今日は、8月15日です。
英霊への感謝の黙祷を捧げるとともに、あらためて陛下の終戦の詔勅を読み返してみたいと思います。
陛下の終戦の詔勅といえば「耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」ばかりが強調されますが、大切なことはそれだけではありません。
陛下のお声を「玉音」といいますが、ときの陛下が「全国民」に向けて、直接お言葉を発せられたのは、日本開闢以来今年で2673年になる我が国の歴史上、たった二回しかありません。
それほどまでに貴重な陛下の玉音放送を、あたらめてこの8月15日という日に読むことは、私たち日本人にとって、たいへん大きな意味があるものと思います。
たいへん僭越ではございますが、ねずブロはわかりやすさを重視している関係で、まず全文の口語訳を掲載し、そのうえで、玉音放送の原文を掲載したいと思います。
とても大切なことが述べられていることがわかります。
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【口語訳終戦の詔勅】
朕は、深く世界の大勢と、帝国の現状をかえりみて、非常措置をもって事態を収拾しようと考え、ここに忠実にして善良なる汝ら臣民に告げる。
朕は、帝国政府に、米英中ソの四国に対し、そのポツダム宣言を受諾する旨、通告させた。
そもそも、帝国臣民の安寧をはかり、万国が共存共栄して楽しみをともにすることは、天照大御神からはじまる歴代天皇・皇室が遺訓として代々伝えてきたもので、朕もそれをつねづね心がけてきた。
先に米英の二国に宣戦した理由も、実に帝国の独立自存と東アジア全域の安定とを希求したものであって、海外に出て他国の主権を奪い、領土を侵略するがごときは、もとより朕の志すところではない。
しかるに、交戦状態はすでに4年を過ぎ、朕の陸海軍の将兵の勇敢なる戦い、朕のすべての官僚役人の精勤と励行、朕の一億国民大衆の自己を犠牲にした活動、それぞれが最善をつくしたのにもかかわらず、戦局はかならずしも好転せず、世界の大勢もまたわが国にとって有利とはいえない。
そればかりか、敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない。
この上、なお交戦を続けるであろうか。
ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。
そのようになったならば、朕は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか。
皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。
以上が、朕が帝国政府に命じ、ポツダム宣言を受諾させるに至った理由である。
朕は、帝国とともに終始一貫して東アジアの解放に協力してくれた、諸々の同盟国に対し、遺憾の意を表明せざるをえない。
帝国の臣民の中で、戦陣で戦死した者、職場で殉職した者、悲惨な死に倒れた者、およびその遺族に思いを致すとき、朕の五臓六腑は、それがために引き裂かれんばかりである。
かつ、戦傷を負い、戦争の災禍をこうむり、家も土地も職場も失った者たちの健康と生活の保証にいたっては、朕の心より深く憂うるところである。
思うに、今後、帝国の受けるべき苦難は、もとより尋常なものではない。
汝ら臣民の真情も、朕はよく知っている。
しかし、ここは時勢のおもむくところに従い、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、それをもって万国の未来、子々孫々のために、太平の世への一歩を踏み出したいと思う。
朕はここに、国家国体を護り維持しえて、忠実にして善良なる汝ら臣民の真実とまごころを信頼し、常に汝ら臣民とともにある。
もし、事態にさからって激情のおもむくまま事件を頻発させ、あるいは同胞同志で排斥しあい、互いに情勢を悪化させ、そのために天下の大道を踏みあやまり、世界の信義を失うがごとき事態は、朕のもっとも戒めるところである。
そのことを、国をあげて、各家庭でも子孫に語り伝え、神国日本の不滅を信じ、任務は重く道は遠いということを思い、
持てる力のすべてを未来への建設に傾け、
道義を重んじて、志操を堅固に保ち、
誓って国体の精髄と美質を発揮し、
世界の進む道におくれを取らぬよう心がけよ。
汝ら臣民、以上のことを朕が意志として体せよ。
御名御璽
