【産経抄】3月4日
先日行われた遠藤浩一さんのお別れ会で、遠藤さんと民社党時代からの同志だという西村真悟衆院議員は遺影に向かって『蛍の光』を歌い、手向けとした。といっても「蛍のひかり窓の雪…」で始まる1、2番ではない。戦後「消し去られた」3番だった。
▼「つくしの極(きわ)みみちのおく/うみやまとおくへだつとも/そのまごころは隔てなく/ひとつに尽くせ国のため」。日本人がみな、ひとつになって国に尽くしたい。日本の将来に万感の思いを抱いたまま亡くなった遠藤さんを送るに、ふさわしい歌だった。
▼『蛍の光』は明治14年、文部省の「小学唱歌集」初編の中の『蛍』として誕生した。スコットランド民謡に日本の歌詞をつけたものだ。4番にはこうある。「千島のおくも沖縄も/やしまのうちの護(まも)りなり/いたらん国にいさおしく/つとめよわがせ恙(つつが)なく」。
▼ここまでくれば分かる通り、単なる「卒業式の歌」ではなかった。幕藩体制から新しい国をつくり始めた明治初期、若い人の国民意識を育てようと作られたのである。4番など、国境の護りに赴く「わがせ(自分の兄弟や夫や恋人)」を送り出す意味とも受け取れる。
▼だが戦後この3番、4番はほとんど歌われなくなり、忘れ去られていった。例によってその歌詞が「平和国家の唱歌」にふさわしくないと嫌われたからだろう。1、2番も卒業式からほぼ姿を消し、パチンコ店などの「閉店の歌」と間違われるようになってしまった。
▼遠藤さんは遺稿となった1月3日付本紙「正論」で「観念化した戦後」に風穴を開ける必要を訴えた。安倍晋三首相の靖国神社参拝はその大きな一歩だと書いた。失われた『蛍の光』を取り戻すことはもう一つの一歩になり得る気がするのだ。