滑稽な批判のための批判。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





「日本」の解き方  

反アベノミクス論者による批判のための批判。

曖昧な「痛みを伴う改革」

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20130530/dms1305300709000-n1.htm





 最近、株式の乱高下でアベノミクス批判が出ている。「株価の上昇は金持ちにだけ恩恵があり庶民に関係ない」と言っていたアベノミクス批判者が、今度は株価の下落で文句をいうのは滑稽である。また、名目長期金利の上昇を批判していたのに、株価の下落を受けて名目長期金利が下落したことにまったく言及しないのは、批判のための批判であることを示している。

 アベノミクスの金融緩和のキモは、実質金利(=名目金利マイナスインフレ予想率)の低下だ。今年初めから、予想インフレ率が急上昇し、実質金利は急速に低下している。1年前と比べると、0%程度だった実質金利は、今ではマイナス1・4%程度になっている。これだけ見ていればいい。実質金利の低下は、時間ラグはあるが実体経済に影響を与えるのだ。

 実質金利の低下の副産物として株価の上昇はあるが、あくまで株価は副産物であり、それが目標のわけではない。しかも、株式市場はいろいろなものを先取りするので、一本調子の上昇はなく、しばしば調整局面がある。この意味で、株価の方向感は重要だが、日々の値動きに一喜一憂しても意味がない。

 株式市場に対する過度な評価や金融政策の無理解からか、メディアからは「痛みを伴う改革を」といった論調が相次いでいる。「痛みを伴う改革が必要」という発想はどこから来るものなのか。「痛み」とはどういうものを意味しているのか。

 そこでは2つのタイプが出てくる。まず良識派だ。メディアは、金融政策のようなマクロで抽象的なものでなく個別産業への政策のような半径1メートルのミクロ政策の話が好きだ。ただし、個別産業の応援になるような政策をメディアで応援するのも気が引けるので、ミクロ政策の中でも規制緩和を主張する。


この場合、「痛み」というのは規制緩和にともなう既得権者の「既得権」が奪われることで、多くの一般国民に「痛み」はない。また、規制緩和対象の具体的な産業を例示し、金融政策への批判もしない。

 もう一つは、金融政策批判派だ。これは冒頭述べたような類だ。金融政策が効果を上げているのは事実なので、「痛みを伴う改革」をいう。その場合、「金融緩和頼みでなく」という金融政策の否定が入れられる。その改革とは、緊縮財政を意味する場合も多い。財政再建至上主義者と同じように、やみくも増税を求める。そうなってくると「痛み」は一般国民に及ぶ。

 ラインハート・ロゴフ論文問題でわかったように緊縮財政は経済成長にあまり関係なく、むしろ短期的にはマイナス要因なのだが、一般論として緊縮財政は、道徳的にもっともらしくみえるので、マスコミや政治家のファンは多い。

 「痛みを伴う改革」が既得権を打破し長期的な成長になる規制緩和なら歓迎だが、一般国民を巻き込んで経済にマイナスになる増税などの緊縮財政ならまったく不要である。

                 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)