昭和20年8月14日
~~~~~~~~~~
終戦の詔勅は14日に承認され、15日に玉音放送となって全国に流されました。
そして日本は国としての戦闘行為を、終結させています。
この詔勅の前段で、陛下は、はっきりと述べられました。
「(この戦争は)帝国の独立自存と東アジア全域の安定とを希求したものであって、海外に出て他国の主権を奪い、領土を侵略するがごときものではない」。
日本は、侵略戦争をしたのではないのです。
さんざん挑発を受けながらも、耐えに耐え、ずっと帝国の独立自存と東アジア全域の安定とを希求し続けてきたのです。
そして、「挑発」を受けて「攻撃(アタック)」することは、侵略ではなく、国家として当然の権利であるということは、万国共通の常識です。
さらに陛下は、原爆が落とされ、これ以上戦闘を続けるならば、
「日本民族が滅亡するだけでなく、万国共存共栄して楽しみをともにしようという八紘一宇という、諸国友好を希求する人類文明の願いそのものを破滅させてしまう」と述べられています。
つまり、戦闘行為を終結させたのは、あくまで「諸国友好という人類普遍の願いの実現のため」である、ということを明確に述べられているのです。
日本もすでに原爆の開発を終えていたことは、歴史的史実が示す通りです。
けれど陛下は、その使用はおろか、開発までをも厳しく取りやめを命じられました。
日本の戦いは、あくまで「諸国友好という人類普遍の願いの実現のため」だからです。
だからこそ、「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、それをもって万国の未来、子々孫々のために、太平の世への一歩を踏み出」すことを決意され、終戦の詔勅を発せられたのです。
ここで大切なことは、陛下のご意思が、「万国の未来のため」にあったということです。
日本だけでない。世界の人々の子々孫々の諸国友好のためです。
陛下のお姿勢は、常に一貫されています。
そして、陛下は、
=======
その任務は任務は重く、道は遠いけれど、
日本の臣民は、持てる力のすべてを未来への建設に傾け、
道義を重んじ、
志操を堅固に保ち、
誓って国体の精華と美質を発揮し、
世界の進む道におくれを取らぬよう心がけよ。
そして汝ら臣民は、これを陛下のご意志として体現せよ
=======
と結ばれました。
戦前の教育を受けた私たちの諸先輩は、ですから本気で、まずは焼け野原になった日本の復興をしてきました。
特に激戦地となった沖縄は、戦後長く米国領にされていましたが、ようやく日本に復帰すると、日本国政府はわざわざ「沖縄開発庁」をつくり、沖縄にたくさんの税を投入して、沖縄の産業振興や、被災された沖縄県民へのあらゆる角度からの援助を惜しみなく与え続けてきました。
私は静岡県の浜松市出身で、浜松も艦砲射撃と空襲で、何もない焼け野原となり、我が家も丸焼けになってしまいましたが、間違いなくいえることは、その浜松市に政府がこれまで戦後68年間に投下したお金の何百倍ものお金が、沖縄には投下されているということです。
そしてそのことを不満に思っている本土の人は、これまでの戦後の日本の歴史の中で、誰一人いないし、そういう発言をした人自体が、誰もいないといことも、これまた、事実です。
戦後の日本は、持てる力のすべてを、まずは国土の復興にあててきました。
あたりまえのことですが、国には国土があります。
けれど、その国土がただの焼土では、まるで使い物になりません。
共同体としての国家の維持発展のためには、道路を作り、橋を架け、トンネルを掘り、鉄道を敷設し、国家としてのインフラを整備しなければなりません。
そして人々の衣食住の確保のために、山に植林をし、農地を確保し、瓦礫を片付けてそこに住宅を建設していかなければなりません。
そのためには、たいへんな労働力の確保と、その労働力への賃金の支払が必要です。
戦後の日本はインフレ経済で、たいへんな高度成長を遂げていますが、その高度成長のもととなった民間消費は、こうして政府が湯水のように国家としてのインフラ整備事業のためにお金を遣い続けたことによります。
逆にいえば、平成以降のデフレは、バブル崩壊後に、政府がまったくお金を遣わなくなったこと、せっかく発行した国債も、むしろ国内産業保護ではなく、外国へのばらまいてしまったこと、そのために国内にお金が回らなくなってしまったことによります。
お金がまわらなければ、経済力の弱い庶民は、自衛のためにお金を遣わなくなります。
