西村眞悟の時事通信より。
No.963 平成26年 4月30日(水)
四月二十九日の昭和天皇のお誕生日の午後、雨の中を、
仁徳天皇陵に参拝し、
御皇室の彌榮と御国の安泰をお願いした。
四月二十八日のサンフランシスコ講和条約発効の日、即ち占領統治終了の日、春風の中を、
靖国神社に参拝した。
そして、この日の夕刻に虎ノ門で開催された「主権の回復を祝う会」に出席して次のように挨拶させていただいた。
我が国の「主権の回復」とは、我が国が連合国に降伏した結果、我が国を占領統治した連合国最高司令官によって奪われたものを回復することである。
では、連合国最高司令官は、第一の最優先課題として我が国の何を奪ったのか。
それは、「軍隊」である。
昭和二十年九月二日の降伏文書は、その紙面の大半を我が国の軍隊の武装解除に費やされている。その冒頭は次の通り。
「下名は茲に日本帝国大本営並びに何れの地位にあるを問はず一切の日本国軍隊及日本国の支配下にある一切の軍隊の連合国に対する無条件降伏を布告す
大日本帝国天皇陛下及日本国政府の命に依り且つ其の名に於いて 重光葵
日本帝国大本営の命に依り且つ其の名に於いて 梅津美治郎」
軍隊の次に、我が国は、「大日本帝国憲法」を奪われた。
よって、我々は、連合国最高司令官によって奪われた
軍隊、そして、大日本帝国憲法を回復することによって、
初めて、主権回復を祝わねばならない。
その真の祝いを為すための大きな底流は既に国民の中に動き始めている。
それは、二ヶ月前の雪の東京で行われた都知事選挙において、正真正銘の軍人である前航空幕僚長である田母神俊雄に集まった若者を中心とする六十一万票と、
特攻出撃していった若者を描いた小説「永遠の0」を五百万人の国民が共感して購読したことに顕れている。
そこで、昭和天皇陛下のお誕生日の翌日である今日、
昭和天皇の発せられた「詔書」を以て、
天皇が護り抜かれたものが、
明治との連続性の確保であることを明確にしておきたい。
何故なら、占領軍におもねる戦後の欺瞞は、
明治との連続性即ち戦前と戦後の連続性を確保しようとされた
昭和天皇の詔書に対して、
「人間宣言」というレッテルを貼って、
あたかも、天皇の御趣旨とは反対の、戦前と戦後の断絶を象徴する詔書であるかの如き誤った認識を国民に流布し定着せしめることから出発しているからである。
昭和二十一年一月一日に発せられた
昭和天皇の「新日本建設に関する詔書」は次の通りはじまる。
「茲に新年を迎ふ。顧みれば明治天皇明治の初國是として五箇条の御誓文を下し給へり。曰く、
一、廣く会議を興し万機公論に決すへし
一、上下心を一にして盛に経綸を行ふへし
一、官武一途庶民に至る迄各々其の志を遂け人心をして倦まさらしめんことを要す
一、舊来の陋習を破り天地の公道に基くへし
一、智識を世界に求め大いに皇基を振起すへし
叡旨公明正大、又何をか加へん。
朕は茲に誓を新たにして國運を開かんと欲す。
須らく此の御趣旨に則り、舊来の陋習を去り、民意を暢達し、官民挙げて平和主義に徹し、教養豊かに文化を築き、以て民生の向上を図り、新日本を建設すべし。
大小都市の蒙りたる戦禍、罹災者の艱苦、産業の停頓、食糧の不足、失業者増加の趨勢等は眞に心を痛ましむるものあり。
然りと雖も、我が国民が現在の試練に直面し、且徹頭徹尾文明を平和に求むる決意固く、克く其の結束を全うせば、獨り我が國のみならず全人類の為に、輝かしき前途を展開せらるること疑はず。」
この「新日本建設に関する詔書」は、
敗戦後に初めて迎える新年に際して、
昭和天皇が、国民に対して、明治維新に際して明治天皇が「五箇条の御誓文」によって国民に示された叡旨、即ち、明治の志の原点に戻ってそれを実践することによって、全人類の為に輝かしい前途を開くことを呼びかけられたものである。
