「投了」なくして日本の譲歩を請う交渉はあり得ない。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

【産経抄】7月4日


「相手に手を渡す」という表現が将棋にはある。一手のミスが命取りになる局面であえて様子見の手を指し、相手に手番を押しつける駆け引きをいう。「今度はそちらが悩んでください」と。一手パスが利かない盤上ならではの、高度な神経戦といえる。

 ▼拉致被害者の再調査をめぐる日朝協議も、慎重な「手」の渡し合いという色が濃い。北は金正恩第1書記が直轄する「特別調査委員会」を設置し、日本の応手を尋ねてきた。日本政府は制裁の一部解除という、「好意的」な回答を向こうに投げ返すことを決めた。

 ▼「行動対行動の原則」という安倍晋三首相の言葉には、北の対応を「やる気の表れ」と見積もった節がある。しかし、過去には他人の骨を横田めぐみさんらの「遺骨」として差し出し、しらを切った相手だ。日本が渡した「手」の重みに比べると、どうも釣り合いが取れていないように映る。

 ▼米国の経済学者、ガルブレイスは政治をこう評した。「悲惨なことと不快なことのどちらを選ぶかという苦肉の選択である」(晴山陽一著『すごい言葉』文春新書)。日本が「不快」を承知で手を渡したのは、ここを先途と北を追い込む「読み筋」あっての策と思いたい。

 ▼北の腹は見えている。後ろ盾と頼んだ中国は韓国に秋波を送り、切羽詰まって外交の振り子を日本へと寄せてきた。拉致を人質にした交渉は「いつか来た道」。同じ轍(てつ)は踏むまい。拉致被害者らの涙と、北の窮状をはかりに掛けること自体が間違っている。

 ▼まずは問答無用でわが国から奪い、手元に隠したすべての拉致被害者を帰国させることだ。「投了」なくして日本の譲歩を請う交渉はあり得ない。それが外交の定跡であり、常識というものであろう。