西村眞悟の時事通信 12月 21・22・23日 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

戦後体制の逆説が現実となる



平成26年12月21日(日)

 妙な表題を掲げての時事通信だと思われるかも知れないが、これからあまり指摘されていない二つのことを指摘しておきたい。

 その一つ。
 現在の政界構造の元では、自民党が総選挙で勝利したということは、
 公明党を創設した巨大組織が全国津々浦々の選挙区で自民党候補者を「組織票」で支配する体制を造り上げたということだ。
 即ち、衆知の巨大組織が政権与党に目に見えない最大の影響力を行使できる体制が即ち自民党勝利なのだ。
 よって、浮かれておれば、知らぬ間に日本が日本でなくなるぞ、と言っておく。

 次の一つ。
 古代ローマの賢人が警告したことが、我が国で戦後七十年の来年、現実化する可能性大である。
 その警告とは、
 「平和を願うならば、戦いに備えよ」
 即ち、我が国の戦後体制は、平和を望みながら戦いを呼び込む体制なのだ。
 これが「戦後体制の逆説」である。
 そして、驚くべきことであるが、
 この度の総選挙が動乱を我が国に呼び込むであろう!

 この度の総選挙の驚くべきこととは何か。
 それは、我が国を取り巻く状況がまことに厳しい国家存亡の脅威と化しているのに、それに蓋をして見えぬふりをし、
 「目を閉じれば世界はなくなる」と思い込んでいる衆愚の群れの演技ように、
  国防と外交を語らず、
 ただ内輪の消費税の特別減税措置をぶら下げて行われたことである。

 中国共産党と習近平国家主席は、この度の総選挙を観て、
 来年の日本敗北七十周年の年に、
 本年よりもさらに大規模で厳しい対日大攻勢をかけても大丈夫だと判断しているはずだ。
 人民解放軍高官から、
 一挙に尖閣に押し寄せて上陸し赤旗を掲げて占拠する準備をすすめよとの指令がでたかも知れない。

 中共は、尖閣諸島周辺海域への「公船」の侵入を常態化しており、さらに我が国の制空権をも侵す行動にも出ている。
 その上で中共は、総選挙の直前まで、小笠原海域に二百隻以上の船舶を繰り出して海底をローラーをかけたように世界的にも貴重な我が国の宝石サンゴを強奪し、小笠原漁民の生活を支える基礎である豊かな藻場を破壊し尽くした。
 総選挙中に、小笠原の漁民が都内にきて涙で中共の強奪による惨状を訴えたが、政府与党は無視した。
 
 そして、政府与党は、あれを「密漁」だと言っている。
 馬鹿を言うのも、ほどほどにしろ。
 「密漁」とは、二隻くらいでひっそりときてちょろっと奪って逃げていくことを言うのだ。
 二百隻以上の船が、白昼堂々と押し寄せて海上保安庁の巡視船が如何に警告しても、目の前で強奪していくことを「密漁」とは言わない。
 我が国家主権を無視する侵略である。
 共産党独裁国家で、反日デモまで共産党指導で行われる中共において、
 二百隻を超える船の日本領海への侵入が共産党と中共政府の関与なく実施されるはずがない。

 この二百隻を超える中国船は、総選挙が迫った時期に忽然と去った。
 何故か。中共政府の指令があったからである。
 その指令の目的は、領海域警備を任務とする無策に徹した国土交通大臣を出す政党に恩を売るためである。

 即ち、中共は、東シナ海と同時に西太平洋においても実力行動そして威力偵察に出てきたのだ。
 東シナ海と西太平洋を扼されれば、中共は、我が国への海上レーンを何時でも遮断する自由と我が国の如何なる海岸線にも接近し上陸する自由を獲得する。
 我が日本列島の形を観られよ。
 西太平洋に対して無防備な長いお腹を出して横たわっているではないか。

 そして、総選挙の最中、中共の習近平主席は、
 来年の対日戦勝利七十周年の反日アピール準備の最終イベントである日本軍による南京虐殺犠牲者の国家哀悼日の行事を挙行し、虚偽の日本軍による大虐殺を世界にアピールした。

