明治42年に書かれた田山花袋の『田舎教師』に「天長節」のお祝いが描かれている。言うまでもなく天皇誕生日で、明治時代は11月3日だった。舞台は埼玉県の「田舎」の小学校である。先生と生徒たちが登校、村長や父兄も集まってくる。
▼教育勅語の箱が置かれた講堂で「君が代」と天長節の歌を合唱する。生徒たちが紙に包んだ菓子をもらい「莞爾(にこにこ)して」帰ると、先生や村長らは餅菓子などで茶話会を開く。だが「大君の目出たい誕生日」はそれだけで収まらず、一部は「田圃(たんぼ)の中の料理屋」にくり出す。
▼ビールを飲みながら、村長と校長は今年の豊作などについて話している。庭には大輪の菊が咲き、遠くに枯れ草を燃やす烟(けむり)が上がる。実にさわやかな情景である。全国津々浦々まで国民みんなが天長節を祝う。そんな明治の時代がうらやましくなる場面である。
▼1日の本紙、新保祐司氏の「正論」はその明治に関し島崎藤村の『夜明け前』の一節を引用している。「帝が群臣を従えてこの辺鄙(へんぴ)な山里をも歴訪せらるるすずしい光景は、街道を通して手に取るように伝わって来た」。明治天皇が木曽路などを巡幸されたときのことだ。
▼「すずしい」とはこの場合、澄んでいて清々(すがすが)しいという意味だ。これを受けて新保氏は「明治とは本質的に『すずしい』時代であった」と、論じておられる。言われてみれば『田舎教師』の天長節から感じたさわやかさは、明治の「すずしい」精神なのかもしれない。
▼さらに新保氏によれば、本来の日本は「すずしい」国でなければならない。そんな日本を取り戻すためにはその明治の精神を回想する必要がある。それが、11月3日を「明治の日」に変えなければならない所以(ゆえん)だという。全く同感である。