こうして消費が先細りになり、経済が沈滞化し、物価がさがり、いまや完全にデフレスパイラルに日本は陥っています。
安倍総理や麻生副総理が、いま進めようとしているのは、だから、なんとかして政府が労働市場を捻出し、民間にお金がまわるようにしようというものです。これがアベノミクスです。
ただ、そうした官民一体となった戦後復興を優先するあまり、おいてけぼりになってしまったのが、終戦の詔勅にある、「道義を重んじ、志操を堅固に保ち、国体の精華と美質を発揮」することです。
日本を取り戻すというのは、ひとつには国民経済としてのデフレからの脱却であり、そしてもうひとつが「道義を重んじ、志操を堅固に保ち、国体の精華と美質を発揮できる国つくり」という徳義の復活にあります。
そして、この二つは、常に車の両輪です。
さて、もうひとつ最後に書いておきたいことがあります。
終戦の詔勅の中で、陛下は、私たち国民に、「爾臣民(なんじしんみん)」と呼びかけられています。
この「臣民」という言葉について、ずいぶん以前になりますが、以前誰かがこのブログのコメント欄に、
「臣民とは、天皇に直接支配される人民のことだから、教育勅語下では、国民は天皇に隷属するものです」などとアホなことを書いてきました。
以前はこうしたコメントも、そのまま掲載を許可していましたが、最近では、いくら当ブログにこのようなくだらないコメントを書いても、即削除しています。
なぜ「アホ」なのか。
自分の不勉強を棚にあげて、狭量な自分の世界だけでものごとをとらえようとしているからアホなのです。
「臣民」という言葉は、近世までは用語例ほとんどなく、あたりまえの概念に他ならなかったものです。
それが明治憲法で法律用語として使われて、注目されるようになった言葉です。
「臣民」は、「臣」と「民」という二つの漢字からできていますが、そもそも「臣」と「民」とは全く異なる概念です。
なぜなら、「臣」は、治者である君主に仕える人臣、臣下を指し、「民」は、被治者を指すからです。
漢字の「臣」は、もともと下に伏せて俯いた目をあらわす象形文字です。
「民」は、目を針で突いて目を見えなくした姿をあらわす象形文字です。
要するに、ただ「民」というならば、それは「盲(めしひ)たる民」(盲民)であり、ただの奴隷です。
ところが「臣」は、君を支え、君とともにある者たちです。
ですから「臣」のなかでも、大物になると、これが「大臣」となります。
もっというなら、「国民」のほうが、よっぽど酷い言葉です。
なぜなら「国民」は、国によって目をつぶされて何も見えなくなった奴隷という意味になるからです。
ところが「臣民」となると、国の最高権威であらせられる天皇の家族、家臣です。
家族の目をつぶそうなどとは誰も考えません。
そもそも日本では、「たみ」こそ国の宝という基本理念があり、ですから「臣民」は「朕のたみ」であり、「朕の家臣」であり、これを「おおみたから」といいます。
ワープロで「おおみたから」と入力して、漢字変換キーを押すと「公民」と変換されます。
明治憲法が、一般の国民を「臣民」と書き、また陛下が日本国初の全国民に向けた玉音放送において、「臣民」と語りかけたのは、単に「国民」や「民」なら、目をつぶされた権力者の奴隷にすぎないけれど、陛下は、私たち日本の「たみ」を、たいせつな国の宝と思い、語りかけられたということです。
とてもありがたいことです。
そして、いまはなき昭和天皇が、「道義を重んじ、志操を堅固に保ち、国体の精華と美質を発揮できる国」つくりをしなさいと、昭和20年8月15日にご遺言なされているのです。
わたしたち日本人が、日本人としての自覚と誇りを取り戻し、「道義を重んじ、志操を堅固に保ち、国体の精華と美質を発揮できる国つくりを開始するのは、いつでしょうか。
それは、いま、ではないでしょうか。
靖国に祀られる英霊、246万6,532柱英霊。
私たちは、8月15日という節目にあたり、いよいよ新たな国つくりのために、決意を新たにしたい。
私はそう思います。
~~~~~~~~~~~
【終戦の詔勅原文】
朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遣範ニシテ朕ノ拳々措カサル所 曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス 加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ 惟フニ今後帝国ノ受クヘキ困難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル 然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム 宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克く朕カ意ヲ体セヨ
