犠牲の上に成り立つ飛行艇開発。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





辛坊さん救出のUS2「成功の母」は…。

http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130709/plt1307090730002-n1.htm




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海上自衛隊の飛行艇PS1(海幕広報室提供)





「失敗は成功の母」という言葉を知っている人は多いが、わが国では、なかなかこれが許されない。余力のない日本の防衛装備品開発における最大の問題と言えるだろう。

 救難飛行艇US2は、一躍有名になったが、同機があの救出劇を成し遂げるまでには、長い歴史がある。US2「成功の母」は、その前身であるUS1であり、その開発母機にPS1という機体があったことは、もはや海上自衛隊でも関係者が少なくなり、記憶が薄れつつある。

 PS1はUS2の製造元である新明和工業が手掛け、海上自衛隊が1960年代から対潜哨戒機として運用した飛行艇だ。

 当時、ソ連の潜水艦を探知するために、使い捨てのソノブイ(音響探知機)ではなく、海面で釣りおろし式ソナーを使用する方がいいという発想から開発が進められたものだ。

 「外洋における運用を第1の目標とした世界初の飛行艇」が開発コンセプトであった。現在US2が備えるさまざまな機能はこの時にすでに達成されている。波高4メートルの荒海で着水試験に初めて成功したのは、このPS1であった。

 最大の特徴と言えるのは、動力式高揚力装置であるBLC(境界層制御)で、これによって速度が遅くても失速しない飛行が可能となり、また荒海での離着水を実現可能としたのである。

 この技術は、世界の航空機メーカーやNASA(米航空宇宙局)でも研究されていたが、どこも実現できなかったもので、世界唯一の能力だ。

 しかし、PS1の道のりはあまりにも険しかった。極めて厳しい条件下での運用でもあり、またエンジンはそもそも水をかぶることが想定されているわけではないため、トラブルが続出したのだ。

 「PS1には乗りたくないなあ」

 当時の海自ではひそかに、そんな声がささやかれていたというが、任務となれば整斉(せいせい=整え、そろえて)と現場に赴き、そして事故により30人が殉職した。

 「同期を亡くしたんですよ…」

 そういう話をしばしば聞く。飛行艇の開発ではその後のUS1も含め40人以上の海上自衛官を失うことになった。

 ヨットで遭難したニュースキャスターの辛坊治郎さんを救出する前日まで、最近配備を開始したP1哨戒機のエンジントラブルが厳しい論調で報じられていた。失敗すればたたかれ、成功すれば称賛されるのは世の常だが、P1の今はUS2の過去とも言える。

 1つの装備品を作り上げるのは生易しいことではない。あの救出劇には、乗員11人に加えて支援する隊員、関係者、そしてUS2を世界一の飛行艇にするために捧げられた人々の魂が深く関わったような気がしてならないのである。

 

■桜林美佐(さくらばやし・みさ) 

 1970年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。著書に「誰も語らなかった防衛産業」(並木書房)、「日本に自衛隊がいてよかった」(産経新聞出版)など。