【再び、拉致を追う】第7部
不可解な失踪者たち(5)問題解決は全被害者の帰国
北朝鮮による拉致被害者を調べている「特定失踪者問題調査会」が発足してから10年。この間、政府が特定失踪者から認定した拉致被害者は昭和52年10月21日に行方不明となった松本京子さん=拉致当時(29)=だけだ。
松本さんは午後8時ごろ、自宅近くの編み物教室に行くと言って家を出たまま失踪した。その直前に近所で2人組の男と話しているのが目撃されていた。松本さんは現金を所持しておらず、はいていたサンダルが片方だけ現場に残されていた。海に向かって何人かの足跡も残されていた。
こうした状況もあり、当時から拉致の可能性が指摘されていたが、政府認定に至るまでには相当の時間がかかった。
「北朝鮮の国家的な意思が推認される材料を見つけることがなかなか難しかった」。元捜査関係者は、そう振り返る。
3要件クリアで認定
拉致被害者認定を受けるには「3要件」をクリアする必要がある。元捜査関係者が口にした「国家的な意思の推認」に加え、「本人の意思に反して連れ去られた」「行方不明者が北朝鮮にいる」というものだ。
「北朝鮮で『キョウコ』と呼ばれていた日本人女性を見た。(松本さんに)よく似ていた」。元朝鮮人民軍大尉を名乗る脱北男性の目撃証言があった。松本さんが北朝鮮の貿易会社に勤務しているという情報も寄せられていた。さらに、警察当局の調べで、「北朝鮮にいることが確実視された」(捜査関係者)のだ。
「本人の意思に反して」は、サンダルが片方だけ落ちていたという失踪状況からもうかがえた。
決め手となったのは、失踪直前に北朝鮮工作船とみられる不審船が現場付近を航行していることを突き止めたことだった。不審船の交信状況から、北朝鮮の指示、つまり「北の意思」を確認した。
当時の聞き込み捜査で、わずかながら「拉致ではないのでは」との情報も寄せられていたが、何十年ぶりに見つけた親族から、その情報を否定する材料を得られたことも大きかった。
松本さんの失踪は、「拉致以外、考えられない」(捜査関係者)ことにたどり着いたことで、拉致認定された。
捜査・調査868件
元捜査関係者は松本さん以外の特定失踪者について、「もう少しで(認定)というものはあった」と明かす。認定3要件のうち2つをクリアしているケースもあるとし、こう続けた。
「認定被害者以外にも(拉致被害者が)いることはほぼ確実だ。だから何としても新しい拉致容疑事案を追加したかった」
被害者認定後に、「拉致ではなかった」となれば、北朝鮮側につけ入る隙を与える。特定失踪者の家族らからは「厳しすぎる」との声も上がる3要件だが、それは“壁”ではなく、“砦”なのだ。
「868」。全国の警察が拉致の可能性が排除できないとして、調査・捜査している失踪者の数だ。情報公開請求で件数(昨年12月現在)が明らかになった。
調査会が政府に確認したところ、その中に、特定失踪者約390人が含まれているという。それ以外は調査会も把握していない失踪者ということになる。
安倍晋三首相は今月20日の参院決算委員会の答弁で、「政府が認定している人以外に(拉致の)可能性がないわけではない」とし、「拉致問題の解決ということであれば、こうした方も含めて全ての拉致被害者の帰国ということだ」と述べた。首相の答弁で、北朝鮮側に突きつける材料や証拠の収集が急務となった。=第7部終わり
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連載は、森本昌彦、松岡朋枝が担当しました。