御名御璽
昭和20年8月14日
【口語訳終戦の詔勅】
朕は、深く世界の大勢と、帝国の現状をかえりみて、非常措置をもって事態を収拾しようと考え、ここに忠実にして善良なる汝ら臣民に告げる。
朕は、帝国政府に、米英中ソの四国に対し、そのポツダム宣言を受諾する旨、通告させた。
そもそも、帝国臣民の安寧をはかり、万国が共存共栄して楽しみをともにすることは、天照大御神からはじまる歴代天皇・皇室が遺訓として代々伝えてきたもので、朕もそれをつねづね心がけてきた。
先に米英の二国に宣戦した理由も、実に帝国の独立自存と東アジア全域の安定とを希求したものであって、海外に出て他国の主権を奪い、領土を侵略するがごときは、もとより朕の志すところではない。
しかるに、交戦状態はすでに4年を過ぎ、朕の陸海軍の将兵の勇敢なる戦い、朕のすべての官僚役人の精勤と励行、朕の一億国民大衆の自己を犠牲にした活動、それぞれが最善をつくしたのにもかかわらず、戦局はかならずしも好転せず、世界の大勢もまたわが国にとって有利とはいえない。
そればかりか、敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない。
この上、なお交戦を続けるであろうか。
ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。
そのようになったならば、朕は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか。
皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。
以上が、朕が帝国政府に命じ、ポツダム宣言を受諾させるに至った理由である。
朕は、帝国とともに終始一貫して東アジアの解放に協力してくれた、諸々の同盟国に対し、遺憾の意を表明せざるをえない。
帝国の臣民の中で、戦陣で戦死した者、職場で殉職した者、悲惨な死に倒れた者、およびその遺族に思いを致すとき、朕の五臓六腑は、それがために引き裂かれんばかりである。
かつ、戦傷を負い、戦争の災禍をこうむり、家も土地も職場も失った者たちの健康と生活の保証にいたっては、朕の心より深く憂うるところである。
思うに、今後、帝国の受けるべき苦難は、もとより尋常なものではない。
汝ら臣民の真情も、朕はよく知っている。
しかし、ここは時勢のおもむくところに従い、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、それをもって万国の未来、子々孫々のために、太平の世への一歩を踏み出したいと思う。
朕はここに、国家国体を護り維持しえて、忠実にして善良なる汝ら臣民の真実とまごころを信頼し、常に汝ら臣民とともにある。
もし、事態にさからって激情のおもむくまま事件を頻発させ、あるいは同胞同志で排斥しあい、互いに情勢を悪化させ、そのために天下の大道を踏みあやまり、世界の信義を失うがごとき事態は、朕のもっとも戒めるところである。
そのことを、国をあげて、各家庭でも子孫に語り伝え、神国日本の不滅を信じ、任務は重く道は遠いということを思い、
持てる力のすべてを未来への建設に傾け、
道義を重んじて、志操を堅固に保ち、
誓って国体の精髄と美質を発揮し、
世界の進む道におくれを取らぬよう心がけよ。
汝ら臣民、以上のことを朕が意志として体せよ。
御名御璽
昭和20年8月14日
~~~~~~~~~~
終戦の詔勅は14日に承認され、15日に玉音放送となって全国に流されました。
そして日本は国としての戦闘行為を、終結させています。
この詔勅の前段で、陛下は、はっきりと述べられました。
「(この戦争は)帝国の独立自存と東アジア全域の安定とを希求したものであって、海外に出て他国の主権を奪い、領土を侵略するがごときものではない」。
日本は、侵略戦争をしたのではないのです。
さんざん挑発を受けながらも、耐えに耐え、ずっと帝国の独立自存と東アジア全域の安定とを希求し続けてきたのです。
