【皇室ウイークリー】(337) | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 



対馬丸犠牲者を弔う「小桜の塔」で供花される天皇、皇后両陛下=27日、那覇市

「思い出も随分あったでしょう」
両陛下、「対馬丸」遺族・生存者に寄り添われた沖縄の旅

 沖縄地方が梅雨明けしたとみられるとの発表があった26日、天皇、皇后両陛下は、特別機で沖縄に入られた。先の大戦中に沖縄から長崎へ向かう途中、米潜水艦に撃沈された学童疎開船「対馬丸」の犠牲者を慰霊された旅路。長年にわたってこの悲劇に心を寄せてきた両陛下は、先々で深く、静かに拝礼をささげ、遺族、生存者に寄り添われた。

 26日、早くも真夏の日差しが照りつける空の下、沖縄入りした両陛下は、糸満市の沖縄平和祈念堂と国立沖縄戦没者墓苑へ向かわれた。同墓苑には、昭和54年の建立以降、沖縄訪問の際には必ず初日に立ち寄っており、この日も白菊の花を供え、拝礼された。

 昭和19年8月22日夜、米潜水艦の魚雷攻撃を受けて撃沈、学童約780人を含む約1500人が犠牲となった対馬丸の悲劇から今年で70年。疎開経験があり、亡くなった子供たちと同世代の両陛下は、これまでに関係者などから話を聞くなど、慰霊へ強い気持ちを持たれてきた。

 両陛下は27日、対馬丸犠牲者の慰霊碑「小桜(こざくら)の塔」(那覇市)で供花、深く一礼された。続いて、近くの「対馬丸記念館」を訪れ、壁一面に展示された子供たちの遺影や筆箱、ランドセルなどの遺品を硬い表情で見て回られた。

 対馬丸記念館を訪問し、対馬丸記念会の高良政勝理事長(左)から説明を受けながら展示をご覧になる天皇、皇后両陛下=27日午前、那覇市

 両陛下は、生き残った人々を襲った苦悩にも心を砕かれた。案内した対馬丸記念会の高良政勝理事長(74)によると、学童を引率して乗船した教諭、糸数裕子(みつこ)さん(89)の「なぜあんたは生き残ってうちの子は死んだのか 言われるはずのない声におびえて三十三回忌が済む頃まで 那覇の町(市場)は怖くて歩けませんでした」との言葉を紹介すると、皇后さまは涙ぐまれていたという。

 両陛下は続いて、遺族、生存者の言葉に直接、耳を傾けられた。撃沈、救助されたときの様子、家族を失った悲しみ…。一人一人の気持ちに優しく寄り添われた。

 那覇国民学校2年生だった兄の浜崎盛雄さん=当時(13)=を亡くした浜崎盛久(せいきゅう)さん(79)が、兄を思って自作した短歌を披露すると、陛下は「思い出も随分あったでしょう」と、心境を思いやられた。予定時間を約15分超えたご懇談。両陛下は別れ際に再び一人ずつ声をかけ、「お元気でね」と遺族、生存者を気遣われ続けた。

 ご案内を終えた高良理事長は「犠牲になった人たちに対して申し開きできる。一つのけじめをつけられたということで感無量です」と話し、涙ぐんだ。

 今年、日本との国交樹立150周年となるスイスを公式訪問していた皇太子さまは23日、政府専用機で羽田空港へ帰国された。150周年の日本側名誉総裁として、首都ベルンやヌシャテルなどをめぐり、スイス側名誉総裁のブルカルテル大統領主催の昼食会、現代日本美術展の開会式などにご臨席。また、静岡県島田市からの義援金を活用した水害対策施設を登山列車から視察された。この「ロートホルン鉄道」は、ともに蒸気機関車(SL)が走る鉄道として、同市に本社がある大井川鉄道と姉妹提携している。

 秋篠宮ご夫妻は27日、アフリカのザンビア、タンザニア両国訪問のため民間機で成田空港を出発された。ザンビアは日本との外交関係樹立50周年を機に、タンザニアは友好親善を目的にご訪問。7月8日に帰国される。

 ブラジルなど3カ国訪問を終えた高円宮妃久子さまは24日、成田空港に民間機で帰国された。義兄の桂宮さま薨去(こうきょ)で出発を延期し、日本サッカー協会名誉総裁としてW杯ブラジル大会で日本-ギリシャ戦を観戦するなどされた。