昭和20年7月3日 尖閣戦時遭難事件。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






【尖閣国有化1年 国境の島が危ない】

外国の干渉で慰霊もできない“異常” 

犠牲者80人「尖閣戦時遭難事件」

http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130908/plt1309080734000-n1.htm


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魚釣島で催された「尖閣戦時遭難事件」の慰霊祭=1969年5月(石垣市提供)




 「父の遺骨を持ち帰りたい。それを成し遂げないまま死ねば、私は悔いを残す…」

 東京で三線教室を主宰する元沖縄県議会議長の伊良皆高吉(いらみな・こうきち)さん(75)は、尖閣諸島・魚釣島に行きたいという思いを、強く持ち続けている。島には太平洋戦争末期の1945年に遭難した父、高晨(こうしん)さん(享年54)ら、日本人の遺骨が眠っているのだ。

 45年7月3日、石垣島から台湾へ疎開途中の船2隻が米軍機の攻撃を受けた。1隻は沈没し、1隻は魚釣島に漂着したが、遭難者は飢えに苦しみ、餓死者も発生した。銃撃による死亡や溺死も含め、犠牲者は約80人に上るとされる。「尖閣戦時遭難事件」と呼ばれている。

 遺族会の慶田城用武(けだしろ・ようたけ)会長によると、戦後も遺骨収集は行われていない。死亡者が埋葬されないままに遺骨が風化した可能性もあり「遺骨を探すのは難しいだろう」と話す。

 伊良皆さんは77年、父の遺骨を求めて魚釣島に上陸したが、探し当てられなかった。再度の上陸を模索するうち、78年には100隻以上の中国船が尖閣周辺に押し寄せる事件が発生した。伊良皆さんは「日本人の上陸に対する中国の威圧だ」と感じた。

 日中対立がさらに深刻化した現在、上陸は事実上不可能な状況だ。たとえ上陸が許可されても、個人の遺骨収集作業には限界がある。伊良皆さんは「戦後処理の一環として行政にも協力してもらえないか。せめて現地での慰霊祭を開いてほしい」と要望する。

 遺族会は、魚釣島での慰霊祭開催について「日中対立をエスカレートさせる」と消極的で、慰霊祭は毎年、石垣島で開いている。しかし、石垣市は69年に魚釣島で慰霊祭を開いたことがあり、その際、現地に慰霊碑も建立している。現地での慰霊祭開催を求める声も根強い。



超党派の国会議員で組織する「日本の領土を守るため行動する議員連盟」(領土議連)は昨年8月、慰霊祭開催のため、政府に魚釣島への上陸を申請したが許可されず、漁船をチャーターし、魚釣島近くで洋上慰霊祭を開いた。

 中国はすかさず「中国の領土主権を損なう行動だ」と中止を要求した。死を悼むという人類共通の感情に対してさえ「領土問題」を持ち出してくる中国の姿勢は人道的に許されまい。領土議連は今年も洋上慰霊祭を計画しているというが、中国公船が妨害に現れるような事態が懸念される。

 日本国内での遭難なのに、外国の干渉で現地での慰霊も遺骨収集もできない。これを異常と感じてこなかった日本人の感覚こそ異常ではないか。=おわり

 

■仲新城誠(なかあらしろ・まこと) 

 1973年、沖縄県石垣市生まれ。琉球大学卒業後、99年に石垣島を拠点とする地方紙「八重山日報社」に入社。2010年、同社編集長に就任。同県の大手メディアが、イデオロギー色の強い報道を続けるなか、現場主義の中立的な取材・報道を心がけている。著書に「国境の島の『反日』教科書キャンペーン」(産経新聞出版)など。