そして、「挑発」を受けて「攻撃(アタック)」することは、侵略ではなく、国家として当然の権利であるということは、万国共通の常識です。
さらに陛下は、原爆が落とされ、これ以上戦闘を続けるならば、
「日本民族が滅亡するだけでなく、万国共存共栄して楽しみをともにしようという八紘一宇という、諸国友好を希求する人類文明の願いそのものを破滅させてしまう」と述べられています。
つまり、戦闘行為を終結させたのは、あくまで「諸国友好という人類普遍の願いの実現のため」である、ということを明確に述べられているのです。
日本もすでに原爆の開発を終えていたことは、歴史的史実が示す通りです。
けれど陛下は、その使用はおろか、開発までをも厳しく取りやめを命じられました。
日本の戦いは、あくまで「諸国友好という人類普遍の願いの実現のため」だからです。
だからこそ、「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、それをもって万国の未来、子々孫々のために、太平の世への一歩を踏み出」すことを決意され、終戦の詔勅を発せられたのです。
ここで大切なことは、陛下のご意思が、「万国の未来のため」にあったということです。
日本だけでない。世界の人々の子々孫々の諸国友好のためです。
陛下のお姿勢は、常に一貫されています。
そして、陛下は、
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その任務は任務は重く、道は遠いけれど、
日本の臣民は、持てる力のすべてを未来への建設に傾け、
道義を重んじ、
志操を堅固に保ち、
誓って国体の精華と美質を発揮し、
世界の進む道におくれを取らぬよう心がけよ。
そして汝ら臣民は、これを陛下のご意志として体現せよ
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と結ばれました。
戦前の教育を受けた私たちの諸先輩は、ですから本気で、まずは焼け野原になった日本の復興をしてきました。
特に激戦地となった沖縄は、戦後長く米国領にされていましたが、ようやく日本に復帰すると、日本国政府はわざわざ「沖縄開発庁」をつくり、沖縄にたくさんの税を投入して、沖縄の産業振興や、被災された沖縄県民へのあらゆる角度からの援助を惜しみなく与え続けてきました。
私は静岡県の浜松市出身で、浜松も艦砲射撃と空襲で、何もない焼け野原となり、我が家も丸焼けになってしまいましたが、間違いなくいえることは、その浜松市に政府がこれまで戦後68年間に投下したお金の何百倍ものお金が、沖縄には投下されているということです。
そしてそのことを不満に思っている本土の人は、これまでの戦後の日本の歴史の中で、誰一人いないし、そういう発言をした人自体が、誰もいないといことも、これまた、事実です。
戦後の日本は、持てる力のすべてを、まずは国土の復興にあててきました。
あたりまえのことですが、国には国土があります。
けれど、その国土がただの焼土では、まるで使い物になりません。
共同体としての国家の維持発展のためには、道路を作り、橋を架け、トンネルを掘り、鉄道を敷設し、国家としてのインフラを整備しなければなりません。
そして人々の衣食住の確保のために、山に植林をし、農地を確保し、瓦礫を片付けてそこに住宅を建設していかなければなりません。
そのためには、たいへんな労働力の確保と、その労働力への賃金の支払が必要です。
戦後の日本はインフレ経済で、たいへんな高度成長を遂げていますが、その高度成長のもととなった民間消費は、こうして政府が湯水のように国家としてのインフラ整備事業のためにお金を遣い続けたことによります。
逆にいえば、平成以降のデフレは、バブル崩壊後に、政府がまったくお金を遣わなくなったこと、せっかく発行した国債も、むしろ国内産業保護ではなく、外国へのばらまいてしまったこと、そのために国内にお金が回らなくなってしまったことによります。
お金がまわらなければ、経済力の弱い庶民は、自衛のためにお金を遣わなくなります。
こうして消費が先細りになり、経済が沈滞化し、物価がさがり、いまや完全にデフレスパイラルに日本は陥っています。
安倍総理や麻生副総理が、いま進めようとしているのは、だから、なんとかして政府が労働市場を捻出し、民間にお金がまわるようにしようというものです。これがアベノミクスです。
ただ、そうした官民一体となった戦後復興を優先するあまり、おいてけぼりになってしまったのが、終戦の詔勅にある、「道義を重んじ、志操を堅固に保ち、国体の精華と美質を発揮」することです。
