【解答乱麻】教育も綺麗事だけで収まらぬ 元高校校長・一止羊大
正直を尊び、子供に「ウソつきは泥棒の始まり」と教える日本では、論語の教えは正直を尊ぶ気風に沿った人倫徳目として受け止められ、人生の指針とされてきた。日本実業界の父と評される渋沢栄一は、論語を言葉や行動の規範にしてきたことを著書『論語と算盤(そろばん)』で繰り返し述べている。
だが、論語の本家である中国やその影響を強く受けている韓国では、論語を日本人が考えるような徳目としている様子は微塵(みじん)も窺(うかが)えない。平気でウソをつき、歴史をねじ曲げ、他国を誹謗(ひぼう)圧迫して、少しも恥じるところがないかのようだ。歴史を政治の道具とし、日本に押しつけてくる歴史認識は史実離反の欺瞞(ぎまん)と詭弁(きべん)に満ちている。
第二次大戦後に中国・韓国が行ってきた反日・侮日・抗日の行動を幾つか拾うだけでも、このことが具体的に見えてくる。-「南京大虐殺」を捏造(ねつぞう)し、70年代になって尖閣諸島を自国領だと主張し始め、反日暴動や破壊、領土・領海・領空侵犯を繰り返し、日本領土上空に防空識別圏を設定して恫喝(どうかつ)するなど、わが国を圧迫し続けている中国。日本領の竹島を理不尽に奪って不法占拠し、「従軍慰安婦物語」を演出拡大して「反日」を世界にまき散らし、解決済みの各種補償問題を蒸し返しては金銭をたかるなど、ウソも百回言えば真実と言わんばかりのしつこさで反日に明け暮れている韓国。
この頑迷さはいったい何に由来しているのだろうか。
雑誌『歴史通』(平成21年3月発売号)の「中国人はなぜ平気でウソをつくのか」と題した対談記事の中で、工学博士の林思雲氏(中国出身)は、儒教について「中国では正直であることはあまり重要じゃない。…国家や家族のために不利なことは事実を曲げてでも隠さねばならない」「そのために積極的に嘘をつくことは倫理的に正しい行為なのです」などと述べている。
129年も前に福沢諭吉は、「脱亜論」として知られる『時事新報』の社説で、固陋(ころう)な儒教文化の支那(清)、朝鮮(李氏朝鮮)を「外見の虚飾のみを事として、…真理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を払って残刻不廉恥(ざんこくふれんち)を極め、尚傲然(ごうぜん)として自省の念なき者の如し」等々と評し、「アジア東方の悪友を謝絶するものなり」と記している。
日本では、他国を侮蔑語で呼ぶことなど一般的に考えられないが、儒教精神を反映しているのか、中国や韓国では日本や日本人を侮辱する「鬼子」「チョッパリ」などといった言葉が学校教育の場でさえ使われているという。
中・韓の頑迷固陋で身勝手な振る舞いは、どうやら論語や儒教文化に背景がありそうである。日本人が論語を人倫徳目として受け止めるのは、日本古来の和の精神や生真面目な国民性に由来するとの指摘もあるが、隣国の現実を見れば、違った角度から少し冷めた目で考え直してみることも必要ではないだろうか。
日本の学校では善隣友好を旨とし隣国の不都合なことに触れない傾向が強いが、それで本当に教育の責任が果たせるとは思えない。日本の価値観だけで世界を観(み)ることを戒めながら、事実に基づいて隣国の不都合な真実を子供たちに教えていくことも教育の大切な役割だと私は思う。教育も綺麗事(きれいごと)だけで収めてはいけないのである。
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【プロフィル】一止羊大
いちとめ・よしひろ (ペンネーム)大阪府の公立高校長など歴任。著書に『学校の先生が国を滅ぼす』など。