「学徒の碑」五輪で朽ちさせるな。
防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛
10月21日は、先の大戦期の出陣学徒壮行会から数えて70年に当たった。往時の明治神宮外苑競技場で分列行進する学徒隊の映像がこの日の夕方のテレビで流されたので、それを見た人も少なくないだろう。毎年ではないが、この時期、同じ映像が繰り返し放映されてきた。だから、この壮行会の模様は、陸軍分列行進曲「扶桑歌」のメロディーともども、かなりの人々にとり馴染(なじ)みのものだろう。
《苦い記憶反芻するよすがに》
別の情景も報道された。70年前の元学徒や遺族ら約100人が今日の国立競技場にある慰霊碑前に集い追悼会を行った。これもまた例年通り。だが、来年はそうはならない。競技場が7年後のオリンピックのため建て替えられるので、慰霊碑は来夏に撤去される。その撤去が「一時」なのか「永遠」なのかは、今のところ分からない。私は愕然(がくぜん)とした。
さらにもう一言。今年参集した元学徒の人々は、いまおおむね90歳の高齢である。70年前に20歳で応召したのだから、当然だ。慰霊碑が来年にもなお健在だと仮定しても、今年参集した高齢者の全員がもう一度出席できる保証はない。この人々は新装なるオリンピック施設の一隅に碑が復活するよう切望している。が、復活を求めて強力な請願運動を展開することは、高齢ゆえにもはやかなうまい。私は黙しておれなくなった。
高齢の元出陣学徒たちが自分の思い出のためだけに何年か後の慰霊碑再建を望んでいるのでないことは、明白である。再建場所がどこでもいいと考えているわけではないことも、確実だ。彼らは自分たちのノスタルジーを温めているのではない。苦かった時代の記憶が日本国民の間で消えうせはしまいか、と心配しているのだ。
そうならないためには、何年か後に慰霊碑が現在の場所のなるべく近くに再建されるのがよいのだが、という気持ちだろう。なぜなら、場所の呼称は変わっても碑が存在すれば昭和18年10月の学徒たちによるあの悲しくも威圧的な分列行進の意味を後続世代に反芻(はんすう)させるよすがとなるだろうからだ。
《一世代上の無念に声上げて》
なぜ私が声を上げるのか。鍵は私の年齢にある。昭和18年に学徒出陣した世代とは一回り違う。ただ、その程度の年齢差なら、この人々の心境が理解できる。彼らは70年前に学業を途中で-少なくとも2年ほどは-断念しなければならなかった己の運の悪さをこぼすでなく、戦場に散った昔の友への詫(わ)びばかりを語る。それが私の世代には痛切でならない。当時、「国民学校」3年生だった私はそのころの空気をほぼ思い出せる。どうして身についたのか知らないが、昭和19年作とされる「学徒動員の歌」(「学徒出陣」ではない)を今も歌える。
自分たちを「花もつぼみの若桜」と呼び、「国の大事に殉ずるは、我ら学徒の面目ぞ」と続く。
念のために言うが、この歌はせいぜい2年しか歌われなかった。国が敗れたからだ。が、一度記憶の小函(こばこ)に入ったものは残る。私がボケないうちは自分の記憶を次世代に伝えることもできよう。だから、一回り上の世代の無念のほどを下の世代に伝える役割も及ばずながら担える。それをやろう。
必要あって最近、竹山道雄先生の第一高等学校教授時代の文章をいくつも読み返した。先生は戦後、学制改革で東大教養学部で教鞭(きょうべん)をとられたが、程なく退職された。私は同教養学科に非常勤として出講された先生の最後の数少ない受講生として旧制一高の話を幾度も聞いた。先生の戦中の文章に学徒出陣したある一高生の運命が綴(つづ)られている。教え子は南方の島で玉砕、その「葬儀に骨もなく、遺髪すら還(かえ)らなかった」とある。
《旧制高生も参加した分列行進》
学徒出陣と聞くと、今日の世代は大学生が対象だったと考えやすい。が、違う。残された音源からは、70年前に分列行進したのが「東京帝国大学、早稲田大学、慶応義塾大学…」だと知れるが、それだけではない。20歳に達した旧制高校生、高等専門学校生も多数行進したのである。だから、外苑競技場のグラウンドは満杯となった。専攻さえ決まっていない学徒が多数出陣したのが真実なのだ。
先の大戦については林房雄流の「大東亜戦争肯定論」も理念的、思想的にはあり得よう。が、苦肉の法規改正までして20歳の学徒を戦場に送った昭和18年秋の東条英機内閣は、戦争の技術工学的分析の面で落第だった。3カ月前の本欄で私は、「銃後」の老人、女子供が手製の竹槍(たけやり)で軍事教練に駆り出された自分の体験を書いた。これまた、戦争遂行に技術工学的発想が欠落していた証拠だった。この記憶を伝承できるか。
7年後のオリンピック東京開催決定は快事だ。が、喜ぶあまり開会式のスタジアムが昭和18年に呈したあの異様な情景を忘れてしまってはならない。オリンピック開催の歓喜と70年前に遡(さかのぼ)る苦い記憶の伝承とは両立できないものではない。そのためにも来秋に撤去される予定の慰霊碑の原状回復がどうしても必要だと考える。
(させ まさもり)