闇淤加美神(くらおかみのかみ) | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

【現代に生きる神話 祭られる神々】第3部
<イザナキ、イザナミの悲喜>(下)



縁結びの神として名高い貴船神社の結社 =京都市左京区


□闇淤加美神

 ■嫉妬の火 鎮める魔界

 火の神カグツチノカミを生んで大やけどを負ったイザナミノミコトは、ついに死ぬ。嘆き悲しんだ夫のイザナキノミコトは、妻の亡骸(なきがら)を出雲国と伯伎国(ははきのくに)の境にある比婆の山に葬る。それでも悲しみが癒えず、驚くべき行動を取る。腰に帯びた十拳(とつか)の剣を抜き、カグツチの首を斬るのである。

 〈次に御刀(みはかし)の手上(たかみ)に集まれる血、手俣(たなまた)より漏(く)き出(い)で成れる神の名は、闇淤加美神(くらおかみのかみ)〉

 飛び散ったカグツチの血から8柱の神が生まれた。柄を握ったイザナキの指の間から滴り落ちた血から生まれたのがクラオカミだ、と古事記は記す。

 クラオカミを祭る神社の一つが貴船(きふね)神社(京都市左京区)。社伝では、祭神の高●神(たかおかみのかみ)は闇●神(くらおかみのかみ)(闇淤加美神)と同一神と書く。高井和大(かずひろ)宮司によると、クラは暗い谷底、オカミは雨や水を司(つかさど)る龍神を意味する。

 「谷底から雲が巻き上がり、雨を呼ぶ。自然現象から龍が天に立ち昇る姿を想像したことが、神名からうかがえます」

 ちなみにタカは、高い山中の樹木が生い茂る水源地を意味する言葉だ。

 水を司る谷間の龍神、タカオカミが鎮座する貴船の地名の語源は「気生根(きぶね)」といわれる。高井宮司は「水源の神が鎮まるところは、元気の『気』が生まれる根源で、運気も開かれるという信仰が広まっていった」と話す。

 運気の中でも特に霊験あらたかとされてきたのは縁結びだ。同神社には、タカオカミを祭る奥宮と本宮の間に「結社(ゆいのやしろ)」と呼ばれる社があり、天孫降臨神話で登場するイワナガヒメが祭られている。容姿が醜いからと皇祖ニニギノミコトから結婚を拒否され、大いに恥じたヒメが、良縁を授けようと鎮座したという。境内には平安中期の女流歌人、和泉式部の歌碑がある。

 〈もの思へば 沢のほたるも わが身より あくがれいづる 魂(たま)かとぞ見る〉

 深く愛する夫に愛人ができて傷心した式部は、復縁を願うため同神社に参拝した。そこで詠んだのは、渓谷を舞う蛍に、わが身から離れて消え入りそうな魂を重ねた和歌である。やがて式部の願いは届き、復縁は成就する。

 同神社はさらに、恨みや妬み、呪いまで引き受ける神社として広まっていく。平安後期の『栄華物語』では、貴船明神は呪詛(じゅそ)をなす神として登場する。中世の説話『宇治の橋姫』では、三角関係による嫉妬から、公卿(くぎょう)の娘が鬼になりたいと願い、貴船に参籠(さんろう)する。同情した貴船明神は「宇治の河瀬に行って、三七日(みなのか)(21日間)漬れ」と教える。顔や体を朱で染め、巻き上げた髪で角をつくり、頭に鉄輪(かなわ)を戴(いただ)いた娘は、ついには生きながら鬼となる。

 「心の闇を吸収する貴船神社は、洛中洛外の数ある魔界の中でも屈指の魔界でした」

 日本の異界研究で知られる、国際日本文化研究センターの小松和彦所長(民俗学)はそう話す。同神社は都の鬼門方向にあり、中世には、鬼が侵入する丑の時間(午前1~3時)に参拝して呪いを祈願する「丑の刻参り」が知れ渡る。一途な恋の火が、恨みや妬みに転じ、邪悪な炎が燃え上がった時、人々はクラオカミが祭られる谷を目指したのである。

 「人間にとって火はとても大切なものだが、ひとつ間違えると、大きな災いを招く。クラオカミが火の神から生まれるのは、荒ぶる火を鎮めるためであることを古事記は伝えている」

 高井宮司はそう語る。同神社では毎年11月、火の祭り「御火焚祭(おひたきさい)」を行い、燃え盛る炎からクラオカミが出現する神話を再現する。

 この連載は川西健士郎、佐々木詩、安本寿久が担当しました。

●=雨かんむりに口を横に三つ並べ、下に龍