 再び言う。
 驚くべきことに、これら総てに対して、我が国の総選挙は無関心であった。
 そして、中共と親しい公明党が冒頭に述べたように勝利した。

 この我が国の状況は、中共に「やれる」と判断させるに足りる。
 何故なら、我が国のこの状況は、「平和を願って、何もしない」状態であるからだ。
 この度の総選挙で明らかになった我が国における「戦後体制の完成」が、平和を望んで、戦を呼び込んでいるのだ。
 「戦後体制からの脱却」し「日本を取り戻す」という志を掲げた安倍晋三総理、
 貴兄を総理にしている体制は、「戦後体制」を完成させたのだ。
 何たる皮肉、喜劇かこれは!

 嗚呼我が国!
 万事窮したのか。
 
 いや!
 窮してはいない。残りの一手がある。
 それは、安倍晋三総理大臣による年頭の靖国神社参拝である。
 その参拝は、百個師団創設の抑止力に匹敵する。

 そもそも何故中共は、我が国の総理大臣の靖国神社参拝にヒステリックに反発するのか。
 それは、彼らが遂に勝てなかった日本の強さの原点が、
 靖国神社の英霊と精神にあることを知っているからだ。

 安倍晋三総理、貴兄も見抜いていると思うが、この度の総選挙の勝利者は日本ではないのだ。
 従って、
 靖国神社参拝が、祖国日本から総理に課せられた任務であると心得られ、
 それを正々堂々と実行されよ。

 なお、最後に、私西村眞悟と田母神俊雄元航空幕僚長は、この度の総選挙において、
 以上に述べた我が国に迫る危機の総てと北朝鮮に拉致された国民の救出について、
 毎日全選挙区に響けと主張を続け、
 「平和を願うならば、戦に備えよ」と訴え続けた。
 よって、選挙区において、我が国の抑止力を高めて、候補者の任務を果たしたと自負している。

 以前、CIAの高官が退職後に私に言ったことがある。
 「アメリカの大統領府が日本に関して一番知りたいのは、日本国内の世論にどのくらい核武装論があるのかということだ。従って、西村さんの発言と国民の反応もよく知っている。」と。
 中共も、アメリカ以上に、
 日本の中に「平和を願うなら、戦いに備えよ」という盛り上がりがどれだけあるか必ず気にしている。
 私は、このことを強く意識して総選挙を戦っていた。
 かつて、尖閣諸島魚釣島に向って東シナ海を走る四・五トンの激しく揺れる小舟のなかで、
 俺は今、中共首脳と対中弱腰の総理に対して、強烈な刺激を与えていると全身で感じたように。


寒風のなかの連想



平成26年12月22日(月)

 十二月二日の公示から始まったこの度の総選挙中、寒波が襲ってきた。
 その寒風のなかでいろいろな連想が頭をよぎった。とりとめないが、それを書いておきたい。
 時あたかも、百十年前の日露戦争における旅順要塞に対する第三次総攻撃と重なっている。従って、日露戦争に関する連想が多かった。

 この度の寒波は、夏の暑さが忘れ得ぬ体を、突然、真冬に放り込んだ。
 街頭に立っていると、頭が寒さで痛くなった。
 
 その時、日露戦争直前に、寒気の中での戦争を想定した青森の五聯隊と弘前の三十一聯隊の八甲田山雪中行軍隊は、このような天候急変の中で遭難していったのかと思った。
 
 新田次郎の「八甲田山死の彷徨」の映画では、
三十一聯隊の行軍指揮官であった福島泰蔵大尉を高倉健が演じていた。
 健さんが亡くなっておしいなあ。
 数十年もあのような同じ表情で最後まで演じとおした俳優は高倉健だけだ。
 青山に、モンサンミッシェルの近くで生まれ育ったと言うフランス人の親父が経営しているフランス料理屋がある。学生時代の同級生の友人に連れて行ってもらった。すると友人が、ここに高倉健が時々一人で来てひっそりと食事をしている、と言った。それで、何時かあの店で高倉健に会えるだろうと思っていた。何しろ、私の学生時代から今まで、同じ表情で演技しているのだから、亡くなるとは思っていなかった。