即ち、この昭和天皇陛下の詔書は、敗戦直後の国民に対して、
我が国の戦前戦後の連続性を鮮明にして、
明治の志を昭和の志とする旨の御宣言である。
まことに、日本の志を変えてはいけない、
日本人は変わってはいけないのだと、
深く心にしみ入るような詔書である。
諸兄姉がこの詔書の全文を読まれることを願う。
同時に、同じ昭和二十一年の歌会始(うたかいはじめ)における 昭和天皇の御製を、心に深くいれていただきたい。
ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ
松ぞををしき 人もかくあれ
しかるに、この崇高な、
おおみこころと詔書に対して、
陛下の意図と正反対の、
戦前と戦後の断絶を象徴する「人間宣言」とのレッテルを貼って、今日まで流布し続けているのが「戦後」なのである。
最初にこのレッテルを貼った者は誰か。
主権回復の日と昭和天皇誕生日を経た今、
断じてこの不遜なレッテルは許せない。
天皇は、この詔書の後半に於いて、
「長きに亘れる戦争の敗北に終わりたる結果」、
「道義の念頗る衰へ、為に思想混乱の兆しあるは洵に深憂に堪へず」と述べられた上で、
「然れども朕は爾等国民と共に在り、常に利害を同じうし休戚を分かたんと欲す。
朕と爾等国民との間の紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と伝説とに依りて生ぜるものに非ず。
天皇を以て現人神とし且日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、延て世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基づくものにも非ず。」
と述べられた。
ここを以て、戦後の走狗は、
詔書全体に「人間宣言」なるまことに浅薄なるレッテルを貼って、「戦前と戦後」そして「明治と戦後」の断絶の根拠とする。
しかし、違う。徹底的に違う。
まさに詔書のこの部分こそ、
「天皇と国民の絆に於いて明治と戦後が連続性を有する」
ことを象徴する箇所なのだ。
即ち、昭和天皇の詔書におけるこの御心情の吐露も、
冒頭に於ける五箇条の御誓文の継承と同じく、
明治天皇の御姿勢と御心情の継承なのである。
昭和天皇は、
我が国未曾有の敗戦と連合軍による占領統治の激流のなかにおいて、
同じく明治維新という未曾有の激変に際して、
ためらうことなく真っ正面から、
赤裸々な心情を民に対して吐露された、
若き明治天皇の御姿勢を踏襲されたのだ。
慶応四年(明治元年)三月、
明治天皇は、新しい国家の方針を、
「我が国未曾有の変革を為さん」として、
身を以て天地神明に誓われた。
これが「五箇条の御誓文」である。
そして、同時に、明治天皇は、国民に対して
「億兆安撫国威宣布の御宸翰」を発せられたのである。
「御宸翰」とは天皇の民に対する手紙である。
その「御宸翰」の冒頭は、次の如く始まる。
天皇が、これほど、赤裸々に、
心情を吐露されたことがあろうか。
また、
日本の天皇以外に、
民に対して、同じ人間として、
これほど、真っ正面から正直に真摯に心情を語った元首があろうか。
朕幼弱を以て猝(にわ)かに大統を紹き、
爾来何を以て万國に対立し列祖に事へ奉らんかと、
朝夕恐懼に堪えざるなり。
よって、我が国の存続のかかった再興期に当たり、
我らは、
我が国を独立国家たらしめる真の主権、
即ち、軍隊と憲法を回復するために、
昭和天皇の示された明治維新との連続性を自覚し、
明治の精神と国家体制に回帰し、
以て国難を克服しようと決意しなければならない。
来るべき、政界の再編は、その為に断行される。