昭和初期には認知裏付け 国の旅行ガイドで紹介
産経ウェスト竹島についての記述が見つかった昭和9年発行の旅行ガイド本「日本案内記」
旧鉄道省(現・国土交通省)が昭和9(1934)年に発行した旅行ガイド本「日本案内記」の中国・四国編で、竹島(島根県隠岐の島町)が紹介されていることが8日、島根県の調査で分かった。国の機関の観光本で竹島の記載が見つかった最初の例とみられ、県の竹島問題研究会は「昭和初期に竹島が国内の景勝地の一つと国も認めていた証拠」としている。
隠岐の一部…多くの国民が認識
日本案内記は昭和初期、東北編や中部編、近畿編などに分けて出版。鉄道駅ごとに沿線の見どころを紹介し、年中行事や産業、モデルの旅行日程などを記載している。
竹島は中国・四国編の鳥取-米子間の駅周辺の紹介に続いて登場。隠岐の一部として取り上げられ、「隠岐島の西北一五七粁(キロメートル)、日本海中にあり、二箇の岩嶼(がんしょ)より成り、断崖峭立(しょうりつ)、處々(ところどころ)に洞門あり、海底深くして(とうびょう)困難である」と記している。
「海驢(あしか)の蕃殖地(はんしょくち)で、西郷町(現隠岐の島町)の竹島漁撈会社がその捕獲を営んで居る。住民はない。この島は洋人の称するリヤンクール岩で、邦人はもと松島と呼んだが、明治三十八年島根県の所属となって、現名に改まった」と続き、「日本海大海戦(日露戦争)の際、我が艦隊は露国の第二艦隊をこの附近で追撃捕獲した」と記述している。
日本案内記は、研究会の関係者が国内の図書館などで戦前の観光関係の書物を調べた際に見つけた。昭和17、29両年に改訂版が出るなど広く活用されていたことも確認。研究会は「全国に広まった旅行ガイド本で竹島が取り上げられ、当時の多くの人が景勝地の一つとして認識していたことがうかがえる」としている。