国に尽くすとは。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 


御嶽山噴火で、捜索から戻り、高山病の疑いがあり運ばれる自衛隊員(左)=10日午後、長野県王滝村(宮崎裕士撮影)


【河村直哉の国論】
自衛隊、警察、消防…御嶽山捜索隊の足跡が訴える責任感と献身
牛歩かもしれない、しかし不屈の歩みを示した。

産経ウェスト
2014.10.20 11:00


 御嶽山(おんたけさん)で犠牲になられた方々に、哀悼の意を表させていただきたい。そして同時に、行方不明者の捜索に当たってきた自衛隊、警察、消防の方々に賛辞を贈りたい。

責任感、献身

 無念の捜索打ち切りだったことと思う。だが冬が近づき山の状況がさらに悪化する中で、致し方ない選択だったとも思う。

 9月27日に御嶽山が噴火して以降、捜索隊は相貌を変えた山に懸命に挑んできた。この間の隊員の思いを、いくつかの新聞から引く。

 「助けにいきたいですよ。1分でも1秒でも早く」

 「安否が分からない家族の思いを背負っている。一分一秒でも早く上へ登りたい」

  姿を変え、牙をむいた山での捜索である。ぬかるんだ火山灰に足は埋まり、歩みを進めるのも困難だっただろう。火山ガスは脅威となり、噴火の恐れや滑落の危険もあっただろう。高山病の症状を訴える隊員もいたという。積雪を観測してからは凍結した山との戦いともなった。

 そんな中で捜索隊は灰だらけになりながら、相貌を変えた山に足跡を刻みつけてきた。牛歩であったかもしれない、しかし不屈の歩みであるように筆者には映った。

 隊員を支えてきたのが、「安否が分からない家族の思いを背負っている」という使命感だっただろう。筆者などがあれこれいうべきことがらではないが、黙々と山肌を縫って歩む隊員の姿からは、同胞に尽くす責任感と献身の精神が見えてくる気がした。

国民の負託に応える

 以下しばらく、御嶽山から話題を変える。

 集団的自衛権の行使容認が盛んに議論されていたころ、ある自衛官が筆者にいった。「自衛隊員は服務の宣誓をしている、そこにはわれわれの思いがある」という趣旨だった。

 行使容認は日本が戦争のできる国になることである、などと左派がしきりと警戒感をあおっていたころだ。そんな左派の議論にいささか閉口しているようにも感じられた。

 宣誓は自衛隊法の条文に基づいている。一部を引用する。

 「隊員は…強い責任感をもって専心その職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえることを期する」

 自衛官はその場で暗唱したあと、筆者の目を見た。多くは語らなかったし、筆者も多くは聞かなかった。だが思いのほどはよくわかった。

 身をもって、という言葉を、過大に解釈するつもりはない。御嶽山に話を戻せば、自衛隊員だけでなく警察、消防の方々も、二次災害に細心の注意を払うべきなのは当然のことだった。

 しかしそれにしても、御嶽山に捜索隊員が刻んできた足跡は、身をもってというほかはない精神の刻印を、荒々しく変貌した山肌に刻み付けた。それは身を削ってでも同胞に尽くそうとする精神のしるしであり、困難に対して小さな一歩ではあれ立ち向かっていこうとする人間の高貴な精神のしるしであるように、筆者には思えた。

国に尽くすとは

 いささか大仰にいえば、国に尽くすとはこういうことではないか。自衛隊員であるとないとを問わず、捜索に当たってきた人々は「国民の負託」に懸命にこたえようとしてきたのではないか。

 たちどころに反論は出るだろう。特に左派の立場からすれば、国に尽くすといった言い方自体が忌み嫌われるものだろう。だから自衛隊の違憲訴訟などがまかり通ってきもしたのである。昭和48(1973)年には、自衛隊が違憲であるなどという初の判決が地裁レベルで出ている(長沼ナイキ訴訟)。戦後の社会そのものが大きく左傾していた。

 あるいはやはり国家を嫌うコスモポリタンからは、次のような反論が出るだろう。遭難者に異邦の人がいても捜索隊は同じように行動するはずだし、捜索隊が懸命に行方不明者を捜索しているからといってそれが直ちに国に尽くすということにはならない、と。

 これも本末転倒になりかねない見方である。公のために人が尽くすというとき、その大きなまた基本的な単位になるのが現代世界においては国家であるということから、目をそらすべきではない。自衛力や警察力自体、それらを成立せしめているのは国家なのである。それを見ることを回避し続けてきたのが日本の戦後だったといってよい。

国難に立ち向かう姿

 このような議論はしかし、これ以上はおく。捜索に当たってきた人たちはそんなことにかかわらず懸命に働いただろうし、拙稿とて、なにがしかの主義や主張をここで申し述べたいわけではない。東日本大震災、近くは広島の土砂災害、そして今回の御嶽山での火山災害と、国難というべき事態に際して黙々と働く人たちの姿が、とても高貴なものに映るということのみ、改めて書いておきたい。

 なお行方不明となっている方のご家族がこう述べているのを、報道で知った。

 「(捜索隊に)ありがとうございましたと言いたい」

 家族がいる山を上空のヘリから見、捜索打ち切りを知ってからの言葉という。

          (大阪正論室長)

          =随時掲載します

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救助活動のため、御嶽山への登山口に向かう自衛隊の車両=9月28日午後、長野県王滝村(鴨川一也撮影)

御嶽山噴火の捜索から戻ってきた自衛隊員。表情には疲れの色が見える=10日午後、長野県王滝村(宮崎裕士撮影)

難航する御嶽山噴火の捜索。負傷した捜索隊員が両脇を支えられ運ばれていた=10日午前、長野県王滝村(宮崎裕士撮影)

御嶽山噴火で、現場視察し激励する岩田清文陸上幕僚長=10日午前、長野県王滝村(宮崎裕士撮影)

御嶽山噴火の捜索で、ヘリに乗り込む警察官ら=10日午前、長野県王滝村(宮崎裕士撮影)

御嶽山噴火で、捜索に向け待機する消防隊員。有毒ガス発生に備え、ガスマスクを身につけていた=10日午前、長野県王滝村(宮崎裕士撮影)

御嶽山噴火】捜索に向け出発する捜索隊の足には泥よけがガムテープで補強されていた=10日午前、長野県王滝村(宮崎裕士撮影)

御嶽山噴火で、悪環境の捜索で低体温症となり、救急車で運ばれる警察官も出た=10日午後、長野県王滝村(宮崎裕士撮影)