映画「永遠の0」ロケ地で反響 高まる「残そう旧航空隊庁舎」
ZAKZAK 夕刊フジ記念館として限定公開されている筑波海軍航空隊の旧司令部庁舎=茨城県笠間市
太平洋(大東亜)戦争中、筑波海軍航空隊の司令部庁舎として使われた茨城県笠間市の県立病院建物を、戦争遺構として残そうとする動きが出ている。老朽化で取り壊しが内定していたが、映画「永遠の0」のロケ地になったことを機に一般公開。反響を呼び「戦争を語り継ぐ場にしたい」とする地元住民や隊員遺族の活動に弾みがついた形だ。
現在、県立こころの医療センターの敷地にある建物は1938年、筑波海軍航空隊の前身、霞ケ浦海軍航空隊友部分遣隊の司令部庁舎として造られた。戦後長らく県立病院の管理棟だった。2011年には役目を終え、予算が付き次第取り壊しが決まっていた。
ちょうどそのころ、昭和の雰囲気が漂う内装が映画制作者の目に留まり「ALWAYS 三丁目の夕日」撮影の話が舞い込んだ。12年には「永遠の0」ロケ地になり、主人公が教官として若い筑波海軍航空隊員を指導するシーンに登場。「記念館として残したい」との声が高まった。
昨年11月、県にゆかりのある映画制作に協力してきた市民らを中心に実行委員会を結成。県から限定的な許可を得て、12月から隊員の遺品や写真を展示する、期間限定の記念館となった。ちょうど「永遠の0」の上映と重なったことで、来訪者は予想をはるかに超える約2万8000人に。隊員の手紙や写真に見入る若い来訪者の姿も少なくなかった。当初今年5月までの公開も、来年3月までに延長された。
ただ保存には耐震性や管理費など課題は多い。建物を管理する県病院局の所管は病院事業。担当者は局の予算で記念館として保存するのは困難とした上で「病院全体の構想の中で考える必要もあり、取り壊しの時期は未定」と話し、県としても決めかねている様子だ。
戦争中筑波海軍航空隊に所属し、旧庁舎保存に尽力する広島県府中町の柳井和臣さん(92)は「若い世代が戦争を理解し、日本が今後どうあるべきかを考えるため、ここを残してほしい」と話している。
太平洋(大東亜)戦争中、筑波海軍航空隊の司令部庁舎として使われた茨城県笠間市の県立病院建物を、戦争遺構として残そうとする動きが出ている。老朽化で取り壊しが内定していたが、映画「永遠の0」のロケ地になったことを機に一般公開。反響を呼び「戦争を語り継ぐ場にしたい」とする地元住民や隊員遺族の活動に弾みがついた形だ。
現在、県立こころの医療センターの敷地にある建物は1938年、筑波海軍航空隊の前身、霞ケ浦海軍航空隊友部分遣隊の司令部庁舎として造られた。戦後長らく県立病院の管理棟だった。2011年には役目を終え、予算が付き次第取り壊しが決まっていた。
ちょうどそのころ、昭和の雰囲気が漂う内装が映画制作者の目に留まり「ALWAYS 三丁目の夕日」撮影の話が舞い込んだ。12年には「永遠の0」ロケ地になり、主人公が教官として若い筑波海軍航空隊員を指導するシーンに登場。「記念館として残したい」との声が高まった。
昨年11月、県にゆかりのある映画制作に協力してきた市民らを中心に実行委員会を結成。県から限定的な許可を得て、12月から隊員の遺品や写真を展示する、期間限定の記念館となった。ちょうど「永遠の0」の上映と重なったことで、来訪者は予想をはるかに超える約2万8000人に。隊員の手紙や写真に見入る若い来訪者の姿も少なくなかった。当初今年5月までの公開も、来年3月までに延長された。
ただ保存には耐震性や管理費など課題は多い。建物を管理する県病院局の所管は病院事業。担当者は局の予算で記念館として保存するのは困難とした上で「病院全体の構想の中で考える必要もあり、取り壊しの時期は未定」と話し、県としても決めかねている様子だ。
戦争中筑波海軍航空隊に所属し、旧庁舎保存に尽力する広島県府中町の柳井和臣さん(92)は「若い世代が戦争を理解し、日本が今後どうあるべきかを考えるため、ここを残してほしい」と話している。