちの証言(2)】
産経ニュース「虐殺30万人説」の拠り所は南京軍事法廷。
数字コロコロ、信ぴょう性薄く…。
日中戦争に従軍した元陸軍獣医務曹長の城光宣さんが撮影した水車をこぐ日本兵と中国人。場所は不明(城さん提供)
中国が主張する南京事件の犠牲者「30万人」説の起源は、戦後、南京で開かれた国民政府国防部審判戦犯軍事法廷(南京軍事法廷)と東京裁判にさかのぼる。
いずれの裁判にも中国側が作成した「敵人罪行調査報告」(以下、報告)が提出された。
報告は南京軍事法廷に先立つ1945年11月から46年2月にかけて、南京地方法院検察処が、住民の目撃証言や遺体を埋葬した慈善団体などの記録をまとめたもので、この中に被害者数を「34万人」と主張するくだりがある。
だが、同じ報告の別の箇所には「集団虐殺二十余万人」、「確定被殺者既に30万に達し、なおいまだ確証を得ざる者合計20万人を下らざる」の記載があるなど、異なる数字が混在する。
ほかにも被害者数について「27万9586人」という数が登場するが、その内訳として列挙された目撃証言や埋葬遺体数を足しても27万人には達しないなど不透明な部分が少なくない。(報告の内容は、洞富雄編『日中戦争南京大残虐事件資料集第1巻』=青木書店)
2つの団体が埋葬したとする遺体数も、信憑(しんぴょう)性への疑問や重複の可能性が研究者から指摘されている。
それでも南京軍事法廷はこの報告の内容を受け入れ、47年3月、南京攻略時の第6師団長(中将)、谷寿夫(ひさお)に対する判決で「集団殺害19万人以上、個別殺害15万人以上、被害総数30万人以上」と認定した。
東京裁判では、弁護団から報告が掲げる死者数に疑義が呈されたが、「大虐殺」自体はあったと認定し、犠牲者20万人以上とした。ところが大将、松井石根に対する個別判決では「10万人以上」とした。
中国の「30万人」主張は、南京軍事法廷の判決をよりどころにしているとみられる。
「30万人」が学術的根拠を欠くことは、日本の研究者だけでなく、中国の研究者にも認識されている。平成19年1月、東京財団が開いた講演で、南京事件を研究する中国人学者が「政治的な問題に影響されたものだ」と指摘したこともある。