【国防最前線】カンボジア発展を支える「能力構築支援室」
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130510/plt1305100709000-n1.htm
カンボジアPKOで、国道2号線の補修工事を行う自衛隊=1992年12月、タケオ州
「キャパシティビルディング」という言葉は、どのくらい一般化しているのだろうか。
かねてより国をあげて、というか官民さまざまに活動が進んでいたと言った方がいいかもしれないが、対象国の能力向上を図る取り組みである。防衛省・自衛隊でも2011年度に「能力構築支援室」が設けられ、東南アジアを中心とした各所に自衛官が派遣され始めた。
「20年ぶりのカンボジアでした」
自衛隊から5人で構成されたチームが、自衛隊OBなどの民間団体「日本地雷処理を支援する会」(JAMAS)とともにカンボジア入りしたのは、今年1月のことだった。リーダーの永井克征2等陸佐は、見違えるようになっていた首都プノンペンの街並みに目を見張った。
「あの時は若者の姿がありませんでしたから」
内戦の時代、虐殺によって成人は激減していたのだ。行き会うのは地雷で足がない人ばかりだった。それが今は活気づいていた。
もっとも、今回赴いたプノンペンと地方では事情が違うであろうが、少なくとも首都の中心部に当時は全くなかった信号があり、外資系企業が次々に進出しているなど、時代の移り変わりを感じさせた。
チームの任務は、カンボジア王国軍が国連平和維持活動(PKO)に乗り出すなか、その能力発展に必要な、道路や橋の修理・建設作業の技術教育を行うことだ。
カンボジアはすでに6つのPKOに1400人以上の要員を派遣しており、南スーダンPKOにも参加している。わが国が初めてPKOを派遣した国が、20年の年月を経て他国のPKOに赴く、そして、その活動を再び日本が支援するということは、日本の政策の一貫性を示す象徴的なメッセージにもなるのだ。
また、こうした試みは2国間関係の強化のみならず、間接アプローチによる安全保障環境の構築につながる。
約2カ月間の研修では、朝から夕方までぎっちりと講義が組まれた。冷房はなく暑い室内で、汗を流しながらの授業だった。
道路や橋を作るには方程式を使った計算が必要だが、彼らには大卒から中卒まで格差があったため、数学の補修も行う必要があった。それだけに、修了式は感慨深かった。
「あのころ、生まれた世代が今、国を担っているんです」
20年前、将来を閉ざされたかのような状態だった国で「子供たちのために」と取り組んだことは、日本が建設した「日本橋」とともに彼らの心に刻まれている。そして、今度は彼らが新たな橋を架けることになるのだ。
■桜林美佐(さくらばやし・みさ)
1970年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。著書に「誰も語らなかった防衛産業」(並木書房)、「日本に自衛隊がいてよかった」(産経新聞出版)など。