間違ってもこういうお辞儀はしないでください。
これは「コンス」という朝鮮式のお辞儀です。
日本の様式ではありません。
このところ複数の方から、「おかしなお辞儀を最近よくみかける」というお話をいただきました。
その「おかしなお辞儀の仕方」というのは、女性の立礼の仕方です。
「いらっしゃいませ」などとお辞儀をするときに、なぜか両手の指先をお臍あたりで指先を重ねる。
なんとこのお辞儀が、堂々と「美しい作法」と称して、ビジネス・スクールやマナー教室などでも教えているというのです。
おかげで、最近では、百貨店などにおいても、そうしたお辞儀が行われているのだとか。
ところがこのお辞儀、おへそのあたりを両手で押さえて前屈みになるのですが、この姿、どうみても腹痛です。
腹痛というのは、「美しい姿」とは対極にあるものです。
しかも両手をお腹の辺りで揃えれば、自然と両肘を張った姿になり、これまた見苦しい。
肘を張らないようにと、両手を合わせる位置をおへその下あたりにもってくると、こんどは女性が陰部を押さえる姿になる。
まるで小用を我慢しているみたいです。
みっともないったらない。
この、どこがどう「美しい作法」なのか、見識を疑います。
腹痛というのは、「美しい姿」とは対極にあるものです。
しかも両手をお腹の辺りで揃えれば、自然と両肘を張った姿になり、これまた見苦しい。
肘を張らないようにと、両手を合わせる位置をおへその下あたりにもってくると、こんどは女性が陰部を押さえる姿になる。
まるで小用を我慢しているみたいです。
みっともないったらない。
この、どこがどう「美しい作法」なのか、見識を疑います。
コンスはあくまでチマチョゴリを着用した韓国式礼法です。
礼法にはTPOがあります。
ですから女性がチマ・チョゴリを着ているときなどは、この腹痛ポーズでないと、スカート(チマ)が胸から下に広がっていますから、お辞儀をしたときにスカート(チマ)が、前に垂れ下がることになり、これはなるほどみっともない姿です。
だからチマを着ているときに、腹痛や生理痛、おしっこ我慢式のお辞儀をすることは、なるほど理に敵っているのでしょう。
けれども、普通のビジネススーツや和服姿でこんなお辞儀をするのはどうかしています。
そういうお辞儀を「正しい礼法」と信じ込んでいる女性も、そういうお辞儀の仕方を教えている企業も、よほど無教養なのか、在日朝鮮人に支配されて日本人を見下すことに喜びを感じる卑劣でサディスティックな企業なのかと、見識をを疑わざるを得ない。
まっとうな会社さんなら、今後一切、このような不可解なお辞儀はやめていただきたいと思います。
ですから女性がチマ・チョゴリを着ているときなどは、この腹痛ポーズでないと、スカート(チマ)が胸から下に広がっていますから、お辞儀をしたときにスカート(チマ)が、前に垂れ下がることになり、これはなるほどみっともない姿です。
だからチマを着ているときに、腹痛や生理痛、おしっこ我慢式のお辞儀をすることは、なるほど理に敵っているのでしょう。
けれども、普通のビジネススーツや和服姿でこんなお辞儀をするのはどうかしています。
そういうお辞儀を「正しい礼法」と信じ込んでいる女性も、そういうお辞儀の仕方を教えている企業も、よほど無教養なのか、在日朝鮮人に支配されて日本人を見下すことに喜びを感じる卑劣でサディスティックな企業なのかと、見識をを疑わざるを得ない。
まっとうな会社さんなら、今後一切、このような不可解なお辞儀はやめていただきたいと思います。
両手をお腹にもってくるのは、朝鮮式コンス
礼儀作法というのは、それぞれの国の歴史や伝統文化、服飾と深い関係を持って生まれているものです。
キリスト教圏には、頭を下げるお辞儀はありません。
わずかに膝を曲げるだけです。
これは女性のウエストを細く見せかけるために、幼いころから腰にコルセットを嵌めさせ、肋骨が変形するほどウエストを締め付けていた服装文化と大きな関係があります。
マリーアントワネットなどは、ウエストの直径が10cmくらいしかなかったそうですが、そこまでウエストを細くすると、肋骨の下部がつぶれて変形してしまいます。
西洋の童話などをみると、おばあさんはたいていリューマチに苦しんでいますが、これは肋骨の骨が変形したためです。
そしてウエストが直径10cmくらいしかないというところまで細くして・・・つまり人体をそこまで変形させていますから、腰を屈めると、骨が折れてしまう。
だからそうならないように、固いコルセットを嵌めていたわけで、そうなると、こんどはお辞儀はできない。
