論より証拠…竹島不法占拠・韓国の強弁打ち砕く最古地図
江戸期の地理学者子孫を表彰へ
産経ウェスト竹島を最初に記した日本地図の製作者で江戸時代の地理学者、長久保赤水。島根県などが22日に開く「竹島の日」式典で子孫が表彰される。赤水再評価のきっかけになるか(長久保甫さん提供)
竹島(島根県隠岐の島町)を最初に記した日本地図の製作者で江戸時代の地理学者、長久保赤水(ながくぼ・せきすい 1717~1801年)を顕彰しようと、島根県などが22日に松江市で開く「竹島の日」式典で、資料提供した子孫を表彰することが分かった。赤水の地図は、日本が竹島領有を主張する根拠の一つになっており、関係者は「赤水を再評価する契機になれば」としている。
赤水の日本地図「改正日本輿地路程(よちろてい)全図」(1779年初版、通称・赤水図)は、竹島を「松島」、鬱陵(うつりょう)島を「竹島」と記し地図に記載。外務省は赤水図を、日本領有を示す代表的な地図としている。
昨夏、茨城県高萩市に住む子孫の長久保甫(はしむ)さん(74)が持ち込んだ資料から、赤水図より前に赤水自身が作った「日本図」(1760年代)と「改製日本扶桑分里(ふそうぶんり)図」(1768年)を島根県の竹島問題研究会が確認。いずれも竹島が記され、赤水が早くから竹島を認識していたことが裏付けられた。
高萩市などによると、赤水は水戸藩の地理学者で、赤水図は文献や図を参考に完成。日本初の実測地図とされる伊能忠敬の「大日本沿海輿地(えんかいよち)全図」(通称・伊能図)の42年前だった。
江戸幕府が伊能図を国家機密として明治まで非公開とした一方、赤水図は庶民に使われた。吉田松陰が赤水図を手に旅をしたとの記録も残っているという。しかし、実測図でないため「伊能図に劣る」との評価もあり、赤水の知名度も今ひとつだった。
高萩市では、功績を語り継ごうと平成24年、市民有志らがJR高萩駅前に赤水の銅像を建立している。
22日に松江市で開かれる「竹島の日」式典には、草間吉夫・高萩市長と佐川春久・長久保赤水顕彰会会長が出席予定。元同市職員の皆川敏夫・銅像建立実行委員長は「赤水が再評価されるのはうれしい。29年の生誕300年に向けて弾みがつく」と話した。