両陛下、神戸で災害専門医とご懇談
佳子内親王殿下、初の新年行事を無事果たされる
産経ニュース恒例の「歌会始の儀」が14日、皇居・宮殿で行われた。宮中での新年行事の締めくくりともいえるこの行事は、天皇、皇后両陛下をはじめ皇族方のお歌、世界中から寄せられた約2万首から選ばれた一般の人々の歌10首などが、古式にのっとって朗詠されるもの。和歌が「歌」であることを実感させる行事だ。
朗詠して披講(披露)する「披講諸役」による言い回しも昔ながら。一般から選ばれた人々(預選者)は、姓と名の間に「の」を入れて名前を読まれる。
皇族代表としてお歌が披講された高円宮妃久子さまの長女、承子さまは「つぐこのひめみこ」(承子女王)。皇太子妃雅子さまは「ひつぎのみこのみめ」(東宮妃)、皇太子さまは「ひつぎのみこ」(東宮)、皇后さまは「きさいのみや」(后宮)としてお歌が紹介され、最後に天皇陛下の御製(ぎょせい)が「おおみうた」として披講された。
成人皇族として初参列の新年行事がめじろ押しだった秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまも、披講はされなかったが次のようなお歌を詠まれた。《弟に本読み聞かせゐたる夜は旅する母を思ひてねむる》。宮内庁によると、ご両親が外国ご訪問などで不在の時、悠仁さまに本の読み聞かせをする思いを詠まれたという。
両陛下は16日、阪神大震災20年の追悼式典臨席などのため神戸市に入られた。同日は兵庫県災害医療センターで、震災の教訓から全国に広がった災害派遣医療チーム(DMAT)など災害現場で活動する医師の説明を聞かれた。
医師の一人、甲斐聡一郎さん(32)は、東日本大震災直後の被災地や平成25年に台風被害を受けたフィリピンで活動したことを報告。中学1年時に阪神大震災が起き、前年まで住んでいた兵庫県西宮市の被災状況を見て災害専門医を志したことを話した。
うなずきながら聞いていた天皇陛下は最後に「本当にご苦労さまでした。どうぞ、これからもよろしくね」と語りかけられた。福島県飯舘村をはじめとした東北の被災地で健康相談などを継続しているという甲斐さんは「災害医療の意味を認めていただけてうれしい」と感激していた。
皇太子さまは14日、東京都文京区の東大伊藤国際学術研究センターで開かれた「防災・減災に関する国際研究のための東京会議」に臨席し、国際機関や各国の研究者らによる防災や減災のための科学技術などについての報告に熱心に耳を傾けられた。
佳子さまは15日、東京都八王子市の武蔵陵墓地で昭和天皇の武蔵野陵(むさしののみささぎ)など4つの陵を参拝し、成人皇族の仲間入りを報告された。姉の眞子さまは成人後の23年11月に同じ4陵と伊勢神宮(三重県伊勢市)、神武天皇陵(奈良県橿原市)を参拝されている。
昭和天皇が眠る武蔵野陵を参拝される秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さま。成年皇族の仲間入りを報告された=15日、東京都八王子市の武蔵陵墓地(大西史朗撮影)三笠宮家の彬子さまが、学習院大在学中の13~14年と、同大卒業後の16~21年の計6年間にわたる英オックスフォード大マートン・カレッジでの留学生活をまとめられた著書「赤と青のガウン」(PHP研究所)が16日、全国の書店で発売された。
公務を長期間離れることになるご留学延長を父の寛仁(ともひと)親王殿下が許可された際の条件が、留学記を執筆して国民に成果を報告することだったという。彬子さまは大英博物館の日本美術収集・展示から英国人の日本美術観の変化を論じた論文をまとめ、女性皇族で初の博士号を取得された。
日本サッカー協会名誉総裁の久子さまは12日、埼玉スタジアム(さいたま市)で、星稜(石川)が前橋育英(群馬)を下して初優勝した全国高校サッカー選手権の決勝戦を観戦された。