だから、わずかに膝を曲げるだけ、という礼法が定着しています。
申し訳ないが、日本には、女性の身体を骨まで変形させるような、そういう女性蔑視の文化はない。
似ているのは、支那も同じで、支那の高貴な女性たちは、纏足(てんそく)といって、大人になっても靴のサイズが10cmくらいかないほど・・・つまり骨がぐちゃぐちゃに変形して歩けないほど・・・足を小さく絞りました。
このため、高貴な女性は、自分であるくこともできない。
だから女性が歩行するときには、両側を付き人に支えてもらわなければならなかった。
これはつまり、皇帝の女性が逃亡しないように、ということからはじまった風習だけれど、そこまで足を小さくしていますから、女性は足で身体をささえてお辞儀するなどできません。
ですから支那の文化にも、お辞儀はないです。
そのかわり、両腕を肘まで揃えて、顔の位置まで水平にあげる。
イスラム圏にも、人間が人間にするお辞儀という作法はありません。
人間が「頭を下げる」のは、「アラーの神」に対してだけです。
その代わり、相手が神ですから、頭は地面にこすりつけるくらいまで下げる。
ちなみにイスラム圏では、人が神以外にお辞儀をするのは、禁止行為です。
キリスト教圏には、頭を下げるお辞儀はありません。
わずかに膝を曲げるだけです。
これは女性のウエストを細く見せかけるために、幼いころから腰にコルセットを嵌めさせ、肋骨が変形するほどウエストを締め付けていた服装文化と大きな関係があります。
マリーアントワネットなどは、ウエストの直径が10cmくらいしかなかったそうですが、そこまでウエストを細くすると、肋骨の下部がつぶれて変形してしまいます。
西洋の童話などをみると、おばあさんはたいていリューマチに苦しんでいますが、これは肋骨の骨が変形したためです。
そしてウエストが直径10cmくらいしかないというところまで細くして・・・つまり人体をそこまで変形させていますから、腰を屈めると、骨が折れてしまう。
だからそうならないように、固いコルセットを嵌めていたわけで、そうなると、こんどはお辞儀はできない。
だから、わずかに膝を曲げるだけ、という礼法が定着しています。
申し訳ないが、日本には、女性の身体を骨まで変形させるような、そういう女性蔑視の文化はない。
似ているのは、支那も同じで、支那の高貴な女性たちは、纏足(てんそく)といって、大人になっても靴のサイズが10cmくらいかないほど・・・つまり骨がぐちゃぐちゃに変形して歩けないほど・・・足を小さく絞りました。
このため、高貴な女性は、自分であるくこともできない。
だから女性が歩行するときには、両側を付き人に支えてもらわなければならなかった。
これはつまり、皇帝の女性が逃亡しないように、ということからはじまった風習だけれど、そこまで足を小さくしていますから、女性は足で身体をささえてお辞儀するなどできません。
ですから支那の文化にも、お辞儀はないです。
そのかわり、両腕を肘まで揃えて、顔の位置まで水平にあげる。
イスラム圏にも、人間が人間にするお辞儀という作法はありません。
人間が「頭を下げる」のは、「アラーの神」に対してだけです。
その代わり、相手が神ですから、頭は地面にこすりつけるくらいまで下げる。
ちなみにイスラム圏では、人が神以外にお辞儀をするのは、禁止行為です。
では、このおかしなお辞儀のもとになっている朝鮮式コンスは、どのようなものかといえば、李氏朝鮮の時代まで、女性には国王の妻、つまり国内で最高位の女性であっても、名前がありませんでした。
「名前がない」ということは、人でないのですから、当然に人権がない、ということです。
そして「名前がない女性」たちは、野良犬や野良猫と同じで、どこで死んでも誰も見向きもしない存在だったということです。
まして一般の女性であれば、貴族階級の両班であろうが、奴隷階層の白丁であろうが、女性に名前はありません。
そしてチマ・チョゴリの下に下着はありません。ハダカです。
では生理のときはどうしていたのかというと、村ごとに生理用のボロ屋があり、生理が終わるまで女性たちは、まるで家畜のようにそこに閉じ込められていた。
つまり(これを読まれれる女性の読者の方にはいささか酷な話ですが)、朝鮮ではほんの100年前まで、女性は単なる子を産む道具、もしくは男性の性処理のための単なる道具でしかないとみなされていたのです。
朝鮮半島の女性に、名前が付き、彼女たちに人としての権利が認められるようになったのは、日本が統治して以降のことです。