 さて、雪中行軍隊であるが、五聯隊は二百十名が参加し百九十九名が山中で死亡し生存者十一名で壊滅した。
 三十一聯隊は、全員計画通り八甲田を踏破して無傷で帰還した。
 しかし、二年後の日露戦争における黒溝台の激戦で三十一聯隊の行軍隊は全員死亡している。
 五聯隊の生存者十一名はその後も生きて昭和四十五年に最後の生存者が亡くなった。
 この雪中行軍隊の体験をもとに、日本軍は厳寒期の軍装を大改革して日露戦争に突入している。
 よって、彼ら八甲田の遭難戦死者は靖国神社に合祀されている。

 総選挙期間は、旅順攻防戦と重なっていた。旅順への第三次総攻撃は十一月二十六日に開始された。この日の深夜、白襷隊三千名は、ベトンで固めた要塞に抜刀して突入した。
 十一月三十日、第一師団後備第一旅団長から第七師団第二十八連隊長へ二〇三高地を伝令に走った乃木軍司令官の次男乃木保典少尉が戦死する。
 十二月五日、旭川第二十八聯隊連隊長村上正路大佐は残存兵を率いて二〇三高地山頂に突入し、午後一時四十五分、山頂を占拠した。
 
 しかし、二〇三高地は陥落しても旅順の永久堡塁群はびくともしなかった。
 これに対して、日本軍の不屈の闘争心も揺るがなかった。
 日本軍は地下道を掘って下から堡塁を爆破し歩兵が突撃する戦法をとった。
 
 乃木軍司令部は、あまりの兵士の消耗に、肉弾突撃を厳禁した。
 明治三十八年一月一日午前七時三十分、金沢第三十五聯隊第三大隊長増田惟二少佐は、最後の堡塁となった望台を双眼鏡で眺めた。そして、「獲れる」と直感し直ちに軍紀に反して肉弾突撃を命じた。
 善通寺の第四十三聯隊第二大隊も突撃した。
 軍司令部も軍令に反した突然の攻撃ではあったが、直ちに二十八センチ榴弾砲で望台を集中砲撃した。
 
 同日午後三時三十分、日本軍は望台を占領し頂上に日の丸を掲げた。
 同日午後四時三十分頃、乃木第三軍の前線へ、旅順要塞司令官ステッセル中将の軍使が訪れ降伏を申し出た。
 横たわって旅順陥落の報に接した生き残った負傷兵達は、皆泣いたと記録されている。

 乃木第三軍は、旅順要塞攻撃に十三万人の兵員を投入し五万九千余の死傷者を出して陥落せしめた。

 百十年前の同時期、旅順要塞を攻撃していた日本軍将兵の決死のご苦労を思えば、
 この総選挙の苦労など蚊に刺されたほどではないか。
 断じて、正々堂々と戦いぬくぞー!

 本日の連想終わり。


天長節



平成26年12月23日(火)

 本日の天長節の朝、
 第十六代仁徳天皇の御陵に歩き、正面に至って参拝する。
 御皇室の彌榮と日本国の安泰をお願いして祈る。

 鳥居の向こうに見える森が天の道に通じているように下から上に揺れ上がった。
 天皇皇后両陛下のご健勝を切にお祈り申し上げる。

 天皇は、お国と民のことを祈られる。
 そして、民は天皇を祈る。
 その時民は、自身の先祖とともに祈っている。
 我々の先祖は、何時の時代でもそれぞれ万世一系の天皇を戴く御世に生きていたからである。

 教育勅語の次の一文は、天皇と民の家族のような連続性を示していると思う。
 「かくの如きは、独り朕が忠良の臣民たるのみならず、又以て爾祖先の遺風を顕彰するに足らん」

 本日の天長節は、我ら一人一人が、万世一系の天皇を戴く日本に生まれた喜びをしみじみとかみしめる日である。