被災地に行く神殿…忘れまい、再生を尊ぶ精神。編集委員・安本寿久
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140119/waf14011907030001-n1.htm伊勢神宮内宮の正殿から転用された生田神社の鳥居。阪神大震災復興のシンボルとなった=神戸市中央区
被災地には今後、こんな支援こそ必要ではないか。そう思わせる「もの」が東日本大震災から丸3年になる前日の3月10日、大阪から届けられる。「心」と言った方がいいかもしれない。贈られるのは神社の社殿なのである。
送り主は大阪市住吉区で浪速高・中学を運営する学校法人・浪速学院(木村智彦理事長)。送り先は岩手県大船渡市の松島神社である。同神社は末崎半島にあって、主に地元の漁師たちの信仰を集めていたが、大震災による津波で跡形もなく流された。今も復興されていない。
同学院では、平成27(2015)年度末竣工の予定で、新校舎建設が進んでいる。目玉の一つは校内にある学院神社を昭和14(1939)年竣工の姿に近づけることだ。神職団体の大阪国学院を設立者とする同学院は全国の高校・中学で唯一、校内に神社を持っていたが、終戦時のGHQ(連合国軍総司令部)の命令で撤去せざるを得なかった。ようやく28年、小さなものなら、という許可を得て現社殿を竣工したという歴史がある。
〈現在の社殿より大きく、昭和14年の社殿より小さく〉
新校舎建設ではこの方針で、新社殿の設計建設が進んでいるが、現社殿も十分に現役が務まる。「大震災で社殿を失った神社が多い東北に贈れないものか」。木村理事長の打診に岩手県神社庁が応じ、神社本庁から大阪府神社庁を通して、受け入れ希望が伝えられたのである。
同学院では、高校卒業式が行われる2月15日、仮遷座を行ってから社殿の補修を行い、大船渡に向かって発送する予定だ。
遷宮でも行われる再利用
論を講ずるべき当欄で長々とニュースを書いたのは、この社殿の再利用こそ、日本人の価値観や精神の根本をなすものだからである。
昨年は60年に1度の出雲大社の大遷宮と、20年に1度の伊勢神宮の式年遷宮が行われた。出雲では檜皮葺(ひわだぶ)きの本殿大屋根などの修造が行われ、伊勢ではすべての社殿や鳥居などが一新された。「常若(とこわか)」。新たな住まいで神々が生命力を復活することばかりが注目されがちだったが、見落としてはならないのは、古い社殿や鳥居も他の神社などで再利用される点である。
出雲では、古い檜皮は「御本殿大屋根檜皮古材」としてお守りになる。60年間の長きにわたって祭神・オオクニヌシノミコトの住まいを守った霊験を分かち合おうというのである。伊勢では、小さな鳥居などはそのまま、社殿などは解体して木材として、全国の神社などで再利用される。浪速学院でも新社殿の建設に当たって、伊勢の鳥居を1つ、いただくことになっている。
「いただく鳥居は校内で、新しい生命を持つ。これは再生であり復活。古いものを大事にしないと、遷宮も意味がない」と木村理事長は話す。
実は、GHQの有無を言わさぬ命令で撤去された元の社殿も破棄されたわけではない。昭和21年2月2日に撤去された翌年、望まれて生根神社(大阪・玉造)に移設された。そこで17年間、神の住まいとしての役割を果たした後、鷹合神社(大阪・東住吉)で3度目の務めについたが、昭和41年に失火によって焼失した。生涯現役を貫くのがほとんどの社殿で、この再生の制度にこそ、「もの」に「心」をこめる日本人の特徴があるのだ。
神話は心のよりどころ
もう一つ、浪速学院が再生を期しているものがある。高校のアメリカンフットボール部で、社殿撤去を命じたGHQがその際、プレゼントしてくれたボールや用具を基に発足した伝統を持ちながら、近年は大阪府内(18校)で14~16番手に低迷しているチームである。
再生は、浪速ワイバーンズというチーム名の変更から着手した。新しい名はスサノオズ。言うまでもなく、日本神話のヒーロー、須佐之男命(すさのおのみこと)にあやかった命名である。
「ヤマタノオロチを退治した須佐之男命の荒ぶる精神をチームに吹き込みたい」(木村理事長)
チームの再生を託すには、須佐之男命はまさにぴったりの神様である。もともとは父のイザナキノミコト、姉の天照大御神(あまてらすおおみかみ)が手を焼くわがまま者、暴れん坊だった。それが地上に下るや、ヤマタノオロチを退治してクシナダヒメを救い、並外れた愛妻家として暮らすに至る。その後、古事記に登場するのは根堅州国(ねのかたすくに)の支配者としてで、娘のスセリビメの行く先を案じ、求婚者のオオクニヌシノミコトに試練を課す、厳格で娘思いの父親となっている。これほど再生を繰り返して成長する神様は、八百万(やおよろず)を数える神々の中でも珍しい。
古事記がさまざまな形で描くように、日本人の価値観の根本をなすのは再生を尊ぶ精神である。古びても、場所さえ変えれば新たな生命が宿る。そこには果たすべき役割が必ずある。世界でも前例のない高齢社会に突入している現代日本が肝に銘ずるべきことだろう。神話や神社、社殿には学ぶべきことが多々ある。問題は、教訓を読み取れるかどうかだけなのだ。