それまでは、女性たち人間扱いされていなかったのです。
初の朝鮮人女性の遺産相続者も、日本統治時代に誕生しています。
これは、朝鮮の歴史始まって以来、初めての出来事として、当時の新聞に大々的に報道されています。
「名前がない」ということは、人でないのですから、当然に人権がない、ということです。
そして「名前がない女性」たちは、野良犬や野良猫と同じで、どこで死んでも誰も見向きもしない存在だったということです。
まして一般の女性であれば、貴族階級の両班であろうが、奴隷階層の白丁であろうが、女性に名前はありません。
そしてチマ・チョゴリの下に下着はありません。ハダカです。
では生理のときはどうしていたのかというと、村ごとに生理用のボロ屋があり、生理が終わるまで女性たちは、まるで家畜のようにそこに閉じ込められていた。
つまり(これを読まれれる女性の読者の方にはいささか酷な話ですが)、朝鮮ではほんの100年前まで、女性は単なる子を産む道具、もしくは男性の性処理のための単なる道具でしかないとみなされていたのです。
朝鮮半島の女性に、名前が付き、彼女たちに人としての権利が認められるようになったのは、日本が統治して以降のことです。
それまでは、女性たち人間扱いされていなかったのです。
初の朝鮮人女性の遺産相続者も、日本統治時代に誕生しています。
これは、朝鮮の歴史始まって以来、初めての出来事として、当時の新聞に大々的に報道されています。
乳房を露出したチマチョゴリ姿
両班の長男を産んだ女性は、生涯両方の乳房を露出して生きる名誉が与えられた。
両班の長男を産んだ女性は、生涯両方の乳房を露出して生きる名誉が与えられた。
ちなみに日本では、正座というのは、正式かつ美しい座り方とされています。
けれど、朝鮮半島では、正座は罪人が強制されて座らされるときの座り方です。
ですから罪人でない人が座る時は、女性でも立て膝で座りました。
昔は、パンツなんてありませんから、女性が立て膝で座ると、支那式の着衣でも、和式の着衣でも、大事なところが丸見えになってしまいます。
なので、立てた膝ごと覆い隠すように、胸から下で裾の広がった「チマ」が発達したわけです。
で、チマが発達すると、スカートが胸から大きくひろがっていますから、腰をかがめて目上の人にお辞儀をしようとすると、両手でお腹の辺りを押さえないと、後ろからチマ(スカート)がばっさりと前に出て来てしまって、たいへんにみっともないことになります。
なので、お辞儀の際に、おへそのあたりでスカートを押さえるようになったのです。
名前もない、ただの性の道具が、チマの下は全裸でお腹を押さえてお辞儀をするわけです。
そのことを考えれば、このコンスというお辞儀は、奴隷となった女性の恭順の姿であるということがわかります。
奴隷となった女性の恭順の姿です。
それを日本人の女性に広めようというのです。
そして現に、ひろまっているのです。
とんでもない話です。
こんなものを推奨しているビジネスマナーの会社は、おそらくは朝鮮系なのでしょう。
あるいは企業内で、こうした礼法を無理矢理社内に導入しようとしているのは、日本人になりすました在日朝鮮人社員なのでしょう。
彼らは、日本人とは、まったく異なる不道徳な観念に基づいて、こうした礼法を広めようとしているのかもしれません。
正しい日本式の立礼は、女性の場合、足を揃えて立ち、手先はまっすぐ伸ばしてそろえ、自然に手が定まる位置を出発点として、静かに腿の上を膝がしらに向けて滑らせてお辞儀をする。
このとき首だけを丸めず、首と背中がまっすぐなまま上体を前に倒します。
これが和式の礼法です。
けれど、朝鮮半島では、正座は罪人が強制されて座らされるときの座り方です。
ですから罪人でない人が座る時は、女性でも立て膝で座りました。
昔は、パンツなんてありませんから、女性が立て膝で座ると、支那式の着衣でも、和式の着衣でも、大事なところが丸見えになってしまいます。
なので、立てた膝ごと覆い隠すように、胸から下で裾の広がった「チマ」が発達したわけです。
で、チマが発達すると、スカートが胸から大きくひろがっていますから、腰をかがめて目上の人にお辞儀をしようとすると、両手でお腹の辺りを押さえないと、後ろからチマ(スカート)がばっさりと前に出て来てしまって、たいへんにみっともないことになります。
なので、お辞儀の際に、おへそのあたりでスカートを押さえるようになったのです。
名前もない、ただの性の道具が、チマの下は全裸でお腹を押さえてお辞儀をするわけです。
