産経ウェスト
拉致被害者の帰りを待つ同級生ら
修学旅行の写真を見ながら会話を弾ませる坂田洋介さん(手前右)ら=26日午後、神戸市中央区(頼光和弘撮影)
「田中が戻れば、みんなで本当の同窓会を開こう」。北朝鮮による拉致被害者の田中実さん=拉致当時(28)=の高校時代の同級生ら5人が26日夜、青春時代を共に過ごした神戸市内で集まった。卒業してから四十数年。5人は田中さんの当時の思い出や、帰国への思いを語り合った。
「田中はいつも学生帽を斜めにかぶっていた。格好をつけたい年頃だったな」「(森進一さんのデビュー曲の)『女のためいき』を口ずさんでいたのを覚えている」「おれは一緒にダンスホールに出かけたよ」-。
神戸・三宮の居酒屋の一室。田中さんが昭和40~42年度に通った市立神戸工業高(現・市立科学技術高)の同級生らが高校時代の写真を眺めながら、思い出話に花を咲かせた。
田中さんと仲がよかった坂田洋介さん(64)=大阪市中央区=や、学級委員長だった松枝清一郎さん(64)=兵庫県明石市=ら同じクラスだった4人のほか、3年間担任だった渡辺友夫さん=享年(75)=の長男、慎太郎さん(52)=神戸市垂水区=の5人だ。
高校を卒業し、同市東灘区のラーメン店で働いていた田中さんは昭和53年6月、旅先のオーストリアで消息を絶った。
平成17年4月に警察庁が拉致被害者と認定したが、渡辺さんは20年12月に亡くなるまで、身寄りがなく児童養護施設で育った田中さんのことを心配していた。
慎太郎さんは「面識のない自分だけでなく、同級生も迎えた方が田中さんも喜ぶはず」と父の遺志を継ぎ、高校の同窓会名簿を頼りに探し始めた。阪神大震災で転居するなどして難航したが、なんとか約20人が見つかった。
4年前の22年には慎太郎さんの呼びかけで卒業後、初の同窓会が開かれた。同窓会はその後2回開かれ、田中さんを迎えようというクラスメートの絆は強くなった。
さらに北朝鮮が今月4日、拉致被害者の安否を再調査する「特別調査委員会」を公式に設置したことを受け、改めて集合することにした。「今度こそ」という期待は自然に高まっているという。
この夜、5人はグラスを傾けながら、こう口をそろえた。「田中は生きて帰ると信じている。神戸で酒を飲みたいな」
九州へ行った高校時代の修学旅行先での写真。左が拉致被害者の田中実さん。右が坂田洋介さん