【産経抄】7月24日
米国の黒人運動の指導者、キング牧師が暗殺されたのは、1968(昭和43)年4月だった。当時の新聞は、黒人差別について書き立てた。
▼もっとも、ハンセン病に対する偏見と差別から、苦難の人生を強いられている人々に、メディアが関心を向けることはほとんどなかった。皇太子と皇太子妃であられた天皇、皇后両陛下が、鹿児島県の奄美大島にある国立ハンセン病療養所、奄美和光園を訪問されたのは、そんな時代だった。
▼それから46年たった今月22日、両陛下は宮城県登米(とめ)市の東北新生園を訪ね、入所者と懇談された。これで、全国14カ所あるすべての療養所の入所者と、面会を果たされたことになる。
▼〈めしひつつ住む人多きこの園に風運びこよ木の香(か)花の香〉。皇后陛下が、平成3年に多磨全生園を訪問されたとき、詠まれた歌である。『皇后美智子さまのうた』(朝日新聞出版)のなかでこの歌を紹介した絵本作家の安野光雅さんは、神谷美恵子という、皇后陛下の相談相手だった人物について触れている。精神科医だった神谷は、ハンセン病患者の治療に尽くし、昭和54年に65歳で亡くなった。ハンセン病についても多く語り合ったはずだ。
▼そもそも、大正天皇の皇后、貞明皇后の時代から、皇室は患者の救済に携わってきた。天皇、皇后両陛下にはとりわけ、立場の弱い人たちに心を寄せられるお気持ちが強い。国民の多くはそのお姿に、深い感動を覚えてきた。
▼数年前、豪州のジャーナリストが書いた、皇太子妃雅子さまについての偏見に満ちた著作が世間を騒がせた。そこには、日本の皇室が、ハンセン病にかかわることは考えられない、との事実誤認も甚だしい記述があった。宮内庁が猛抗議したのは、当然だった。