そのことを考えれば、このコンスというお辞儀は、奴隷となった女性の恭順の姿であるということがわかります。
奴隷となった女性の恭順の姿です。
それを日本人の女性に広めようというのです。
そして現に、ひろまっているのです。
とんでもない話です。
こんなものを推奨しているビジネスマナーの会社は、おそらくは朝鮮系なのでしょう。
あるいは企業内で、こうした礼法を無理矢理社内に導入しようとしているのは、日本人になりすました在日朝鮮人社員なのでしょう。
彼らは、日本人とは、まったく異なる不道徳な観念に基づいて、こうした礼法を広めようとしているのかもしれません。
正しい日本式の立礼は、女性の場合、足を揃えて立ち、手先はまっすぐ伸ばしてそろえ、自然に手が定まる位置を出発点として、静かに腿の上を膝がしらに向けて滑らせてお辞儀をする。
このとき首だけを丸めず、首と背中がまっすぐなまま上体を前に倒します。
これが和式の礼法です。
ちなみに男性の場合も手の位置は同じです。
両手は自然に両側に垂れた位置から出発し、腰をかげめるのにあわせて、自然と前にすべらせ、腰がかがんだとき、腿の上あたりに手のひらがくるのが、正式な姿勢です。
男性の場合、両手を最後まで左右においたまま、お辞儀をするケースもありますが、こうするとお辞儀したときに自然と両手が尻を抱え込む姿になり、決して見栄えの良いものになりません。
ですから、本来は、男女とも同じで、両手を膝頭に向けて滑らせるのが、本来のカタチです。
ただ、武士や軍人などは、両手は左右においたままお辞儀をしました。
これは、大小の刀を手にしたお侍さんや、腰に帯剣した高級軍人の場合、腰の刀を押さえなければならないから、手を前にすべらせません。
だから両手を左右に置いたままにしたのです。
両手は自然に両側に垂れた位置から出発し、腰をかげめるのにあわせて、自然と前にすべらせ、腰がかがんだとき、腿の上あたりに手のひらがくるのが、正式な姿勢です。
男性の場合、両手を最後まで左右においたまま、お辞儀をするケースもありますが、こうするとお辞儀したときに自然と両手が尻を抱え込む姿になり、決して見栄えの良いものになりません。
ですから、本来は、男女とも同じで、両手を膝頭に向けて滑らせるのが、本来のカタチです。
ただ、武士や軍人などは、両手は左右においたままお辞儀をしました。
これは、大小の刀を手にしたお侍さんや、腰に帯剣した高級軍人の場合、腰の刀を押さえなければならないから、手を前にすべらせません。
だから両手を左右に置いたままにしたのです。
先日「コンスは非礼」という話をしましたら、ご皇室においては、両手をおへその前あたりに置いて礼をするから、本来の日本の高級礼法なのだと言って来た馬鹿者がいました。
皇族やかつての華族の正装は、衣冠束帯です。
このとき、男女とも、手には檜扇(ひおうぎ)を持ちます。
檜扇を手にして立てたままでお辞儀をするのですから、両手はおへその前にきますが、それは両手で檜扇を持っているからです。
手に何ももっていないときは、普通に両手は膝にきます。
どうかみなさまにお願いです。
百貨店やスーパー、飲食店、会社などで、接客に出た女性や男性が、コンスをやっているの見つけたら、是非、苦情を言っていただきたい。
帰宅後に、家からメール、あるいは消費者相談室などに電話するのも良いでしょう。
見つける都度、苦情を申し立てないと、日本人の美しい女性たちが、韓国式の性奴隷を意味するコンスを、「正しい作法」だと間違って覚えてしまいます。
是非、みんなの力で、日本からコンスを追い出し、正しい日本式のお辞儀を取り戻したいものです。
皇族やかつての華族の正装は、衣冠束帯です。
このとき、男女とも、手には檜扇(ひおうぎ)を持ちます。
檜扇を手にして立てたままでお辞儀をするのですから、両手はおへその前にきますが、それは両手で檜扇を持っているからです。
手に何ももっていないときは、普通に両手は膝にきます。
どうかみなさまにお願いです。
百貨店やスーパー、飲食店、会社などで、接客に出た女性や男性が、コンスをやっているの見つけたら、是非、苦情を言っていただきたい。
帰宅後に、家からメール、あるいは消費者相談室などに電話するのも良いでしょう。
見つける都度、苦情を申し立てないと、日本人の美しい女性たちが、韓国式の性奴隷を意味するコンスを、「正しい作法」だと間違って覚えてしまいます。
是非、みんなの力で、日本からコンスを追い出し、正しい日本式のお辞儀を取り戻したいものです。