日本を取り戻すというのは、ひとつには国民経済としてのデフレからの脱却であり、そしてもうひとつが「道義を重んじ、志操を堅固に保ち、国体の精華と美質を発揮できる国つくり」という徳義の復活にあります。
そして、この二つは、常に車の両輪です。
さて、もうひとつ最後に書いておきたいことがあります。
終戦の詔勅の中で、陛下は、私たち国民に、「爾臣民(なんじしんみん)」と呼びかけられています。
この「臣民」という言葉について、ずいぶん以前になりますが、以前誰かがこのブログのコメント欄に、
「臣民とは、天皇に直接支配される人民のことだから、教育勅語下では、国民は天皇に隷属するものです」などとアホなことを書いてきました。
以前はこうしたコメントも、そのまま掲載を許可していましたが、最近では、いくら当ブログにこのようなくだらないコメントを書いても、即削除しています。
なぜ「アホ」なのか。
自分の不勉強を棚にあげて、狭量な自分の世界だけでものごとをとらえようとしているからアホなのです。
「臣民」という言葉は、近世までは用語例ほとんどなく、あたりまえの概念に他ならなかったものです。
それが明治憲法で法律用語として使われて、注目されるようになった言葉です。
「臣民」は、「臣」と「民」という二つの漢字からできていますが、そもそも「臣」と「民」とは全く異なる概念です。
なぜなら、「臣」は、治者である君主に仕える人臣、臣下を指し、「民」は、被治者を指すからです。
漢字の「臣」は、もともと下に伏せて俯いた目をあらわす象形文字です。
「民」は、目を針で突いて目を見えなくした姿をあらわす象形文字です。
要するに、ただ「民」というならば、それは「盲(めしひ)たる民」(盲民)であり、ただの奴隷です。
ところが「臣」は、君を支え、君とともにある者たちです。
ですから「臣」のなかでも、大物になると、これが「大臣」となります。
もっというなら、「国民」のほうが、よっぽど酷い言葉です。
なぜなら「国民」は、国によって目をつぶされて何も見えなくなった奴隷という意味になるからです。
ところが「臣民」となると、国の最高権威であらせられる天皇の家族、家臣です。
家族の目をつぶそうなどとは誰も考えません。
そもそも日本では、「たみ」こそ国の宝という基本理念があり、ですから「臣民」は「朕のたみ」であり、「朕の家臣」であり、これを「おおみたから」といいます。
ワープロで「おおみたから」と入力して、漢字変換キーを押すと「公民」と変換されます。
明治憲法が、一般の国民を「臣民」と書き、また陛下が日本国初の全国民に向けた玉音放送において、「臣民」と語りかけたのは、単に「国民」や「民」なら、目をつぶされた権力者の奴隷にすぎないけれど、陛下は、私たち日本の「たみ」を、たいせつな国の宝と思い、語りかけられたということです。
とてもありがたいことです。
そして、いまはなき昭和天皇が、「道義を重んじ、志操を堅固に保ち、国体の精華と美質を発揮できる国」つくりをしなさいと、昭和20年8月15日にご遺言なされているのです。
わたしたち日本人が、日本人としての自覚と誇りを取り戻し、「道義を重んじ、志操を堅固に保ち、国体の精華と美質を発揮できる国つくりを開始するのは、いつでしょうか。
それは、いま、ではないでしょうか。
靖国に祀られる英霊、246万6,532柱英霊。
私たちは、8月15日という節目にあたり、いよいよ新たな国つくりのために、決意を新たにしたい。
私はそう思います。
~~~~~~~~~~~
【終戦の詔勅原文】
朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遣範ニシテ朕ノ拳々措カサル所 曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス 加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ 惟フニ今後帝国ノ受クヘキ困難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル 然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム 宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克く朕カ意ヲ体セヨ
御名御璽
昭和20年8月14日