悠仁親王殿下、初めての沖縄ご訪問。「平和の礎」もご覧に。
皇太子殿下、マンデラ氏追悼式ご参列。
皇居・宮殿で開かれた茶会で、日・ASEAN特別首脳会議に出席する各国首脳らに声をかけられる天皇、皇后両陛下=13日午後、皇居・宮殿「連翠」(代表撮影)
6日にインド公式訪問から帰国された天皇、皇后両陛下。直後の土日は公式行事はなかったが、9日の月曜日以降、多くの公務などで再び忙しい日々を送られた。
両陛下は12日、東京国際展示場(東京ビッグサイト、東京都江東区)で、環境に配慮した製品などの展示会「エコプロダクツ2013」を視察された。東日本大震災の津波被害を乗り越えた仙台市の企業ブースもあり、両陛下はねぎらいの言葉をかけられた。
両陛下は13日、江戸時代中期に在位した歴代最後の女性天皇、後桜町(ごさくらまち)天皇の崩御から200年の式年祭が皇居・皇霊殿などで24日に行われるのを前に、後桜町天皇の研究者の進講を受けられた。皇太子ご夫妻も陪席された。 後桜町天皇は、弟の桃園(ももぞの)天皇が若くして崩御した上、その子の英仁(ひでひと)親王(のちの後桃園天皇)が幼かったため即位したが、その後譲位。漢学を好み、歌道にも長じていたという。皇室では歴代天皇の崩御から50年、100年といった区切りの「式年」には必ず宮中祭祀(さいし)を行っており、両陛下はその「式年祭」を前に、こうした進講を受けられている。
両陛下は同日、皇居・宮殿で、日本・ASEAN特別首脳会議出席の各国首脳夫妻と茶会で歓談された。茶会には皇太子さま、秋篠宮ご夫妻も陪席された。 5日のマンデラ南アフリカ元大統領死去を受け、陛下は12日、ズマ大統領へ弔電を送られた。
これに先立ち皇太子さまは9~11日の日程で同国を訪問し、10日の追悼式に参列して哀悼の意を示された。
皇太子さまは機中2泊で現地滞在は約半日と、あわただしいご日程に。ただ、サッカー競技場で行われた追悼式には約100の国や国際機関から多数の首脳級が訪れており、待ち時間の間に複数の国の王族関係者や首脳とお会いになる機会もあったという。
皇太子妃雅子さまは9日、50歳の誕生日を迎えられた。ご療養に入られて10年となるが、小町恭士東宮大夫は誕生日前の会見で「一生懸命、可能な範囲でお務めを殿下(皇太子さま)とともになされてこられたと思う」と述べた。
雅子さまは9日午前、東宮御所で皇族方のご祝賀をお受けになった。同日夕には、1日に12歳となられた長女、敬宮(としのみや)愛子さまとともに両陛下へのごあいさつのため皇居に入られた。半蔵門を通過する際には車の窓を開け、待ち受けた人々に笑顔で手を振られた。宮内庁によると、同日夜には両陛下が東宮御所にお出ましになり、お祝いの夕食会が和やかに開かれたという。
秋篠宮ご夫妻と長男の悠仁(ひさひと)さまは10、11日、お茶の水女子大付属小学校の入試休みを利用し、沖縄県を旅行された。初の沖縄訪問となった悠仁さまはご夫妻とともに、沖縄戦の戦没者の名が刻まれた糸満市の平和祈念公園の石碑「平和の礎(いしじ)」を見るなど、慰霊の場も回られた。一方、沖縄市の「沖縄こどもの国」では、ヤギや牛に牧草をやりながら「ちっちゃい」「いっぱい食べる」と話されていた。
6日の両陛下のご帰国を羽田空港で出迎えた直後に倒れ、入院していた三笠宮家の彬子(あきこ)さまは7日、退院された。妹の瑶子(ようこ)さまも胃腸炎の疑いで6日に入院したが、検査では異常はなく、10日に退院された。
宮内庁職員組合の文化祭美術展が12日、同庁舎内で始まり、今年も両陛下や皇族方が作品を出品された。愛子さまは学校の課題で製作したペットショップのミニチュア模型などをご出品。悠仁さまは、皇居や夏休みに訪れた福井県などで採集したセミやトンボなどの標本を作られた。
マンデラ南アフリカ元大統領の追悼式会場に到着された皇太子殿下=10日、南アフリカ・ヨハネスブルク(AP=共同)